特別会議
──帝国・王都 皇宮離宮 特別会議室──
三日間の静養と治療を終えたアヤは、帝国へ戻る決意を固めていた。
護衛とともに離宮に到着した彼女は、深呼吸して重厚な扉を開く。
会議室の内部には、すでに皇帝エドワールとアデルナ王国国王レオンハルトが着席していた。
そしてその背後、あくまでも“医術士の一人”として控えているのは、レグニス――いや、今は“レイ”として振る舞う魔王国の王。
アヤは椅子に座る前、深く一礼する。
「本日は、このような場を設けていただき、ありがとうございます」
エドワールが口を開く前に、アヤは事前にレグニスから聞いていた“筋書き”を思い出す。
(──あの夜、狙われたのは皇帝陛下。
私は、巻き込まれたに過ぎない。
治療は帝国の最高機密医療施設で行われたことにする。
目的は、混乱を避けるため。そして、帝国内部の粛清を正当化するため──)
この会談は、真実の共有ではなく、真実の“調整”である。
皇帝エドワールが厳しい声で言葉を発した。
「まずは……このたびの一件について、深く詫びねばなるまい。
アヤ殿、そなたには余が信を置いていた。
にもかかわらず、このような事態を引き起こしてしまったこと……帝国の長として、心より謝罪する」
アヤは即座に首を横に振る。
「とんでもありません、陛下。私は、帝国内での視察という機会をいただきました。
その中で、予想外の出来事が起きた……それだけです」
エドワールはその反応に目を細め、レオンハルトの方へ視線を移した。
「アデルナ王、そなたの国の使節がこのような目に遭ったこと……どのように受け止めておられるか」
レオンハルトは、静かに、しかし明確に言った。
「アヤ殿の安否を最優先に考えて行動してまいりました。
陛下がその責を負う覚悟をお持ちであることは、今こうして対座している事実が証明しています。
王として、私は帝国に謝罪を求めるつもりはありません」
その言葉に、場がわずかに和らいだ。
アヤは少し躊躇いながらも、最後に自らの意思を口にする。
「本来、この場にて口にすることではないかもしれませんが……」
エドワールとレオンハルト、そして控えるレグニスが彼女に目を向ける。
「私は、今回の件で改めて帝国が持つ医術と設備の高度さを痛感いたしました。
特に、細菌培養技術、隔離施設の設計、衛生区域の確保においては、王国にも魔王国にもない視点と工学が存在しています」
アヤはゆっくりと立ち上がる。
「そこで提案がございます。
今後、医術技術交流の名の下、帝国のそれらの知見を、王国および魔王国に共有していただけないでしょうか。私たちの世界全体の医療水準を引き上げるためにも、必ずや意味ある交流となるはずです」
エドワールはわずかに目を見開いた。
「……なるほど。だが、我が帝国にとってそのような核心技術の外部流出は、容易に認められることではない」
アヤは頷く。
「重々承知しております。そのため、責任をもって交流の代表者──“医術大使”を任命したいと考えております」
エドワールがわずかに眉を上げる。
「その者とは……?」
「セイラン=ヴァルメル。帝国の改革派医術士であり、かつて私と共に診療にあたった者です。
彼は、帝国の誇るべき知識と精神を持ち合わせています。
このような者こそが、未来を繋ぐ懸け橋となると、私は信じています」
レオンハルトは一瞬驚いたように視線を上げ、すぐに頷いた。
「アヤ殿らしい人選だ」
エドワールはしばらく沈黙したのち、深く頷いた。
「……よかろう。だが、正式な布告はもう少し先にさせてもらいたい。
この国の制度と矜持を守りながら、歩み寄る方法を模索する必要がある」
「ありがとうございます、陛下」
アヤは深く頭を下げた。
その姿に、レグニスが微かに目を細めた。
この会談の結果は、表に出ることはない。
だが、世界は静かに動き始めていた。
――それぞれの「誓い」と「未来」のために。
──帝国・王都 皇宮離宮 控室──
特別会談が始まる前、アヤは控室の静けさの中で一人呼吸を整えていた。
皇宮の一角に設けられたこの客間は、余計な装飾が排された落ち着いた空間で、漆黒の木製の机と革張りの椅子が規律と品位を示していた。
扉の向こうに気配がして、アヤは立ち上がる。静かに入ってきたのは、レオンハルトだった。
その姿を見ると、自然と身体が反応して一礼する。
「お疲れのところ、お越しいただき……」
「いや、こちらこそ。無事で本当に良かった、アヤ殿」
その声には、以前よりも深く、重みのある感情が滲んでいた。レオンハルトはいつもの理知的な笑みを浮かべるでもなく、真正面からアヤを見据えている。
アヤはその視線に、わずかに戸惑いを覚えながらも視線を外さなかった。
「こうして言葉を交わせること……それだけでも、私は救われた思いです」
「……ありがとうございます」
簡潔な返答。それ以上の言葉が、胸の奥から出てこない。
だがレオンハルトは、その沈黙を責めなかった。
彼は小さく息を吐き、口元にほのかな苦笑を浮かべると、少しだけ歩を進めた。
「今日ここに来るまで、何度も言葉を選び直しました」
アヤは瞳を瞬いた。
「……言葉を?」
「ええ。王としてではなく、一人の人間として、貴女に伝えたいことがある」
アヤの肩がわずかに震えた。
この数か月、彼の支えがどれだけ大きかったかを知っている。だが、それはあくまでも“使命の中での信頼関係”という理解だった。
今、レオンハルトはその枠を越えようとしていた。
「私は……貴女が王国に来て以来、何度も想いました。なぜ、他国の地で生きようとするのか。なぜ、その身を削ってまで人々を救おうとするのか。答えを探すうちに……気づいたのです」
レオンハルトは静かに言葉を繋げる。
「貴女の存在そのものが、希望なのだと」
アヤは何も言えずにいた。
「私は……これまで王として、多くの判断を下してきました。しかし、ひとりの女性としての貴女に、心を寄せることがこれほどに困難だとは思わなかった」
「……困難?」
アヤの声はかすかに震えていた。
「貴女は誰よりも自由に、誠実に生きている。その姿を見て、私は……惹かれていたのです」
静かな、だが逃れられぬ言葉だった。
アヤは言葉を失った。レオンハルトは彼女に近づいたが、手を伸ばすことはしなかった。ただ、瞳の奥に宿した想いを、まっすぐにぶつけてきた。
「今すぐに答えを求めるつもりはありません。ただ……私の想いを、知っていてほしかった」
アヤは目を伏せた。胸の奥がきゅっと締めつけられるようだった。
レグニスのことを思い浮かべてしまう自分がいた。
だけど──彼の誠実さに、答えを返さないままでいるのも失礼だと思った。
「……私は、今はまだ……誰かの隣に立つ覚悟が、できていません」
その言葉は拒絶ではない。けれど、応えることもできない心の迷いがにじんでいた。
レオンハルトは、ほんの少しだけ寂しげな笑みを浮かべると、そっと頷いた。
「それでいいのです。貴女が、貴女らしくあることが、私にとって一番嬉しい」
その言葉に、アヤの胸がまた揺れた。
「……ありがとうございます」
ふたりの間に、沈黙が流れる。
それは気まずさではなく、互いの想いが交差し、交わらなかったその静寂。
やがて扉の外から呼び声がかかり、ふたりは同時に顔を上げた。
「行きましょう。……今日の言葉は、すべて忘れてくださって構いません」
レオンハルトの言葉に、アヤはかすかに首を振った。
「忘れません。……大切な言葉でしたから」
微笑み合うことも、触れ合うこともないまま、ふたりは並んで部屋を出た。
重なりかけた想いは、まだ答えを得ぬまま、そっと心にしまわれた。




