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腫れ物

──帝都カストリア・月影の間──


 帝都の王宮から離れた西側、かつて王家の離宮として建てられた古館――その奥深く、《月影の間》と呼ばれる部屋がある。

 今宵、その静謐な空間に集まっているのは、帝国の影を担う者たち。公式の記録には残らぬ“意思決定”を行う、裏の中枢であった。


 蝋燭の火が規則的に灯された空間は、まるで時の流れを遮断するかのように静かだった。火の揺らめきが、重厚な絨毯と黒い柱に影を落とし、室内にいる者たちの顔を曖昧に染めている。


 その中に、ひときわ古びた黒衣の男がいた。

 老齢に差しかかる男――カリス・デュアル侯爵。帝国でも五指に入る資産と軍事影響力を有する貴族でありながら、常に政治の表舞台には立たず、代わりに《黒曜》という闇の装置を育て上げた張本人である。


 「……さて、今日の議題は明白だろう」


 重たく低い声で口火を切ったのは、黒曜の幹部のひとり。仮面の下から覗く双眸には、感情の色はほとんどなかった。


 「“医術士アヤ”――あの女の存在が、この帝国の秩序を揺るがし始めている。帝都での診療活動により、民の信頼を勝ち得ている。王侯の子息を救った件など、まさに余計な名声だ」


 別の者が続ける。


 「情報統制が効かぬのだ。彼女に治療された民が、自ら口にする。『帝国に希望をもたらした光』だと」


 「希望――」と、カリス侯はくぐもった笑みを漏らし、手にした銀の杯を揺らした。


 杯の中の深紅の酒が、わずかに揺れる。仄暗い光を受けて、まるで鮮血のように鈍く光っていた。


 「その言葉ほど、民衆を扇動するものはない。抑圧の中に差し込む“光”など、我らにとっては毒に等しい。秩序は静寂の上にあるものだ。民に自由を錯覚させれば、制御など利かなくなる」


 「ならば――」

 幹部のひとりが、声を潜めて言った。

 「いまのうちに“処理”すべきでは。……事故に見せかけて、あの女を……」


 その言葉に、一瞬だけ部屋の空気が冷たく張り詰めた。


 誰もが分かっていた。

 この部屋で語られた“処理”という言葉が、何を意味するかを。


 「反対する者はいないな?」


 カリス侯は視線を巡らせた。仮面をつけた黒曜の幹部たちは、無言のまま頷いた。


 「……よろしい。事故の形式に関しては我が家の配下に適任者がいる。行動は“次の招待”の直前。目立たぬよう、だが確実にな」


 その言葉は、静かに部屋に落ちた。


 何の罪もない者に対する暗殺の決定が、まるで晩餐の献立を決めるような口調で交わされていく。

 そこには、倫理も義もない。彼らの関心は帝国の安寧ではなく、自らが築き上げた支配構造と特権階級という“城”を守ること、それだけが彼らの価値基準。


 「……陛下には?」


 ひとりの黒曜員が、わずかに声を落として訊ねた。


 「言う必要はない。エドワール陛下は、あの女に個人的な恩義を感じておられる。愚かにも、心を動かされておいでのようだ」


 カリス侯の唇には、皮肉な笑みが浮かぶ。


 「だが――“理想”に傾いた王は、実務の砂漠で干からびるもの。帝国を本当に支えているのは、誰か……」


 そこまで語ったところで、蝋燭の火が一つ、ふっと消えた。

 まるで、この部屋の中にあるもの全てが、ひとつの“兆し”に気づいたかのように。


 しかし誰も、その意味に気づいていなかった。


 この密談が、すでに“誰か”の耳に届いていることも。


 この夜の決定が、やがて帝国の運命を大きく変えていく引き金になることも。


 彼らはただ、蝋燭の火を替えるように、計画を進めていくだけだった。





【帝都カストリア・秘密の間】


 夜の宮殿は静寂に包まれていた。


 皇帝の私室の奥、秘密の間に灯された蝋燭の炎がゆらゆらと揺れる。壁の装飾や金箔の柱がその光を受け、静かに輝きを放つ。


 エドワール=カストリア帝国皇帝。


 その傍ら、漆黒の外套を纏った影が一人、片膝をついている。


 「……そうか。それを、彼らが」


 重く落ちる声。エドワールは椅子から立ち上がらず、静かに瞼を閉じた。


 影は、帝国直属の諜報官《影の銀鴉》のひとりである。


 「はい、陛下。黒曜とカリス侯による密談の全容と証拠は、録音と文書で確認済み。彼らは、次の帝国訪問の折に“医術士アヤ”殿を事故に見せかけて排除する計画を進めております」


 エドワールの表情に、深い影が落ちた。


 「……我が孫は、あの者に命を救われた」


 それは事実だった。彼の唯一の孫は、重篤な呼吸器疾患により、一時は死の淵にあった。だが、アヤの手によって救われた。その行動は、人として、王として、永劫に忘れてはならぬ恩義だ。


 「舐められたものだ」


 彼の声は低かったが、確かな怒りを孕んでいた。


 「黒曜……。闇を制する刃が、ついに制御を離れたか。元より諜報は必要だ。だが、己の利のために動く者など、組織にあらず」


 重く、鋭い沈黙が落ちる。


 「──この機に、切開する。膿を絞り、帝国を浄化せねば未来はない」


 そう言ったエドワールの瞳には、ためらいはなかった。


 そして、彼は側近の銀鴉に命じる。


 「今宵、忠誠を誓う文官、将校、そして腐敗に染まらぬ貴族たちを密かに招集せよ。真に帝国を想う者たちだけをだ」


 銀鴉は静かに頷き、その場を去った。


 やがて、玉座の間に現れたのは数名の選ばれし者たち。


 老いてなお矍鑠たる文官。帝国の名誉を守り抜いてきた老将。古き血筋にして、民を思い続けてきた名門貴族。


 エドワールは彼らを前にして立ち、口を開いた。


 「帝国は変革の時を迎えた。その最初の火種は、あの“医術士アヤ”だ」


 驚きの気配が漂う。だが、彼は続けた。


 「私は彼女に招待状を送る。“交流”という名のもとに。アデルナ王国、魔王国にも同様の報せを届ける」


 ひとりの将校が、やや険しい表情で問うた。


 「陛下、それは……危険を招くのでは?」


 「そうだ。だが、避けてはならぬ。改革を恐れ、古き腐敗を放置するならば、帝国に明日はない」


 その言葉に、文官たちが頷いた。


 「粛清は必要です。陛下がその意志を持たれるならば、私も刃を取ります」


 「陛下に忠を誓う者は、この命をもってそれに報いましょう」


 こうして、皇帝エドワールは静かに、だが確かに、帝国の再編へと第一歩を踏み出した。




 (腐った膿は排除して清潔に........か。あなたが教えてくれた医術だ)

 「........アヤ.......」

 かつて交わした言葉を思い出し、苦笑するエドワールは、踵を返し執務室に歩き出した。

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