白衣に立つ
──ノクス=フィア 拠点・診療棟本棟 午前
アヤが王国側本部会議のため、拠点を一時離れた日。朝靄が残る広場には、ひときわ目を引く掲示板が立てられていた。
>「本日より、拠点医療業務は混成第二班が中心となって担当します」
>「担当責任者:ミレイ=クラン/サリア=ロイエル」
その文字を見た者の多くは、わずかに目を見開き、そして無言で頷いた。つい昨日までは考えられなかった配置――それでも、今は受け入れられる何かがあった。
「……あれ、アヤ先生、今日は……?」
診療棟の待合で、不安げな声が聞こえた。中年の男が腕をさすりながら問いかける。
ミレイは、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
けれどすぐに、白衣の胸元を軽く押さえて、浅く微笑んだ。
「先生は会議に行っています。でも、大丈夫。ここには“私たち”がいますから」
その一言に、背後の若手たちが小さく頷いた。誰も声を出さずとも、互いに支えるように視線を交わし、足を踏み出した。
サリアは調薬室で魔族医術士フェルと処方確認をしている。
ミレイは診療室で、老いた村人の胸に聴診器を当てていた。彼女の動きはまだぎこちなく、言葉も慎重だ。
「ご安心ください。この薬は、王国と魔王国双方で検証されたものです。魔力反応による副作用は、最小限に抑えてあります」
老いた男はじっと彼女の顔を見つめた後、静かに頷いた。
「……“女の子”に診られるなんて、最初は不安だったがな。
あんたの目を見てると、昔の兵士たちより頼もしく思えてきたよ」
ミレイの頬がわずかに紅くなり、声が裏返る。
「……あ、ありがとうございます……!」
午後、急患が搬送された。村の子ども、初診では軽度の発熱と見られていたが、急激な脱水と昏迷状態に陥った。
処置室に緊張が走る。魔族医術士のフェルが魔力計を睨みながら叫ぶ。
「魔力浸透反応が強すぎる! この子……魔素の耐性が著しく低い!」
サリアがすぐに命令を飛ばした。
「ミレイ、旧式の点滴器を! 生理補液に魔素遮断魔紋を加えて、魔素解毒符を第二層へ!」
「はい!」
若手たちは互いを見ずとも、自らの動きに集中し、流れるように持ち場をこなしていく。混成チームは初期こそ軋んだが、いまや確かな連携を見せていた。
やがて症状は安定し、処置は成功に終わった。
その夜、ミレイは処置記録を記入しながら、小さなため息をついた。
「……先生がいなくても、乗り切れた……んですね、私たち」
カーテン越しにサリアの声が届く。
「そうよ。“いたからできた”んじゃない。“教わっていたからできた”の」
ミレイは目を伏せて笑った。
「……あの時の私じゃ、信じられなかったかも」
「でも今、あなたの後ろには、“信じてくれる人”がいるわ。
それって、もう立派な“白衣の者”じゃない?」
「……アヤ先生が戻ってきたとき、“立っていられる自分”でいたいです」
──その夜、拠点に新しい記録が残された。
“本日の主要診療業務は、混成第二班が独力で担当し、患者の対応・急患処置を完遂した”と。
それは、“誰かがいなければ回らない場”から、“誰かの意志で動く場”へと変わりはじめた証だった。
――数日後
王国から戻ったアヤは、その記録報告を静かに読み終えていた。仮設執務室の窓辺、柔らかな日差しが背を照らしている。
背後に立つレグニスは、アヤの横顔を静かに見つめ声を掛けた。
「……よかったな。彼女たちが、ここまで来られたこと」
アヤはゆっくりと報告書を胸に抱いた。
「ええ。信じていた。ずっと。でも……こんなふうに、自分のことみたいに嬉しくなるなんて思わなかった」
その声に、涙は混じっていなかったが、感情の震えが滲んでいた。
「あなたが、見守ってくれていたから。いつも、一歩下がって、何も言わず、でも目を離さなかった」
アヤはレグニスの方へ振り返り、真っ直ぐに...言葉を伝える。
「……レグニス。あなたのその“見守る力”、私はとても尊いと思ってる。
誰かを信じるって、簡単じゃない。手を出すより、見守るほうがずっと苦しい。
でもあなたは、ずっと、見ていてくれた」
レグニスは言葉を返さなかった。
ただ、少しだけ目を細めて微笑んだ。
「ありがとう。……私も、あなたに倣って、誰かを“見守る”ことができる人になりたい」
アヤは静かに告げ、報告書を抱いたまま、ふたたび診療棟の方へ歩き出した。
その背に、レグニスはそっと視線を送る。
――それは、新たな“始まり”を告げる静かな朝だった




