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最初の火

──ノクス=フィア 拠点南区・補給庫裏手、深夜


 最初に異変が起きたのは、日付が変わる直前のことだった。

 静まり返った南区の補給庫の裏――

 誰もいないはずの倉庫裏で、ふいに“かちり”と小さな音が響いた。


 それは、単なる木箱のずれに聞こえるほど小さな音。

 だが次の瞬間、地響きを伴う爆発音とともに、倉庫の半分が炎に包まれた。


 「火だ! 補給区画が燃えてる!」

 「魔力反応あり!これは自然火災じゃない、人工物だ!」


 警戒鐘が鳴り響き、夜勤中の医術士たちが現場に駆けつける。

 その火の中で、ひとりの影が崩れ落ちていた。

 男――拠点技術班所属の魔族医術士助手、ザム=ロッド。


 彼の傍らには、帝国式の起爆魔術符と、暗号通信装置。

 そして……《黒曜》の印を彫り込んだ金属片が見つかった。


 


 翌朝。会議室。


 「……帝国の諜報員でした」

 《灰の鴉》所属の調査官が、冷たく告げた。


 「本名、ザルゲ=ルーシュ。《黒曜》の周辺偽装員。

 元は帝国医術機関にて医薬原料管理を担当しており、情報収集・薬物混入の技能を持っていました」


 アヤは表情を変えず、ただ報告書を見つめていた。

 その傍で、ミレイが声を震わせていた。


 「ザムさんは……毎日真面目に働いていて……

 子どもに薬を教えてた……あんな人が、どうして……?」


 その声は、過去の記憶をたぐるように震えていた。

 研修中、ザムはよく子どもたちに「これはね、魔族でも人間でも使える漢方薬のもとだよ」と笑顔で説明していた。

 それを見て、ミレイも「私も、こういう人になりたい」と言った。

 ザムは笑って、「じゃあ一緒に勉強しよう」と、休憩時間に資料を分け合ってくれた。

 魔族であることを感じさせない、やわらかい声と、丁寧な指導――ミレイにとって、それは“希望”だった。


 その全てが偽りだった。


 レグニスが低く呟いた。


 「“裏切った”のではない。最初から“侵入していた”のだ」


 アヤが続ける。


 「……でも、それでも“信じようとした人”がいた。

 それが、私たちの拠点の“意味”だった。……なのに、結果はこの通り」


 


 午後には、民の間でも不安が広がっていた。


 「魔族の技術者が倉庫を燃やしたらしい」

 「危険なのはどっちだ。人間の薬が魔族を壊すんだろう?」

 「いっそ隔離してくれよ……子どもが危ない」


 患者たちの目には、わずかに恐れが宿る。

 スタッフ同士の会話にも、張り詰めた沈黙が混じり始めていた。


 夜。

 ミレイは、ひとり診療所の影に立っていた。

 ザム――かつて名前を呼び、尊敬し、笑い合ったその人が、すべてを偽っていたという事実が胸を刺す。


 


 「……信じてたのに……」

 誰に届くでもない声が、風にかき消された。


 過去の笑顔が脳裏をよぎる。術具の整理中、薬品棚の配置を巡って言い合いになり、それでも最後は笑って「こうしよう」と妥協案を出してくれたこと。

 患者の誤飲があったとき、「落ち着いて、大丈夫だよ」と背中を支えてくれたこと。

 あの優しさは、全部嘘だったのか?


 サリアがそっと肩に手を置いた。


 「……あなたが信じた気持ちは、嘘じゃない。

 裏切られたからって、信じる行為そのものを否定しちゃだめよ」


 ミレイは涙をこらえながら、うつむいた。


 「……怖いです。

 人を信じるって、こんなに脆いんですか……?」


 そこに、アヤが歩み寄ってくる。


 「だからこそ、積み重ねるの。

 一度壊れたからって、“信じるに値する誰か”を、私たちがもう一度証明していくしかない」


 その声には、痛みと、決意が宿っていた。


 その夜、アヤは医務棟の各部屋をまわり、ひとりひとりに声をかけていった。


 「……つらいよね。でも、あなたが感じた“違和感”は無駄じゃなかった」

 「ザムの言葉を信じてしまったからといって、あなたの医術の価値まで否定されるわけじゃない」


 崩れそうになる若手スタッフには肩を貸し、沈黙する魔族の医術士にはただ隣に座り、語りかけた。


 「“信じた自分”を恥じないで。それは、あなたが誰かと心を通わせようとした証拠だから」


 誰かが涙を流し、誰かが小さく頷いた。

 

 アヤは最後に、焼け焦げた補給庫の前で一人立ち止まり、小さく祈るように呟いた。


 「……それでも、私は人を信じる。そうでなければ、命を預かるこの仕事はできない」


 そして、その祈りのような決意は、静かに周囲の胸に届いていった。


 だがその裏で、さらに深く潜伏していた影が、《黒曜》からの新たな指令を受け取っていた。

 

 >《次段階へ移行。民意を動かせ。混乱は最大の薬となる》



◇◇



──ノクス=フィア 拠点中央・集会広場


 声が、飛んだ。


 「俺たちの物資が燃えたのは魔族の仕業じゃないのか!」

 「人間の薬のせいで、うちの弟が魔力異常を起こした!」

 「そもそも、この拠点に魔族を入れるからだ!」


 広場に集まった住民と患者家族、医術士、関係者たちの間に、怒声が渦巻く。


 火災と内通者発覚から二日。

 疑心と恐怖は、たやすく“差異”に牙を剥く。


 アヤは前に出ようとしたが、レグニスが制した。


 「今、お前が出ても火に油だ。民は“真理”ではなく、“感情”に流されている」


 その言葉を、アヤはよくわかっていた。

 けれど、それでも――放っておけないのが、彼女の性だった。


 


 サリアが進み出る。


 「どうか、落ち着いてください! 私たちは――!」


 「黙れ! 王国の役人風情に、何がわかる!」

 「魔王国の者もだ、レグニスとやらは姿すら見せぬ! 何が“共存”だ!」


 


 その瞬間、怒号が切り裂かれるように、一人の少年が広場中央で倒れた。

 ティナの弟――魔族の子で、先日軽症で治療を受けていたはずの子だった。


 「息が……できない……!」


 サリアがすぐに駆け寄り、状態を確認する。

 「呼吸抑制! 喉頭浮腫が急速に進んでる!」


 「人間の薬のせいか!?」「魔族の子を優先するな!」


 


 混乱の中、ミレイが叫ぶ。


 「黙って!! この子は“今”命の危機にあるの!

 種族も立場も関係ない! 医術士なら、手を貸して!!」


 


 だが、周囲の一部は後退し、誰も動かなかった。


 


 その時、アヤが少年のもとに膝をついた。

 簡易吸引器と、魔力抑制鎮静剤、経口気道補助器を即座に展開。


 「サリア、喉周囲の温度を下げて。

 ミレイ、末梢血管の魔素安定化をお願い。……私が中枢を調整する」


 ふたりが頷く。


 


 処置の後、少年の呼吸は、かすかに戻った。


 そのとき、アヤが顔を上げ、周囲を見回した。


 「この子が人間だったら、あなたたちは助けていましたか?」

 「この子が魔族だからといって、見殺しにしますか?」


 誰も、言葉を返せなかった。


 「“違い”は確かにある。でも、それを理由に命の重さを測るのは、医術じゃない。

 私たちは、この拠点で、それを越えたかったはずでしょう?」


 


 沈黙が、広場を包んだ。


 


 やがて、老いた女性が前に出てくる。

 「……あの娘に、命を救われたことがある。

 私は、あの夜に“越えられるものがある”と教わったんだ」


 少しずつ、人々の声が変わっていった。


 


 「俺の娘も、魔族の若い医術士に治してもらった」

 「……お前、魔族と話せるようになったんだな」

 「……こんな形で、仲間を疑いたくはない」


 


 広場の緊張が、ゆっくりと解けていく。

 裂けた声は、まだ完全には縫い合わされない。

 けれど、その裂け目の中に――誰かの、もう一度“信じたい”と願う声が灯っていた。


 





 その夜、アヤはレグニスと短く言葉を交わした。


 「……私の言葉は届いたと思う?」


 「……届いてはいない。

 だが、“届かせたい”と願った者は、確実に生まれた。

 それが、この夜を越えるための“最初の火”になる」


 レグニスの言葉に...アヤは僅かに頷いた。

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