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灯火

──ノクス=フィア候補地・仮設診療所


 夜の名残がまだ空に滲んでいた。

 木造の仮設診療所に、朝露の匂いがしみ込んでいる。


 アヤは静かに聴診器を外し、前に座る少女の手を握った。


 「……もう、大丈夫。肺の音も落ち着いてるし、熱も下がったわね」


 「ほんと? よかった……!」


 少女――ティナと名乗ったその子は、数年前にアヤが救った患者だった。

 かつて魔物化因子によって重篤な症状を呈し、生死の境にいた彼女が、今こうして生きている。


 「先生のこと、ずっと夢で見てた。

 あの夜、熱くて、息ができなくて……真っ暗な中で、手を握ってくれたの。

 『大丈夫』って言ってくれたの、覚えてるよ」


 アヤは少し笑って、少女の髪に手を伸ばした。


 「私のほうこそ、覚えてる。あなたが、すごく強かったこと」


 その光景を、診療所の外から見守る者たちがいた。

 村の長老たち、視察に同行した若手医術士ミレイとサリア、そしてレグニスと王国の医務官。


 誰もが言葉を飲み込み、ただ少女の笑顔に見入っていた。


 ミレイがぽつりと呟いた。


 「……私たちの医術って、本当は“奇跡”じゃないのかもしれないですね」


 「“続いていく希望”なんだ。誰かの命が、誰かの物語に変わっていく」


 サリアが頷いた。


 「そして、その物語に触れた人が、“自分もまた誰かを救いたい”と思える。

 この拠点は、そういう連鎖を起こす場所にできる」


 やがて、ティナが小さな声で尋ねた。


 「先生、今度はここで働くの?」


 アヤは少し考えてから答えた。


 「うん。でも私一人じゃないの。あなたみたいに元気になった人たちが、“次”をつくっていくのよ」


 「じゃあ……わたしも、大きくなったら手伝う。

 そしたら“誰か”を助けられるでしょ?」


 その言葉に、外の村人たちがざわめいた。


 誰もがどこかで抱えていた“不安”や“恐れ”が、

 この小さな再会と、交わされた約束によって、ゆっくりと溶けていくのを感じた。


 その日の夕刻、アヤは診療所の裏手に回り、木陰に腰掛けていた。


 背後から足音が近づき、やがてそっと声がかかった。


 「……疲れているようだな」


 その声にアヤが振り向くと、そこにはレグニスが立っていた。


 「レグニス……いえ、ありがとう。私は平気。むしろ……この村で、また命の姿を見られて……それだけで」


 そう言って微笑もうとしたアヤだったが、彼女の指先はかすかに震えていた。


 「無理をするな」


 そう言うと、レグニスはアヤの隣に腰を下ろした。


 「君がこうして、誰かを救おうとする姿を見るたびに思う。

 君の命も、また誰かにとって、かけがえのないものだと」


 アヤは、はっとしてレグニスを見つめた。

 その視線は真っ直ぐで、温かかった。


 「私は……」


 言葉を探してうつむきかけたそのとき、レグニスの手がそっと彼女の肩に添えられた。


 「今は、何も言わなくていい。ただ……俺が、君の側にいる。それだけで、いい」


 アヤの胸が、高鳴った。

 鼓動の音が、自分にだけ聞こえるほど大きく感じられた。


 「……ありがとう」


 ぽつりと呟いたその言葉に、レグニスは微笑んだ。


 (この人は、昔から変わらない……私がどんなに傷ついても、黙って隣にいてくれる)


 ふと、過去の情景が脳裏に浮かぶ。

 あの小さな山村で、レイという名の少年と暮らしていた日々。

 苦手な家事を手伝おうとして、熱した鍋に手を伸ばしそうになったとき、レイが慌てて止めた。


 ――その時、彼の手が自分の手を包み、冷水に触れさせてくれた。

 火照った肌に、冷たく優しい水が広がる感触。

 そして、まるで抱きしめるような距離で、自分を見つめていた彼の瞳。


 (……あのとき、もう少しで……)


 アヤは目を伏せた。


 「私、恋愛には……疎いのよ。前世でも、何度も失敗したし。

 でも、あなたの想いに……なんとなく気づいていたのに、ずっと目を逸らしてきた」


 レグニスは、穏やかに頷いた。


 「それでも、俺は君が歩いていく姿を、見届けたかった。

 いつか君が“答え”を見つけた時……その時に、俺を思い出してくれればいい」


 アヤは、そっと頷いた。


 「……その時が来たら、きっと」


 やがて、遠くから診療所の灯が揺れた。

 小さな炎だったが――確かに、暗闇を照らしていた。


 そしてその灯は、ふたりの胸にも、静かにともり続けていた。



◇◇



──ノクス=フィア・式典広場(仮設式典場)


 風が静かに旗を揺らしていた。

 王国の白と金の紋章、魔王国の黒と蒼の紋章、そして中央に掲げられた、境界を持たない“命の印”――聖蛇と大樹を模した新しい紋章。


 それは、今日から始まる“誰の命にも属さない拠点”の象徴だった。

 人間でも、魔族でも、過去に争ってきた者でさえ、ここでは分け隔てなく在るべき命として迎え入れられる。


 仮設された広場には、地元民のほか、王国・魔王国双方からの医術関係者、若き医術士たち、そして一部の報道関係者も集まっていた。仮設ながらも精緻に整えられた舞台には、木製の装飾と簡素な花々が飾られ、式典というよりも「始まりの祈り」の場のようだった。


 壇上には、ふたりの男が立つ。


 ひとりは、金の剣を携えた静謐なる王――レオンハルト=アデルナ。

 もうひとりは、漆黒の外套を翻す若き魔王――レグニス=アーガイル。


 その中央に、白衣をまとった女性が歩み出る。


 アヤ

 医術士として、ただ命のために立ち続けた者。


 彼女は、深く一礼し、式辞を読み上げる。


 「この地、“ノクス=フィア”は、夜を越え、命を繋ぐ拠点です。

 人間、魔族、そのどちらであっても、ここでは“傷ついた命”が分け隔てなく迎え入れられる場所として在ります」


 風が吹き、彼女の白衣が揺れる。その背に、積み上げてきた命の重みが確かにあった。


 「治すことを“国威”とせず、救うことを“思想”とせず、

 ただ、“生きたい”と願う声に応えるために――ここは存在します」


 その言葉に、幾人かの医術士が目元を拭う。

 地元民たちの中には、拍手を送る者もいた。


 アヤが壇を退くと、続いて王レオンハルトが歩み出る。


 「我が国は、命を分けず、恐れず、繋ぐ者とともに在る。

 この契りは“盟約”ではない。

 “共にある”と誓う――それが、我らの選択だ」


 彼の声は静かだったが、確かな響きを持っていた。

 その瞳には、国家の王としてではなく、命を見つめる一人の人間としての意志が宿っていた。


 そして、魔王レグニスが口を開く。


 「我ら魔族は、かつて傷つけ、そして傷つけられた。

 だがその中に、ひとつの“灯”があった。

 それが、この拠点を導いた。ならば我らは、その灯と共に歩む。

 名も、種も、越えて――“命”を信じる道を選ぶ」


 その言葉に、魔族側から深い頷きが送られる。

 彼らにとって、命を語ることは過去と向き合うことでもあった。


 そして、ふたりの王が、調印台に向かう。


 調印台には、銀と黒の羽ペンが並んでいた。

 契約文の下には、国名も種族名もない。ただ、“命に仕える者”という印だけが記されていた。


 レオンハルトが最初に名を記す。

 続いて、レグニスが、静かに羽ペンを走らせた。


 “王”と“魔王”が同じ紙に名を記した瞬間、周囲には一種の静けさと、ざわめきが同時に広がった。


 そして、ふたりが向かい合う。

 握手の代わりに、右手を胸に、左手を宙へ向けて掲げる――王国の礼と、魔王国の誓い。

 その動作が、重なった。


 まるでふたつの国が、ひとつの意思を表すかのように。


 その瞬間、広場にいた人々の中で、何かが変わった。

 それは、単なる協定ではなく、心の在り方が変わったということ。

 “敵”ではなく、“隣人”として立ち合うこと。

 それが、現実になったのだと。


 アヤは、少し離れた場所からその光景を見守っていた。

 彼女の手には、二国の医術士育成合同プログラムの草案が握られていた。


 その紙は、何度も書き直され、角が擦り切れている。


 (……始まったんだね、やっと)


 彼女は息を吐き、空を見上げた。

 遠く、空の上には雲が薄れ、ようやく陽が差し込んだ。


 それは、夜を越えた証だった。

 そして、これからの“朝”を迎えるための、第一歩だった。

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