鉱山村ヴァルニア
──魔王国南方・鉱山村ヴァルニア 夕刻
荒涼とした岩肌に沈む夕陽が、血のように世界を染めていた。村の石畳には乾いた風が舞い、砂ぼこりを巻き上げる。かつては魔王国に豊富な資源をもたらしたこの鉱山村も、今ではすっかりその役目を終えていた。
かつての栄光は崩れ落ち、村人たちは残った土地にしがみつくようにして、日々を繋いでいた。
そんな村の外れ、廃鉱の崖下に建てられた掘削跡の小屋の一つから、荒い息とうめき声が響いていた。
「……う、あ、あがぁっ……!」
若い魔族の青年が、床に伏してのたうち回っていた。
血管は異様に浮き上がり、眼は赤く濁り、指先の爪は黒く変色して牙のように尖っていた。皮膚には鱗のような硬化が始まり、時折、獣じみた低い唸り声が漏れる。
「だめだ……止められん……!」
同胞の一人がそう呟いた。
「魔物化……完全に進行してる……!」
その場に立ち尽くす者たちの間を、ひとりの白衣が駆け抜けた。
「どいてください、私が診ます!」
アヤの声は鋭かった。だが、群れは彼女の前に立ちはだかった。
「無理だ、もう手遅れだ! 魔物になったら、あとは……殺すしか……!」
「まだ“なって”ない!」
アヤは叫ぶように応じ、倒れた青年の傍に膝をついた。脈拍は速く、呼吸は乱れていた。視線は虚空を彷徨い、口元には泡が滲んでいる。
「敗血症……にしては魔力の異常が強すぎる。これは……魔力暴走?」
彼女は銀の簡易スコープを取り出し、青年の耳元から魔力の流れを視認する。
そこには黒く濁った魔力の線――まるで毒が体内を巡っているかのようだった。
「これは感染じゃない。外因性の反応……鉱毒? あるいは……」
「……にいちゃんが……鉱山の奥で……白い粉、拾ってきて……それを……」
小さな声が背後から届いた。少年――患者の弟だった。震える体を隠すように、壁際に蹲っていた彼が、勇気を振り絞って口を開いた。
アヤは鋭く目を細め、次の瞬間、診察鞄から銀色の注射器を取り出した。
「これは王立研究所の試作安定剤……実用には至ってない。でも、今はこれしかない」
青年の首元に静かに針を当て、深く深呼吸する。
「お願い……間に合って」
液体がゆっくりと体内に入っていく。
一瞬の沈黙。
青年の身体がびくりと跳ねた。
緊張に息を飲む村人たちの前で、彼の呼吸が次第に落ち着いていく。そして――
「……あ……おれ……?」
青年の視線が、焦点を取り戻した。
それを見た母が泣き崩れ、村人たちは信じられないように呟いた。
「……魔物にならず……戻った……?」
アヤは、震える手で額の汗をぬぐいながら言った。
「これは、病気と魔力異常の複合反応。片方だけでは治せない。医術と魔術の融合が必要……」
村人たちは言葉を失った。今まで「戻れない」と信じていた魔物化が、今ここで覆されたのだ。
夜、調査に向かった兵たちが持ち帰った報告書には、帝国製の薬品容器と、刻印付きの廃棄ラベルの記録が記されていた。
「……実験か。まさか、この村を“生体試験場”に?」
アヤの声に、調査団の一人が悔しそうにうなずく。
報告を受けたレグニスは玉座にて、静かに目を閉じ、唇を動かした。
「これはもう、偶然などではないな」
そして、その瞳は冷たく遠く――帝国の彼方を睨んでいた。




