魔国の剣
──魔王国・王城跡「白き間」
白銀の月が、廃都の空に霞む。雲の隙間から差す光は冷たく、静寂に包まれた魔王城跡を、まるで遺跡のように照らし出していた。
風は凪ぎ、瓦礫に積もった灰が静かに落ちた。かつての激戦を思わせる傷跡が、そのまま時を止めたかのように残っている。
その大広間の中央に、それはあった。
玉座へと続く階段の前、亀裂の走った大理石の床に、一本の無骨な剣が突き刺さっている。
黒銀に輝く刀身は曇りひとつなく、握り手は煤け、鍔には古い血の染みがこびりついていた。そこに在るだけで空気が張り詰め、誰しもが無意識に背筋を伸ばす。
誰がこの剣を振るったのか――魔王国の者たちは皆、知っていた。だが、それを語ろうとはしなかった。語るには、あまりにも重い記憶がある。あまりにも深い、喪失があった。
「……やはり、抜けぬか」
重々しい鎧を身にまとった魔族の若き士官、ルーガが、剣の傍に跪いた。黒髪を後ろで束ね、鋭い瞳の奥には、諦めきれぬ情熱が揺れていた。
両手で柄を握り、力を込める。だが――剣はびくともしない。
「……っ」
歯を食いしばるようにして力を込めた彼の腕が、今は無力を思い知るように震えていた。
背後から、杖をついた老魔族がゆっくりと歩み寄ってくる。彼はこの城で、最後まで仕えていた従者だった。
「その剣は、百年もの間、誰にも抜けておりませぬ」
「百年も……?」
「はい。かつての魔王ヴァルゼイル陛下が、最後に突き立てられたまま――。以後、剣は主を選ばぬまま、“眠って”おります」
老従者の声には、悲しみと敬意が混じっていた。
ルーガは立ち上がり、玉座を仰ぐ。苔むした装飾、崩れかけた柱。だが、そこには不思議と“気配”が残っていた。誰も座っていないのに、座っているような錯覚を覚える、重たい空気。
「…主を選ぶ、か。剣が。まるで、おとぎ話のようだ」
「ですが、確かにあの方が現れれば――剣は目を覚まし、玉座に王が戻られる」
「“あの方”? まさか、そんな人物が――」
言いかけて、ルーガは口を噤んだ。
自分の胸の奥に、かすかな予感があった。心臓の奥に棲む直感が、“何か”を告げていた。すでに“それ”に手をかける者が、この国のどこかに立っているのではないか、と。
ふと、窓の外に目を向ける。
遥か南――荒野の果てには、人間たちが築いた国アデルナがある。
そして、そこには“あの女”がいた。白衣の医術士。命を救い、敵味方なく癒すという、異端の存在。
「……アヤ、か」
呟いた名に、老従者が目を細めた。
「ルーガ様。そなたは、あの者を信じておられるのですね」
「わからん。だが……彼女の行いが、我ら魔族にとって光となるのなら、もしかしたら――」
そのとき、白き間の空気が微かに震えた。
灰の中から、剣の周囲に浮かぶようにして魔素の粒子が現れた。
「……っ、今のは?」
ルーガが驚いて振り返る。
老従者も、目を細めていた。
「まさか……。剣が――反応を?」
剣が発した魔素の波。それは、誰かを――どこかにいる“誰か”を、呼んでいるようだった。
「やはり……」
ルーガの中で、確信が芽生えた。
この国は、彼女を迎えることになる。
そして、剣は――再び目を覚ます。
数百年の眠りの終わりが、近づいていた。




