燃ゆる灯の、その先に
──帝都南区・臨時診療所、深夜。
漆黒の夜が、帝都の空を覆っていた。冬の名残を引きずる風が、診療所のテントをかすかに鳴らし、空気は静まり返っているようで、どこか張り詰めていた。
その静寂のなかに、彩子の足音が響いた。皇子ユーリの治療を終え、再びこの地に戻ったのは、夜半をすでに回った頃だった。
外気は冷たかったが、診療所内には異なる熱気が満ちていた。痛みと闘う患者たち、疲労にまみれた医術士たち、安堵と不安が入り混じる家族たち──。
しかし誰一人、休もうとする気配はない。それぞれが、自分にできることをただ必死に探していた。
「──戻りました。状態報告をお願いします」
響いた声は凛としていた。疲労を感じさせず、指揮官としての自覚と責任に満ちた声。その声に振り返ったミレイは、一瞬、目を見開いた。
「アヤさん……!」
言葉にならない驚きが、彼女の表情に浮かんだ。
すぐにカルヴァスが立ち上がり、状況を報告する。
「第一区画、呼吸困難症例2名、補助換気を行いながら本部へ搬送済み。症状は安定しています。点滴が間に合えば、今夜は持ちこたえられるはずです。第五区画では、数名の子どもが発熱を訴えています」
アヤはすぐに頷いた。
「了解。私は第五区画に入ります。器具と魔力補助班を手配して」
指示は簡潔で無駄がなかった。反射的に現場が動き出す。
ミレイが急いで彼女の後を追った。
「アヤさん! ……さすがに、少しは休んでください。皇子殿下の処置だって、そう簡単なものじゃなかったんでしょう?」
アヤは歩を緩めずに応えた。
「平気よ。寝るのは、誰かを救った“後”って決めてるの。……私、昔からそうだったから」
それは、彼女の芯にある“譲れない部分”だった。
ミレイは返す言葉を見つけられないまま、その背中を見送った。
(なんだか……懐かしい)
アヤ自身がふと、そんな思いを抱いたのは、その背中に寄せられた視線が、どこか昔の“あの場所”を思い出させたからだった。
救命救急、崩壊寸前の病棟、消えかけた命の灯火──。その一つひとつと向き合ってきた日々。
だが今は違う。
彼女のそばには、確かに仲間がいる。
──数時間後、第二処置室。
簡易式の空気清浄魔術と加湿器具が稼働し、薄い蒸気が室内を包んでいた。蒸気に揺れる光の中、アヤは一心に魔導器具を操作していた。
患者の容態を見極め、必要な魔法と処置を的確に指示し、次の症例へ移動する。
だがその動きに、わずかに乱れが見え始めていた。
額には汗が滲み、呼吸は浅くなり、頬には明らかな疲労の影。
それでもアヤは止まらなかった。
その姿を、室内の片隅で見守る者たちがいた。
帝国の若手医術士たち。初めは王国からの使節を遠巻きに眺めていた彼らも、今では現場の一部となっていた。
「……あの人、いつから休んでいない?」
一人が小声で呟く。
「皇子の診察が終わって、戻ってきてからずっと……」
それを聞いたミレイが、静かに振り返った。
「だから言ったでしょ。アヤさんって、放っておくと倒れるまで働いちゃうんです」
サリアがミレイの肩に手を置く。
「もう、止められるのは私たちじゃない。……今度は、あんたたち帝国の仲間から言ってあげてよ。“共に戦う者”として」
言葉に、若手医術士たちは戸惑いを浮かべた。
だが──
少しの間を置き、一人の青年が小さく頷いた。彼は深呼吸し、処置の合間にアヤの背後へと歩み寄った。
「アヤ様……」
呼びかけに、アヤの手が止まる。
ゆっくりと振り返ると、そこには王国、魔王国、帝国の若者たちが皆そろい、静かに、けれど切実に彼女を見つめていた。
「私たち、もう十分に学びました。今度は私たちの番です。だから……今は、どうか休息を」
アヤは少しだけ目を見開いた。そして、ミレイがそっと口を開く。
「アヤさん、あなたが倒れたら、この現場が止まってしまいます。だから“守るため”にも、今は休んでください」
「──違うわ」
「え?」
「私が倒れても、この現場は止まらない」
静かに、だが確かな声だった。
ミレイは戸惑い、唇をわずかに震わせた。
その表情に、アヤはそっと微笑んで続けた。
「……あなたたちが、ここにいてくれるから。私がいなくても、命を支えられる仲間がいるから、私は安心して眠れるの」
一瞬、空気が震えた。
「交代は、任せてください!」
ミレイが、まっすぐに頷いた。
続けてサリアが頷き、カルヴァスが軽く手を上げ、帝国の医術士たちもそれに続いた。
国を超え、立場を超え、志だけでつながる連帯の輪が、そこにあった。
──その夜、診療所の片隅。
緊急処置用の簡易ベッドの上で、アヤは静かに目を閉じていた。
深く、穏やかな眠り。魔力を使い果たし、身体が自然に求めた休息だった。
そのそばでは、交代した若者たちが忙しく動いていた。診察、処置、記録、補給、声かけ──それぞれが自分にできることを、確かな意志で担っていた。
誰もが気づいていた。
今、彩子が眠れるのは、自分たちが支えているからだと。
王国、魔王国、帝国──。
それぞれ異なる地に育ち、言葉も文化も違う彼らが、いまひとつの医術の灯火を支えていた。
その灯は、やがて“連帯”という名の焔へと変わっていく。
目に見えぬ力を帯びて、帝都という巨大な都市の空気を、確かに変えつつあった。
それは、静かで確かな革命の兆しだった。
命を守るという、ただそれだけの思いが、国を、種族を、思想を超えて――人を、動かしていく。




