命の楔
──帝都ファルセリウス・帝国正門前広場。
白金に輝く街石が、朝の光を反射してまばゆいほどに輝いていた。冷たく澄んだ空気のなか、荘厳たる帝国宮殿の正門が、重々しく音を立てながらゆっくりと開かれてゆく。
広場には既に多数の帝国兵と関係官僚が整列し、遠巻きに民衆の注視が注がれていた。視線は一つの一点に集中する。──アデルナ王国と魔王国アル=グレイドの「医術交流使節団」、その到着である。
騎馬に先導され、幌付き馬車と徒歩の随員が進む。団の先頭に立つのは、深藍の儀礼装に身を包んだ一人の女性、医術大使アヤ。その姿は誇り高く、神殿の祭司のように静謐で、同時に戦場の軍医のような覚悟を背負っていた。
白の羽織は微風にたなびき、胸には黒角の護符──魔王レグニスから託された命の守り。左手薬指には、王レオンハルトの言葉とともに贈られた銀の指輪が、陽を受けて微かに光を宿していた。
中央大通りを進み、厳粛な雰囲気のなか、使節団はそのまま帝国正門を越え、宮殿の奥──御前の間へと通される。
──御前の間。
帝国皇帝エドワール=カストリアが、玉座の高段に静かに座していた。威圧的な装飾はなく、あるのは静けさと統治の象徴たる威厳のみ。その場に集う帝国高官、諜報機関《黒曜》の者たち、そして医術管理局の面々もまた、緊張を滲ませながら居並んでいた。
前に進み出たアヤは、一礼し、そして口を開く。
「……アデルナ王国、および魔王国アル=グレイドより参りました、アヤと申します。このたびは、医術という“命の言語”をもって、陛下と帝国に対話を求めたく、参上いたしました」
その声は穏やかだった。しかし、空気を震わせる芯の強さを孕んでいた。その場にいたすべての者が、自ずと姿勢を正した。
しばしの沈黙のあと、玉座より返る声があった。
「……王でも、貴族でもなく、医術士が先陣に立つとは、なかなかに興味深い」
その言葉に、どこかに試すような、あるいは戯れを装った知略がにじむ。
「だが、その身に二国の信を受けているのであれば……貴女の言葉が“国家の重み”を持つのもまた事実。我は、その“命の言葉”を聞こう」
アヤはひとつ頷き、ためらうことなく一歩前へ進み出た。その背には《灰の鴉》副長カエルが控え、周囲の魔力の流れ、視線の揺れを細かく読み取っていた。
(……これは歓迎ではない。“値踏み”だ。それでもアヤ様は、あの視線のなかに立ち続けている)
玉座の両脇には帝国医術管理局長官クルーグ、《黒曜》の諜報員たちが控え、何重もの“内なる防衛線”が張られているのが分かる。
だがアヤは、怯まず、確かな足取りで皇帝の前に進んだ。
──ほぼ同時刻・アデルナ王宮・国王執務室。
王国の国王レオンハルトは、書類の束を整理する手を止め、一通の報告に目を通していた。
【第1報】
彩子殿、御前の間にて無事発言完了。緊張の兆候見られるも、態度・発言ともに揺らぎなし。
皇帝陛下、予想より柔軟な応対。敵意の直接表出なし。
帝国医術局、及び《黒曜》関係者数名、会場に展開中。
レオンハルトはその報告をそっと伏せると、左手の指輪に指を添えた。
「……君は、見事にその場所に立ったな」
その声は誰にも向けられず、ただ窓の外へと静かに溶けていった。
──帝国・御前の間。
「……貴女に“観察の目”が注がれるのは、変革の象徴として恐れられているからだ。だが同時に、“変わろうとする者”が、貴女の中に何かを見ている」
皇帝の言葉は鋭くも温度を持ち、場にさらなる緊張を与えた。
アヤは迷わず、一歩前へ出る。
「私は、変革者ではありません。ただ、“変わりたい者”、“生きたいと願う者”に、手を差し伸べたいだけです。人も魔族も、命に違いはありません」
沈黙。
帝国高官たちの視線がざわめくなか、皇帝が静かに問う。
「……では、すべての命を救えるか?」
その問いに、アヤはためらいなく答えた。
「いいえ、私は神ではありません。万能でもない。すべての命を救うことはできません。それを私は、痛いほど知っています」
一部の官僚が小さく息を呑み、さざめきが広がる。
だがアヤは、まっすぐに続けた。
「それでも、目の前の命が“生きたい”と叫ぶ限り、私はすべてを尽くして“生きなさい”と支え続けます。それが、私にできる唯一の誠実です」
その言葉には、清廉な祈りと、人としての限界を受け入れたうえでの強さがあった。
再び沈黙。
やがて、皇帝エドワールは、小さく頷いた。
「……よかろう。ならば我が帝国にて、“共に学ぶ場”を設けよう。ただし、汝自身に問い続けよ──『そなたの命の行いは、帝国の未来を照らす光となるか』」
アヤは深く一礼する。
「陛下、ひとつだけ願いがございます」
「申せ」
「帝国において、私の医術に関わる魔法の使用に、いかなる制限も設けないでください」
その場の空気が再びぴんと張り詰めた。
皇帝は片眉をわずかに動かし、静かに問う。
「すべてを晒すと?」
「はい。隠すつもりはありません。信頼を得るには、こちらがまず差し出さなければならないと思っています」
一瞬の間を置き、皇帝は、唇をわずかに緩めた。
「よかろう。我が名のもとに、その許可を与える」
「陛下!」
帝国医術管理局長官クルーグが思わず声を上げるが、皇帝は片手を静かに振って制す。
アヤは深く頭を下げ、御前の間をあとにする。向かう先は、帝国医術管理局──対話の次なる舞台だ。
その足音は、帝国の石畳に確かな痕を残した。
命を繋ぐという名のもとに、ひとつの扉が開かれた。吹き込む風はまだ冷たく、警戒に満ちている。だが、その中にはたしかに──“希望”という名の、熱があった。
アヤという一人の医術士が、いま帝国に「命の楔」を打ち込んだのである。




