技と信念の狭間で
──セラヴィア渓谷・連携拠点 第2研修棟・実習室、翌日。
講義が終わった午後、実習室にはまだ数人の研修生が残り、資料を整理していた。その中に、ミレイ、サリア、カルヴァスの姿があった。
そこへ現れたのは、帝国からの視察者――セイラン=ヴァルメル。
前日の救護での活躍が、少なからず拠点内の空気を変えていた。
「……帝国の方が、こちらへ?」
サリアが一歩前に出て、慎重な声で問いかける。
「視察者としてではなく、“医術士”として意見を聞かせてほしい。昨日の戦傷処置……君たちの協働が見事だったから」
カルヴァスが眉を上げ、ミレイは少し視線を逸らす。
「帝国の人に褒められるって……なんか妙な感じ」
「私の言葉が“褒め言葉”に聞こえたなら、それは君たちが“結果”を出したからだ」
冷静で率直な声だった。
ミレイがじっと彼を見つめ返す。
「……あなたも、あの場では手を止めなかった。それは評価する。けど聞くわ。“帝国”は本当に、私たちと“同じ命”を見てるの?」
一瞬の沈黙。だが、それを破ったのはカルヴァスだった。
「彼は昨日、俺の隣で動いた。“国”ではなく、“命”を見ていた……そう感じた。少なくとも、俺は」
「……カルヴァス」
「俺だって最初は、帝国人に背を見せるつもりなんてなかった。けど、目の前で血を止めようとする姿を見たら……肩書きなんて意味がなかった」
セイランはゆっくりと目を伏せ、そして口を開く。
「私の任務は“調査”だった。だが昨日、少しだけ……その意味が揺らいだ。今の私は、学びたいと思っている。君たちと同じ場所で、“命を繋ぐ術”を」
その言葉に、サリアが静かに頷き、言った。
「だったら、一つだけ覚えておいて。“命”に国境はない。でも、“信頼”には時間がかかる」
「肝に銘じよう」
セイランは、はっきりと頭を下げた。
その姿を見て、ミレイが少しだけ口の端を上げる。
「……まあ、見せてもらうわ。“帝国流”じゃないあなたの“やり方”を」
──この日を境に、セイランは正式に「共同研修観察員」として、研修チームの一部活動に同行することが認められた。
異なる背景を持つ若者たちが、少しずつ歩み寄っていく。
医術という“たったひとつの共通語”が、分かたれていた壁を静かに削り始めていた。
*
その様子をエリシアから報告された彩子は、そっと微笑を浮かべた。
(国が違っても、命に対して同じ志を持つ若者たち……なんだか懐かしい)
──前世の記憶がよぎる。
現場の理不尽、己の無力、どれだけ努力しても救えなかった命。
それを乗り越えるために、仲間の笑顔が、励ましが、どれだけ支えになったことか。
「……私も、負けていられないわ!」
「えっ、アヤ? 誰かと勝負ですか?」
エリシアが目を丸くする。
「ええ、私自身とよ」
そう言って、彩子はニッと笑った。
(明日は魔法を用いた手術実習。レオンハルトは“能力の開示”を心配してたけど……私は“ありのまま”を見せる)
その決意が、静かに胸に宿る。
窓の外から、春を運ぶような風がふわりと吹き込み、二人の白衣を優しく揺らした。
──セラヴィア渓谷・連携拠点 第3実習棟、翌日・午前。
「魔法糸での縫合処置に入ります。観察と補助班、配置について」
仮設の術室に、彩子の張りのある声が響いた。
実習対象は、昨日の小競り合いで負傷した補給部隊の魔族兵。左肩の裂傷は骨に至らないもので、本人の希望により、術式見本として臨床演習に協力していた。
「アヤ様に治療していただけるとは光栄です」
傷口を晒しながら笑うその様子は、とても負傷者とは思えない。
「ありがとう。あなたの協力が、皆の学びに繋がります」
彩子もまた、丁寧に礼を返す。
医術士見習いたちのみならず、職員たちも手を止め注目していた。
「異種族の筋繊維密度を考慮して、魔力注入量と縫合の引き具合を調整。この傷は骨に至っていませんが、骨まで達する場合には、洗浄をより慎重に行います」
手元に浮かべたウォーターボールを、創部にそっと注ぐ。
「洗浄しながら創部の深度測定と組織観察。浮遊魔法生物による映像記録を併用して、状態を全体で共有します」
空中に飛ぶ蜂型の魔法生物が患部の映像を投影壁に映し出す。
セイランの目がかすかに揺れる。
(こんな記録技術があるのか……帝国では筆記記録が主流だった。これでは、比較にもならない)
「ちなみに今回は麻酔を行いません。患者本人の希望により、“痛みの強さを知りたい”とのこと。ただし途中で中止する判断も私が責任をもって行います」
説明と同時に、彩子は魔法糸で縫合を開始した。滑らかに動く指先、魔力の制御、適切な距離感。どれもが“実践の積み重ね”そのものだった。
(……これが、本当に“敵国の医術士”なのか)
彼女の技術に、そしてその教え方に、セイランは目を奪われていた。
「セイランさん、縫合部の確認をお願いします」
突然の指名に少し動揺しつつも、彼は手袋越しに患部に触れる。
確かに整った縫合痕と、魔力の均一な波動。
「……処置、問題なし」
「ありがとう。帝国の人でも、衛生基準が高くて助かるわ」
「当然です。感染症対策に妥協はありません」
一瞬のやりとりの中に、確かな“共通言語”があった。
(……学びたい。この人の手から)
*
──夜、帝国陣営仮詰所・セイラン私室。
「……セイラン=ヴァルメル。報告せよ」
魔導通信端末から、《黒曜》の冷たい声が響いた。
「“アヤ”の活動は?」
少し間を置いて、セイランは応える。
「……王国軍および研修生との協調を継続中。指導は実地形式、魔族・人間の生体差を前提とした独自の技術体系に基づくもの。視察に支障なし。帝国医術士との衝突も確認されていません」
《黒曜》の声音がさらに鋭くなる。
「帝国にとって“有益な情報”は?」
「……技術的価値は高い。ただし、詳細は整理中」
その言葉に、即座に詰問が飛ぶ。
「報告を濁しているな。感情か?」
(……違う。“人”を見てしまったんだ)
「任務は、対象の弱点を探ることでした。しかし、彼女は“敵意の外”に立っている……命に対してだけは、純粋に真摯です」
《黒曜》の声は、冷たく告げる。
「感情は捨てろ。報告の遅延は“敵に同調した”と判断されかねん」
通信が切れる。
──残された静寂の中、セイランは窓辺に立つ。
(……このまま、彼女を“報告義務の対象”として扱えるのか?)
その心の天秤には、任務という名の“忠義”と、現場で触れた“誠実”が、拮抗しながら静かに揺れていた。
そして、まだ彼自身にも、答えは出せなかった。




