届かせたい想い
──アデルナ王宮・離宮執務室、夕刻。
夕暮れの金色の光が、窓から差し込む。机の上には整然と積まれた報告書。その脇に、一枚の手書きの草案を握りしめた彩子がいた。
「……落ち着いて。これは、ただの“思いつき”じゃない。私の中では、ずっと温めてきたこと」
胸元に手を添え、深く息を吐く。
(帝国と、正面から“医術”で向き合う。そんな日が来るなんて──)
帝国との緊張が続く中でも、感染症への対応においては、共通の課題が山積していた。命を守るという一点において、敵味方の区別は無意味だと、彩子は強く信じている。
(憎しみで全てを覆う前に、話すべき人がいるなら──私は歩み寄りたい)
──扉がノックされ、中から落ち着いた声が響いた。
「どうぞ」
「失礼します。少しだけ、お時間をいただけますか」
彩子の前にいたのは、アデルナの王にして、彼女が最も信頼を寄せる男──レオンハルト・アデルナだった。
「もちろん。顔を見れば分かります。……何か、思い詰めているようですね」
見透かされたような言葉に、彩子は肩の力を抜き、苦笑した。
「……実は、“帝国と医術の協力体制を探れないか”という提案を考えています」
レオンハルトの表情がわずかに引き締まる。
「帝国と?」
「はい。すぐに信じるわけにはいきません。でも、命を救いたいという思いで動いている医術士は確かにいると思うんです」
「……戦火の裏にも、確かにそういう者がいる。私も、そう思いたい」
彩子は手元の草案をそっと差し出した。
「“連携拠点”の一角に“観察協力区”を設けるとか、限定的な“症例情報共有”から始めるとか……。第三者的な立場を貫く形での交流窓口を作れたらと」
レオンハルトは資料に目を通し、静かに息を吐く。
「……危険を伴う提案です。帝国は君の存在を、今も“排除対象”として見ている可能性が高い。だが──」
彼は一歩、彩子に歩み寄り、まっすぐに目を見た。
「君が命を懸けて“繋ごう”としているのなら、私はそれを“守る”準備をする。たとえ、それがこの国の重圧を招く道でも」
彩子の瞳が揺れた。
「……本当に?」
「ああ。これは“王”としての判断ではない。“君の隣に立つ者”としての返答だ。だが、そのための準備は必要になる」
彼のその言葉に、彩子は深く頷いた。
「……まずは、帝国内の動向と医療事情の把握から。学術交流も重ねて、信頼を築くしかないわね」
「うん、医学交流はいい。学び合い、理解する道は、敵意よりはるかに強いはずだ」
──命をめぐる争いに、もう一つの道を。
それは刀剣ではなく、“医の知”で橋を架ける、小さな──けれど確かな第一歩だった。
帝国医術士セイランの来訪
──セラヴィア渓谷・連携拠点中枢棟、午前。
高原を渡る風は乾いていて冷たく、まだ建設の匂いが残る連携拠点の仮設棟では、魔族と人間の共同作業が淡々と進められていた。
「……帝国医術管理局より派遣されました、セイラン=ヴァルメルです。“医術交流視察団”の一員として、本拠点の調査を許可されております」
淡々とした口調。青年は青灰色の帝国ローブに身を包み、艶のある黒檀の杖を手にしていた。感情の起伏のない声に、王国側の案内係も一瞬警戒を滲ませるが、事務的に視察が始まった。
(……王国の医術者たち。記録で読んだ以上のものは、今のところない)
セイランの目は鋭く、冷静だった。施設の構造、備品の配置、資料の整理法。視線は一瞬たりとも無駄なく動き、まるで精密機械のように全てを観察していく。
──だが、途中。 仮設訓練棟の裏手で、彼の足がふと止まる。
微弱な魔力干渉音。見慣れぬ波形。
そこにいたのは、十数名の若き研修生たちに囲まれ、ひとり膝をつく女性だった。
「吸入薬の効果が出るまで、慌てて魔力で対処しようとしないこと。……呼吸を整えて、肺に酸素をきちんと送ることが先よ」
彼女は、研修生と同じ目線の高さで静かに語っていた。 声に怒気も苛立ちもない。ただ“知識”と“思いやり”だけがそこにあった。
──誰かが、彼女の名を呼んだ。
「……アヤ先生」
(……これが、対象人物)
セイランは任務の情報と照合するように目を細めた。 が、その直後、研修生のひとりが薬の容器を取り違え、手が震えて一歩後ずさる。
一瞬の静寂。だが──
「大丈夫。あなたの判断は間違ってない。ただ、順番が少し違っただけ。やろうとしたことは正しいわ」
女性──彩子は、何も責めることなく、その子の手をそっと取った。
(……否定しない)
それは、セイランの知る帝国では稀有な行動だった。 帝国では、失敗は即ち“下位の者の責任”。上が謝ることはなく、間違いは“記録されるべき瑕疵”であり、“口答えできない結果”だった。
(……帝国にはいない、“導く者”の形だ)
記録に書かれた“命を救う知識と技術を持つ医術士”。だが今、目の前の女性は、“ただの技術者”ではなかった。
(……この人は、“記録”にも“分析”にも収まらない)
《黒曜》からの指令が脳裏に浮かぶ。
『彩子という人物の真価を探れ。弱点、癖、帝国への関心。あわよくば、接触と影響の余地を探れ』
だが、今の彼の胸を満たしているのは──
(……知りたい。この人が“何を信じて、誰のために医術を使っているのか”)
それはもう、任務というより、医術士としての“問い”だった。
──セイラン=ヴァルメルは表情を崩さず、再び視察の足を進める。
だがその歩みの先にある“目的”は、少しずつ、確かに変わりつつあった。




