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揺れる火種

──セラヴィア渓谷・連携拠点建設地、深夜。


夜霧のなか、静かに灯る仮設の警備塔。

その下で、《灰の鴉》所属の監察員リズが、定時巡回を終え、無線に報告を入れる。


「周囲異常なし。……ただし、東側補給路に微弱な魔力痕跡。帝国式、陽属性偽装……識別符号は“黒曜”系列の可能性あり」


直後、遠くから風を切る音──!


「っ、隠れろ! 罠だ!」


爆ぜる魔力罠。仮設テントの一部が吹き飛び、駆け寄った現地警備兵が弾き飛ばされる。


──しかし、その直前。警備区画の外縁で黒装束の男が捕縛されていた。


「……この者、荷運び班に擬態していた帝国の“術録搬送員”です。初動時の物資検品中、魔力紙を二重底に隠し所持していました」


報告するのは、カルヴァスだった。

落ち着いた声だが、目には緊張が宿っている。


「輸送魔術の痕跡から見て、拠点構造図やスタッフ配備記録が転送されていた可能性があります」


拘束された男の手首には、帝国医術団の印章が焼き付けられていた。


「……情報戦の手口も、もはや“医療の仮面”を被った侵略行為と変わりませんね」


静かに呟いたのはサリア。隣で、ミレイが肩を震わせながらも前を向いている。


「……私たちが作ろうとしている“命を守る場所”への攻撃だなんて……!」



彩子は白衣で登場した。

翌朝、被害状況と逮捕者報告を受けた彩子は、凛とした声で言った。


「私たちは、誰も“敵”とは見ない。けれど、“破壊しようとする手”は、確かに拒みます」


彼女の言葉は、報告席にいた他国出身のスタッフたちにも届いていた。


そして、灰の鴉副長・カエルが一枚の報告書を提出する。


「この者が帝国情報部“黒曜”の現場工作員である証拠、及び、今後の再潜入の経路予測です。既に監視網は強化済み。また、魔王国アル=グレイドからも警備強化の協力申し出があり、この後調整を図ります」


彩子は報告を受けた後ずっと前から考えていた思いつきをレオンハルトに相談しようと決意した。



──王宮への報告を受けた魔王国王・レグニスは短く呟いた。


「“帝国の嘘”が、命の場所を壊そうとした……ならば、次は“真実”を盾に、国を守るしかないな」


彼は密かに、帝国に近い魔族貴族層への調査を命じた。



──ザラディア帝国・中央医術局地下記録庫。


長く張り詰めた沈黙の中、ただ羽ペンの音だけが響いていた。


資料棚に囲まれた記録室の一角、帝国医術局の高等技術官《セレスト=ヴァインベルク》は、密かに複写した報告書に目を通していた。


それは、王国と魔王国が共同で設立した連携拠点に関する内部記録──そして、そこに関わる医術士たち、特に「医術士アヤ」に関する詳細な行動記録。


(……これは、戦術じゃない。生き方の記録だ)


彼女の判断、対応、思想──それらはすべて、ただ“命を守るため”にあった。


──数年前。 帝国医術局の名のもとで行われた“魔法耐性強化手術”により、命を落とした少年の姿が、ふと脳裏をよぎった。


(あのとき、私は「命令だから」と、技術だけを信じて、疑わなかった)


そして今、自分の前にあるこの報告書の中の彩子は、どんな場面でも「命に向き合う姿勢」を崩さず、あらゆる人種・種族・立場を分け隔てなかった。


「……私は、何のために医術を学んだ?」


呟いた声に答える者はいない。 だが、セレストの心の中で何かが確かに揺れ始めていた。


資料を閉じ、彼女は密かに懐へと一通の私信を差し込んだ。


──宛先は、魔王国経由の王立医術院・研修統括室。


「“私の医術”は、まだ、やり直せるだろうか」


帝国の中にも、静かに「共鳴」は芽生えつつあった。



──魔王国アル=グレイド・辺境、カル=ザラム渓谷の村。


霧が漂う石造りの集落。その一角に、カルヴァスの一族が代々守ってきた古の診療舎がある。


その夜、灯りの落ちた診療舎の裏口に、黒い外套をまとった男の影が立った。


「……古き誓約の守人、ヴァル=カル家にご挨拶を」


現れたのは、《黒曜》帝国諜報部の上級工作員――ディセル。


応じたのは、カルヴァスの叔父・ダグリス。壮年の魔族であり、かつて戦地に医術士として赴いた経験を持つ男。


「帝国の者が……我らの地に何の用だ」


「ご挨拶を兼ねて。今は“命の価値”が問われる時代。我々も視野を広げねばと思いまして」


ディセルは文書を差し出す。それは、カルヴァスの王立医術院での活動記録を断片的に切り取ったもの。


「甥御は、王国の人間たちと極めて親密に接しています。特に“アヤ”という女と」


「それがどうした」


「忠誠の対象が変われば、一族の立場も揺らぎます。“民”より“王”に寄れば、いずれ烙印を押されるのは彼自身」


ダグリスの目が鋭く光った。


「貴様たちの国家が、どれだけ“命”を道具にしてきたか……忘れたとは言わせんぞ」


「では、その命を“守る”者が誰に操られているか──証拠をご覧に入れましょう」


ディセルが封筒を差し出す。


中には王都で撮影されたカルヴァスとミレイの会話が映された写真数枚。しかし、それはあたかも監視・操作されているように“編集された偽映像”だった。


ダグリスはそれを一瞥し、冷たく言った。


「……我らは“共に命を救う”誓いのもとに、あの子を信じている。それだけだ」


「信じる者が裏切ったとき、真っ先に傷を負うのは“残された者”です」


風が冷たく吹き抜け、ダグリスが無言で杖の柄を握る音が響く。


「帰れ、《黒曜》。ここは“癒す者”が住まう家だ。病も、欺瞞も、ここでは癒せぬ」


ディセルは一礼しながら、皮肉げに言葉を残した。


「……では、“彼の未来”が崩れたとき。その時こそ、声をかけさせていただきます。お忘れなきよう」


霧の中に姿を消すディセル。


ダグリスは溜息を吐き、口元を緩めた。


「フフ……坊や、貴様は確かに良き師を得たな」


──そのとき、気配に気づき振り返ると、月明かりにエリシアの姿が現れる。


「やっぱり接触してきたね。でも、よく“映像が偽物”だって見抜けたね」


ダグリスは肩をすくめて答える。


「なに、たまたま“アヤ様”と話す機会があってな。甥の近況を聞いたばかりだったのですよ。“彼女の目”は――まったく侮れん」


「本当に、よく見てらっしゃるから。……全く、取り越し苦労だったかもね」


エリシアは肩の力を抜き、小さく笑った。


(……本当にかなわないわ)


──帝国との水面下の情報戦は、すでに始まっていた。


けれど、信じる者の眼差しと、積み上げた絆がある限り、彼らは決して孤立しない。


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