言葉の向こうに
──王立医術院・特別応接室、夕刻。
研修制度の進捗確認と、魔王国との協定文書の再調整。その名目で、アデルナ王レオンハルトと、魔王国の新王レグニス=アーガイルが再び対面していた。
部屋の空気は落ち着いていたが、彩子の指先だけはわずかに震えていた。
(……あの会話を、読んでしまった。けれど、どうしても、黙っていられない)
──一段落した空気を見計らって、彩子がそっと口を開いた。
「……あの、おふたりに……ちょっとだけ、話したいことがあるんです」
レオンハルトとレグニスが同時に彼女に目を向ける。その視線に、わずかな緊張が走る。
「戴冠式の後に……おふたりが交わした対話。正式に情報開示されてた会談記録で……読みました」
一瞬、空気が静止する。
「……本来なら、君に知られることのない会話だった」
レオンハルトが、穏やかな声音で応じた。
「でも、読んでもらえてよかった。……むしろ、伝わっていたことが嬉しい」
レグニスもまた、どこか安堵したように微笑んだ。
彩子は、胸の内を確かめるように言葉を紡いだ。
「私の“自由”を守るって……そんなふうに思ってくれていたなんて、正直驚きました。だけど……それ以上に、救われたんです」
ふたりの王は、言葉を挟まずにじっと耳を傾けていた。
「ずっと、『誰のものにもならない』って言い聞かせていたけれど……たぶん、本当は“誰にも壊されない場所”を、私自身が求めていたのかもしれません」
声が震える。だが、彼女の瞳はまっすぐだった。
「その場所を、“王”としてじゃなく、“一人の人間”として差し出してくれたのが……あなたたちだった。嬉しいような、恥ずかしいような、でも──本当に、感謝しています」
沈黙が、室内に優しく流れた。
やがて、レオンハルトが立ち上がり、そっと彩子の手を取る。
「ならば、私の願いはもう果たされている。君がここで、こうして笑ってくれていることが──この国にとって、何よりの希望だから」
「……私も同じです」
レグニスがゆっくり立ち、椅子の背から手を離した。
「“君の隣に立つために王になった”わけじゃない。でも、君がこの世界にいる限り……その未来を守るのが、僕の責務だと信じています」
彩子はふたりの王を見つめ返し、そして、ふっと微笑んだ。
「……ほんとにもう、ずるい王様たちね」
少し涙ぐんだ瞳を、笑みで誤魔化すように彩子は肩をすくめる。
けれど、その胸の奥には、確かな想いと誓いが、静かに根を下ろしていた。
“守られること”は、“信じられていること”。
そして、“歩みを止めない理由”。
──彩子は、ようやくその意味を全身で受け入れていた。
──王立医術院・戦略会議室、夜。
明かりを落とした会議室の中、中央の丸卓を囲むのは三人だけだった。
アデルナ王・レオンハルト。
魔王国アル=グレイド王・レグニス。
そして、王立医術院長・彩子。
「本日は“公式会談”ではない。……だが、未来に関わる“大きな話”を、ここから始めたいと思っている」
レオンハルトの言葉に、レグニスが静かに頷いた。
「国と国。種族と種族。私たちはこれまで、“境界線”の中で動いてきた。だが、本当の意味で命を救うには──その線を越える仕組みが必要だ」
彩子は、卓上に一枚の布図を広げた。
「これは……?」
「“中立型連携拠点”の初期案です。アデルナとアル=グレイド、双方から等距離にある地に、“医術士と魔術医、研究者と学徒が共に学び、治療し、技術と理念を交差させる場所”を創る」
二人の王の視線が布図に注がれる。
「王立医術院の分院、あるいは“連合医術局”という形になります。国籍、種族を問わず受け入れ、特に感染症や災害時には“相互防衛協定”の下、即応チームを派遣できる機能も備える」
「……それはもう、単なる医療施設ではないな」
レオンハルトが小さく呟く。
「はい。これは“国境をまたぐ命の安全網”です。未来の人々が“敵”ではなく“治す相手”として手を差し伸べられるように──その仕組みの礎です」
一拍の静寂ののち、レグニスが口を開いた。
「……それを、君が言うから信じられる。命において、彩子ほど“公平”な人間を、僕は他に知らないから」
レオンハルトもまた、彩子の横顔に目を向けた。
「だがこれは、君一人の理念で終わってはならない。“国家”の責任として共に築く。君にすべてを背負わせはしないと、ここに誓う」
──三人の間に交わされたのは、契約ではなく“信義”だった。
「ふたりとも……ありがとう」
彩子は、深く頭を下げた。
その瞬間、かすかな風が会議室の窓を揺らし、書類の端をめくった。そこに記された文字は、彩子の手による新たな理念。
《命は、国を超える。知識は、種族を繋ぐ。未来は、共に築くもの》
それは、かつて一人の看護師が背負い、今ではふたりの王とともに“形”へと進もうとしている誓い。
──世界は変わり始めていた。




