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―老公爵と医術士

──セラフォード公爵邸・夜、書斎。


静かな蝋燭の灯が古い書棚を照らし、わずかに乾いた紙の香りが漂う部屋の中で、アリステア=セラフォード公爵は一人、深い沈黙の中にいた。


机上に置かれているのは、王との会話を書き記した私的な記録帳。 古びた革の表紙には名も紋も記されておらず、ただ彼の“思考の履歴”だけが詰まっている。


「……あの子は、もう“王”になったのだな」


ぽつりと漏れた独り言。


その眼差しも、言葉の選び方も、かつて自分の前で“躊躇”と“理想”に揺れていた若き王子とは違う。


「だが、それが誰の功績か……老骨にも、見えているとも」


ペンを置き、記録帳をそっと閉じると、静かに立ち上がる。


書棚の奥から取り出したのは、一枚の招待状。 差出人は──“医術士アヤ”。


「直接、話しておかねばなるまい。あの方が、王を支え得る“器”かどうか……いや、すでにその証左は出ているか」


彼の声は、どこか楽しげでもあった。


(“信頼”とは、問いかけてこそ得られるものだ。ならば、私もまた、ひとつ礼をもって返すべきだろう)


扉の外では、孫のレインズとセリナの気配が遠くに感じられる。


だが今、彼が向き合おうとしているのは、若き未来そのもの──


「……さて、“王妃殿下の候補”と、じっくり話すとしようか。余計な前提を外してな」


老公爵の背は真っ直ぐだった。 年老いてなお、彼は“国を測る眼”を失っていなかった。


──王国という舞台の裏で、もうひとつの“確かめ”が始まろうとしていた。


--


──中央衛生局・会議室(王立医療院予定地)


窓から午前の陽が差し込む中、古びた石造りの建物の一室に、彩子は一枚の大判の設計図を広げていた。


椅子に腰をかけて対面しているのは、セラフォード公爵アリステア。


その姿勢は端正に整っていたが、重ねられた年月と膨大な政務経験からくる沈黙の重さが、その場に張り詰めた空気を作っていた。


「──これは、現在の王都と地方における診療の格差を是正し、“誰もが命の価値を等しく扱われる社会”を目指した医療機構の中枢です」


彩子の声は静かで、けれど一つひとつの言葉に揺るぎがなかった。


「王都の者だけでなく、辺境の村にも、治癒の手が届くように。貴族の子も、労働者の子も同じように予防接種や基礎診療が受けられるように」


公爵は無言のまま、設計図に目を落とす。

記されていたのは、地域別の拠点診療所の構想、巡回医療車の導入、魔力記録と症状記録を照合する仕組み──

そして、種族問わず医術士を育成する研修制度の提案。


「理想論だと思われるかもしれません。でも、私は“始めなければ、何も変わらない”と思ってるんです」


しばしの沈黙ののち、老公爵がゆっくりと口を開いた。


「君は“命の平等”という言葉を信じている。だが、国とは“不平等”によって回っている側面もある……その現実も、知っているか?」


「はい。現実を見てきたからこそ、変えたいんです」


即答だった。


「人の命に貴賤があると信じているわけじゃない。けれど、それを“疑わずに済む仕組み”を、誰かが作らなきゃいけない。それが、医術だと信じています」


老公爵は、ゆっくりと背を椅子に預けた。


「……君が若ければ若いほど、私のような者は不安を抱く。だが、君の言葉には“痛みを知る者”の重みがある」


そして設計図の端に手を置いた。


「……この構想、君ひとりの手では足りぬ。だが、王が惚れるだけの“気骨”は確かに見た」


その言葉に、彩子は一礼した。


「ありがとうございます。……私は、王の婚約者である前に、“命を診る者”でありたいのです」

打診があったわけではない。

でも彩子は感じていた.....。自分を祭り上げようとする者たちがいることを。




公爵は目を細めた。


「ならば、私も“老いの名残”を賭けよう。“この国に医療を根付かせる”という理想に、君が立つならば」


──その言葉は、まるで静かな承認の印だった。


石造りの会議室に、春の光が差し込んでいた。


彩子が広げた設計図の上にも、確かな“希望の光”が差し始めていた。

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