静謐なる対話
──セラフォード邸・書斎。
午後の陽が柔らかに差し込む中、老公爵セラフォードは、書物の並ぶ静かな部屋で二人の孫と向き合っていた。
「おじいさま、“アヤ先生”の話、今日もしていい?」
少女──公爵の孫娘・セリナ(10歳)が、両手を揃えて尋ねる。
「ええ、もちろん」
もう一人の少年、レインズ(13歳)は少し照れながらも頷いた。
「前に離宮に行ったとき、先生が火傷の患者を治してたのを見たんだ。……すごかった。誰も騒がないように言葉をかけて、治療も早くて……なんか、王様みたいだった」
「“王様みたい”とは?」
公爵が目を細めると、レインズは少し考えて言い直す。
「ううん、“王”っていうより、“止まらない人”。誰が何を言っても、自分のすべきことをやってる感じだった」
「うんうん、あとね、お薬が苦くて泣いてる子に、先生がすっごく優しくて……でも甘すぎなくて、ね?」
セリナの声に、公爵はふっと笑う。
「君たちは、“アヤ殿”をどう思う?」
「先生だよ! うちのお医者様より、ぜったい話わかってるし!」
「私は……すごく好き。優しいのに、ちゃんと怖い。だから、安心できるの」
その言葉に、公爵は静かに頷いた。
「……“尊敬”は、理屈ではない。君たちはそれを“肌”で感じたのだな」
孫たちは顔を見合わせて、元気よくうなずいた。
セラフォードは、窓の外の庭を見ながら、誰にも言うことのなかった本心をひとつだけ呟く。
「──なるほど。時代が動くというのは、こういう“声”から始まるのかもしれぬな」
──アデルナ王国・貴族院議場。
分厚い法案書が並ぶ議場の一角、重厚な椅子に座したセラフォード公爵は、他の保守派議員たちのざわめきを静かに見つめていた。
「まったく、あの異邦の女を“賓客”として迎えるとは……!」
「王は国の秩序を見失っているのではないか?」
──そんな声が飛び交う中、誰もが公爵の発言を待っていた。
筆頭公爵、そして王国随一の“中庸なる知恵者”として、セラフォードは長年、保守派の「まとめ役」として君臨してきた。
だが彼は、時代の流れを“拒む”のではなく、“整える”ことを自らの役割と定めていた。
「……お前たちは、彼女を“女”として見ている。だが私は、“力”として見ている」
「力、ですと?」
「この王国の中で、“魔力にも医術にも代替されない命の技術”を持つ者は、アヤ殿ただ一人だ。王が彼女を守ろうとするのは、情ではない。“戦略”だよ」
議場の空気が、一瞬で静まる。
「我ら保守派の役目は、ただ反発することではあるまい。“壊れぬように、受け入れる”という選択もまた、王国を守る知恵だ」
その言葉に反論できる者はいなかった。
──セラフォードは、「保守の牙城」でありながら、「変化の隙間を見逃さない男」だった。
だからこそ、王も皇太后も、彼の証言を“盾”とし、同時に“楔”としたのである。
──アデルナ王宮・西塔書斎。
外の陽は既に傾き、書斎の中は暖炉の灯と机上の燭台のみが静かに揺れていた。
レオンハルトは文書を閉じ、深く息をつく。対面には、長年王政を見守ってきた男──筆頭公爵、セラフォードが静かに椅子に腰を据えていた。
「……わざわざお時間をいただき、感謝します」
「その礼、要るかね? 君が王である限り、私には応じる義務がある」
セラフォードの声は老練ながらも、どこか柔らかい余白を含んでいた。
「先の夜会での宣言──勇気あるものだった。だが、“王家の賓客”という位置づけ……それは仮初めの“盾”でもある。君はそのことを、承知の上で?」
「もちろんです。ですが、どれだけ仮初めであっても、“私の意志”である限り、王国はそれに従う。必要なのは、“始まり”です」
「……君の父君にも似てきた。若い頃の、特に“信念の強さ”がな」
セラフォードはグラスに口をつけ、少しだけ目を細める。
「だがレオンハルト、君の隣に“異邦の女”を据えるということは、政の秩序に“感情”を持ち込む危険をも意味する。その先にある反発や、信義の崩れ──君は、それに耐える覚悟があるのかね?」
レオンハルトは目をそらさなかった。
「私は、“想い”を王政に持ち込んでいるつもりはありません。ただ、彼女の存在がこの国の“新しい可能性”だと信じているだけです」
「……それでも、彼女を選ぶのか?」
「彼女の“意志”が、それを拒まぬ限り──はい。私は、彼女と共にある未来を選びます」
しばしの静寂。
セラフォードはグラスを置き、立ち上がった。
「ならば私は──保守派の矛を引かせよう。君の選択を“国益”として語る用意はある。……ただし、一つだけ条件がある」
「……お聞きしましょう」
「君自身が迷わぬこと。そして、どんなに彼女が人々の批判に晒されようとも、決して“庇護の言葉”で黙らせようとするな。王が民の上に立つのは、支えるためではなく、背中で“覚悟”を見せるためだ」
レオンハルトの胸に、その言葉は深く沈んだ。
「……心得ています。私自身が、その覚悟を貫いて見せましょう」
セラフォードは一度だけうなずき、背を向けた。
「君の父も、かつて一度だけ“感情”で政を選んだ。──だが、君にはそれを“運命”に変える力があると信じているよ、若き王よ」
重々しい扉が閉まったあと、レオンハルトはただ静かにその背中を見送っていた。
(“王”である前に、“人”である覚悟──それを私は、彼女を通じて学んでいる)
手元には、彩子と過ごした数少ない手紙の一枚があった。
──それは、国家の重みと、たった一人への想いが交差する、静かな決意の夜だった。