アンナの村へ
「立てる?」
アンナが心配そうに彩子に手を差し伸べた。
彩子は一瞬だけ迷ったが、少女の手を取った。
まだ頭の中は混乱していたが、体に大きな痛みはない。
──誰かが何かを言っていた気がするが、それはアンナではなかった。
「うん……なんとか」
ふらつきながらも、彩子は立ち上がった。
陽光が木漏れ日となり、草の匂いを乗せた風が頬を撫でる。
ふと、差し出されたアンナの腕に擦り傷があることに気が付いた。
浅いが血がにじみ、見るからに痛そうだ。
「この傷、どうしたの?」
「これ? あぁ、さっき茂みで棘に引っ掛かっちゃった。大丈夫だよ」
アンナは笑って見せたが、彩子は黙って自分の周囲を見回した。
すぐそばに、いつも使っていたメッセンジャーバッグが落ちているのを見つける。
中から取り出したのは、見慣れたハンカチ。
(これしかないけど……)
一番深そうな傷にそっとハンカチを広げて掛けた。
その瞬間──
「……あれ?」
広げたハンカチがアンナの腕にふわりと触れた途端、血が消え、傷が塞がっていた。
「まぁ! アヤは治癒の魔法が使えるのね!」
目を輝かせて叫ぶアンナ。
しかし、彩子はただ茫然と立ち尽くす。
魔法?
治癒?
……異世界転生? いや、転移?
しばらく混乱する彩子に、アンナは無邪気な笑顔を向け、改めて彩子の手を取って感謝を述べた。
「ありがとう! 村のみんなにも紹介したいわ!! 来て!!」
確かにここで置いて行かれても困る、と辺りを見回す彩子。
どう見ても森の中だ。
「じゃあ、よろしくお願いします。アンナ」
二人は並んで、アンナの村へと歩き出した。
森の小道は、踏み固められてはいるが素朴な土の道だった。
鳥のさえずり、遠くから聞こえる小川のせせらぎ。
病院の無機質な音とは、まるで違う。
(まるで、絵本の中に迷い込んだみたい……)
そんな感慨を抱きながら、彩子はふと問いかけた。
「アンナ。ここは──どんな村なの?」
アンナは振り返り、にこっと笑った。
「小さな村だよ。エルネアの森の中にある“フェリア村”。
人もそんなに多くないし、みんな顔なじみ。
困ってる人がいたら、助け合うのが当たり前なんだ」
(助け合う……か)
その言葉に、彩子の胸が少しだけ温かくなった。
仕事に追われ、誰かに頼ることも、頼られることも忘れていた日々。
思えば、心から「助け合う」なんて、どれだけ遠ざかっていたのだろう。
「ねえ、アヤ。アヤって、どこから来たの?」
無邪気な問いかけに、彩子は一瞬だけ言葉に詰まった。
(……どこから、って)
東京?
日本?
それとも──あの世界?
答えようのない問いに、彩子はただ小さく微笑んだ。
「ちょっと、遠いところから──かな」
それを聞いたアンナは、嬉しそうに目を輝かせた。
「そっか! じゃあ、新しい家族みたいなものだね!」
彩子の胸の奥に、少しずつ、張り詰めたものがほどけていく。
見上げた空は、どこまでも青く澄んでいた。
この世界で、もう一度歩き出す──そんな予感が、確かに胸に芽生えていた。
やがて森を抜けると、木造の家々が並ぶ小さな村が見えてきた。
フェリア村──どこか懐かしい、温かな光景だった。