静かなる観測者
──アデルナ王宮・離宮大広間、宴の余韻。
音楽が再開し、貴族たちが再び会話を交わす中。
大広間の一隅、金色の杯を静かに揺らす男の姿があった。
セラフォード公爵──アデルナ保守派の筆頭であり、王家の遠縁にあたる名門の主。
その眼差しは、壇上から離れたばかりの皇太后と、微笑みを浮かべるレオンハルト王を遠くから静かに見つめていた。
「……見事な一手だよ、レオンハルト陛下」
誰に語るでもない、低い独白。
「“王家の命を救った者”と、“筆頭公爵家の証言”。これでは、余人が口を挟める余地などあるまい」
彼は杯を傾けながら、隣に控える老従者に小声で問いかけた。
「反対派は?」
「数名、視線を伏せております。殿下の御発言以降、手の内を引いた様子で」
「当然だ。あれが“宣言”ではなく、“詰めの一手”だと気づいたのだろう」
公爵は、ちらと遠くに立つ彩子を見やる。
(……平民出身。異邦の出。にもかかわらず、王と皇太后をこの場に立たせた。血でも財でもなく、“実績”を以て。なるほど)
ふ、と目を細める。
「時代が動くな。だが、動くからこそ、我々の“役割”も終わりではない」
従者が小さく頷く。
「私の名が“証言者”として用いられたこと──構わぬ。むしろ歓迎しよう」
「……殿下」
「それが“王の盾”たる者の務めよ。民草が混乱せぬよう、上が“ぶれずにある”よう、土台を支えるのが古き者の務めだ」
彼は杯を置き、ゆっくりと立ち上がった。
「私はもう、変革を拒む者ではない。だが──“変革を導く者”が本当に、王たる資格を持っているか。それだけは、最期までこの目で見極める」
──その背は老いてなお、堂々としていた。
時代の端に立ち、静かに、鋭く、“未来”を測る老獅子。
セラフォード公爵の観察は、今も続いていた。
──離宮・中庭回廊。
夜宴のざわめきから少し離れた、月光の差す石畳の通路。
彩子は、少し歩き疲れた身体を休めるように、低い欄干にもたれていた。
「──良い夜ですな、アヤ殿」
ふいにかけられた低い声に、彩子は振り返る。
そこに立っていたのは、装飾の少ない黒杖を携えた白髪の老紳士──セラフォード公爵だった。
「……公爵閣下」
彩子はすぐに頭を下げかけ──彼の手が静かにそれを制した。
「お気になさらず。今宵は宴の夜。私もただの老人として、少し話をしに来ただけです」
「……わかりました」
彩子は立ち位置を整え、彼の横に並んだ。
セラフォードは月を仰ぎながら、静かに言葉を紡ぐ。
「貴女が我が家の離宮に入った日──私は正直、疑っておりました」
「……でしょうね」
「だが、実際に貴女の術を見たとき。……いや、術だけではない。あの場で我が家の医師たちを指揮し、誰も死なせなかった。あれは、“奇跡”ではなく“判断力”と“覚悟”の結果です」
彼はゆっくりと彩子に目を向けた。
「我々貴族は、“血筋”を誇るものです。だが、この国を動かすのは──それだけではない。“命を守る者”は、時に“王”以上に民に近く、深く、重い」
「……私には、そんな大きなことはわかりません。ただ目の前の命を守ってきただけです」
「だからこそ、私は貴女に一つだけ申し上げます」
セラフォードは杖をついたまま、ゆっくりと一歩、彩子の方へ進み出る。
「これから、貴女の周囲には“王妃”という言葉が付きまとうでしょう」
彩子の背筋がわずかに強張る。
「私は、保守派の筆頭としてそれを受け入れたわけではない。……だが、ひとつだけ確信したのです」
「……なんでしょうか」
「我が孫たちに、貴女の話をさせたとき──皆が、貴女を“先生”と呼んだ」
彩子は目を瞬いた。
「“尊敬”は、血でも地位でも買えぬ。貴女が与えているのは、言葉ではない。“背中”だ」
セラフォードはふっと笑みを浮かべた。
「貴女がこの国の未来に関わること。……私は、“選び方”を見続けさせていただきます」
それは、批判ではなく、“支える側の覚悟”だった。
「ありがとうございます。……私も、選び続けるつもりです。どこにいても、自分の足で」
「その言葉を忘れぬ限り──誰が相手でも、王妃にさえなれましょうよ」
月光の下、白髪の老公爵は一礼し、杖をついてゆっくりとその場を離れていった。
残された彩子は、ふと夜空を見上げる。
──その背に、“重く、けれど優しいまなざし”が今も残っているようだった。




