―エリシアの接触―
フェリア村・早朝。 霧がうっすらと丘を覆う中、彩子は薬草の乾燥棚を点検していた。
ふと、背後に微かな気配を感じて振り返る。
「おはようございます、アヤさん」
声は柔らかく、しかし芯がある。 目の前に立っていたのは──紅の瞳を持つ魔族の女性。漆黒のローブに身を包んだ、あの副官──エリシアだった。
「……あなたが、リュシアンの副官?」
「はい。正式な挨拶はこれが初めてですね。私はエリシア=ノルグレイ。リュシアン殿下の盾にして影です」
彩子は視線を逸らさず、静かにうなずいた。
「ここまで来るってことは、何か“大事な話”なんでしょう?」
エリシアはわずかに目を細めて微笑むと、薬草棚の前に腰を下ろした。
「ええ。今日は、私たち魔族の“本音”と、帝国の動きについて、包み隠さずお伝えするために来ました」
▪️ 帝国の動き
「帝国──ザラディアは、あなたの医術を“国家の資源”として手に入れようとしています。
現時点では“静かな接触”にとどめていますが、次は確実に拉致か取り込みに動くでしょう」
「もう始まってるってことね」
「はい。先日、帝国の密偵がこの村に入りました。ですが、彼らは──“眠っていただきました”」
(眠らせた?)と眉をひそめる彩子に、エリシアは紅い瞳で静かに告げる。
「殺してはいません。ただ、“意識を奪っただけ”です。
リュシアン様の命がなければ、私はもっと……実力行使に出ていたかもしれません」
「……彼は、そこまで私を守ろうとしてくれてるの?」
「ええ。彼にとってあなたは、たった一人の“人間の中の例外”なんです。
“命に種族の差はない”──その信念に触れた時、彼の中で何かが動いた」
彩子はしばらく黙っていたが、小さく息を吐いて言った。
「じゃあ、帝国は私を“使いたい”だけ。魔族は“私の存在を見ている”。そういう構図ってことね」
「正確に言えば、魔族内部でも意見は分かれています。
あなたを“脅威”と見る者も、“道具”と見る者も、“救世”と見る者もいる」
▪️ 魔族の本意
「私は、あなたを“可能性”だと思っている。
魔族がこれまで触れ得なかった、人という種の“本当の強さ”。それを、あなたから感じるんです」
エリシアは視線を上げ、まっすぐ彩子を見た。
「あなたの手は“武器”じゃない。けれど、帝国に渡れば、それは戦術になる。
私たちはそれを恐れている。けれど……同時に、“希望”にもしたいとも思っているんです」
「……希望?」
「はい。“魔族と人とが共に生きる”未来を。
それを語るには、今まで多くの犠牲がありすぎました。けれど、あなたなら、きっと境界を越えられる」
沈黙が落ちる。 朝の霧が、ほんの少しずつ晴れていく。
「ねぇ、エリシアさん」
「はい?」
「あなたはどうしたいの?」
その問いに、エリシアはわずかに目を見開き、そして──苦笑いした。
「私個人なら、できることなら、あなたと“肩を並べて”何かを築きたいと思っている」
「それは……リュシアンの意思とは別に?」
「彼は理想を貫こうとしている。私は……彼の理想を守るためなら、現実と手を組むことも厭わない」
「……強い人だね、あなた」
「いえ。あなたの方が、よほど強い」
そう言ってエリシアは立ち上がると、腰に付けた小さな封筒を差し出した。
「これは魔族の里での会合への招待状。
リュシアン様が直接、あなたと“立場を越えて”話をしたいと願っています」
彩子は受け取った手紙を見つめながら、静かに言った。
「……わかった。少し、考えさせて」
「もちろん。私はいつでも、影の中からあなたを見ています」
それが“警告”ではなく、“誓い”のように響いたのは、エリシアの目が真剣だったから。
やがて紅の瞳が霧の中へ消えた後も、彩子はずっとその場に立ち尽くしていた。
両手の中にある小さな封筒の重さが──未来を選ぶ重さとして、静かにのしかかっていた。




