ー交錯する影と揺れる沈黙ー
──王都滞在、五日目の夜。
フェリア村に帰る支度をしながら、彩子は荷物の整理をしていた。
寝台の上には薬草と資料、街で仕入れた薬品、レイが丁寧に畳んだ衣類。
「レイ、ありがとう。荷造りの手際良くなったね」
「慣れたからね。でも……アヤ、少し話があるんだ」
レイの声は穏やかだったが、どこか張り詰めたものがあった。
「なあに? 真顔だけど、怒ってる?」
「……アルバートって、本当にただの商人だと思う?」
その言葉に、彩子の手が止まった。
「どういう意味?」
「昨日行った屋敷の部屋、調度品も広さも、すべて並みの貴族以上だと思う。もしかしたら王族かもしれない」
「……王族?」
「うん。“アルバート”って名乗ってるけど……あの人、多分、“王”だよ。アデルナ王国の」
言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が静かに揺れた。
彩子はレイの目をじっと見つめた。
「……そっか、やっぱり。気づいてた?」
「少しだけ。でも、気づかないフリをしてた。アヤが笑って話してるのを見て、否定したかったのかもしれない」
「……そうだったんだね」
彩子は荷物を置き、ベッドに腰を下ろした。
「私は、最初から彼が“普通の人じゃない”って分かってた。でも、それでも一緒にいる時間が心地よかった。レイがそばにいたから安心できたのもある。それに、相手が王族や王様でも命に違いはないでしょ?」
レイはしばし沈黙し、静かに言った。
「アヤ……僕は、あなたが誰かに傷つけられるのを見たくないんだ。王っていうのは、たくさんのものを背負ってる。正義も、戦争も、人の命も。あなたは、誰かを見捨てられない人だろ? だから心配になるんだよ」
その言葉に、彩子の胸が少しだけ熱くなった。
「ありがとう、レイ」
「……それに、もし本当に“彼”が王なら、きっとあなたに“選ばせよう”とする日が来る。僕は、あなたが自由でいられることを願ってるよ」
(選ばせようとする日──)
彩子は心の奥で、その言葉が小さな鐘のように響いた。
(この先、私はどこまで“人を救う”ことを貫けるだろう)
ふっと立ち上がり、ランプの明かりを少し落とす。
「明日は村に帰ろう。しばらく静かな場所で、頭を冷やしたい」
レイは頷き、笑みを見せた。
「うん。僕はいつでもアヤの味方だからね」
──王都滞在、最終日の夜。
宿屋の灯りは薄暗く、街の喧騒は遠くにぼやけていた。
窓辺に立つ彩子は、静かに月を見上げていた。
(……明日は村に帰る)
そう思うと、少しだけ名残惜しい気持ちが胸に浮かんだ。
王都での出会いと出来事は、どれも鮮やかで、濃密だった。
「……アヤさん」
扉の向こうから控えめな声。
聞き覚えのあるその声に、彩子は振り向いた。
「アルバートさん?」
「少しだけ、お時間をもらってもいいですか?」
ふたりは宿の中庭へ出た。
静かな石畳の通路に、夜風が草花の香りを運んでくる。
「帰られると聞いて……どうしても、少しだけ話がしたかったんです」
「そうなの? じゃあ、ちょうど良かったわ。私も、ちゃんとお礼が言いたかったの」
彩子の笑みは、あたたかく、けれどどこか名残惜しげだった。
「王都での数日間、あなたのおかげで、ずいぶん救われた気がするの。……ありがとう」
「……それは、こちらこそ。あなたがいてくれて……とても、助かった」
レオンハルトの声に、ほんの少しだけ翳りが滲む。
「アヤさん」
その声音に、彩子がゆっくり振り向く。
「……あなたは、本当に“すごい人”だと思います」
「医術のこと? それとも──気づいてること?」
「……どちらも、かもしれません」
沈黙。
──このまま、“王”として明かすべきか。
それとも、“アルバート”として残るべきか。
(名を明かせば、彼女の心に“距離”ができる)
(けれど──偽りのまま、離れてもいいのか?)
言葉が喉元まで込み上げては、引っ込んでいく。
そんな葛藤を見透かしたように、彩子が先に言った。
「……言わなくていいわよ。私は知りたいと思わないから」
レオンハルトの目が大きく見開かれる。
「立場や名前より、私は“目の前のあなた”を見てる。
だから、もし何かを言いたくなったら、その時に言って。私はそれで十分」
(……何もかも、見抜かれていたんだな)
彼女はただの医術士ではない。
命の重さと、心の動きと、人の裏と表を、何よりよく知っている人だった。
「……ありがとう。言葉に、救われました」
ふと、風が吹いた。
夜空の月が、二人を優しく照らす。
「じゃあ、またね。次に会うときも“アルバートさん”なのか、“別の名前”なのかは、お任せするわ」
彩子の瞳に、柔らかな光が宿っていた。
レオンハルトはそれに、ただ深く頷いた。
「……また、必ず会いましょう。アヤさん」
彼女が去ったあとも、彼はしばらくその場に佇んでいた。
──「本当の名前」を、呼んでもらえる日を願いながら。




