―王国の接触―
──アデルナ王国・王都。
玉座の間に隣接する、記録にも残らぬ小部屋。
若き国王レオンハルト・アデルナは、静かに机の前に腰を下ろしていた。
目の前に立つのは、王直属の影──灰の鴉の一人。
黒衣に身を包んだ密偵だった。
「“アヤ”という女──その所在は?」
「はい。フェリア村から姿を消して三週間が経過しました」
「……行方は?」
「家には“薬草採取に森へ向かう”との張り紙がありました。
無理やり連れ去られた様子は見られません。魔族領の奥部での目撃報告が一件──ただし、確証はありません」
「囚われている可能性は?」
「低いかと。むしろ自らの意思で滞在していると見ています」
レオンハルトは短く黙考し、静かに命じた。
「接触を試みよ」
「……非公式で?」
「ああ。ただし“王命”を名乗ることは禁ずる。
あくまで一人の旅人として、静かに様子を探れ」
「畏まりました」
密偵は音もなくその場を去った。
──三日後、フェリア村。
彩子とレイは久方ぶりに我が家へ戻ってきた。
「なんだか、生き神様みたいに祭り上げられるところだったわね」
「それだけ、みんな嬉しかったんだよ」
レイが淹れた茶を飲み、彩子の表情がふっと和らぐ。
彼女の心には、治療の中で得た多くの学びが静かに積み重なっていた。
その時──
「すみません、どなたかいらっしゃいますか」
扉を叩く声が響いた。
レイが立ち上がって扉を開け、旅装束の男を迎え入れる。
「ありがとうございます。村の方から、こちらで診てもらえると伺いまして……。
私は王国の商家の者でして、主の使いで帝都に向かっていたのですが──どうにも胸がもやもやとして、焼けるように苦しくて……」
彩子は無言で右目を使って診察する。
(……食道炎。だけど軽度、現代でいうところの“胸やけ”ね)
「少し待っててね」
薬棚から粉薬を取り出し、水に溶かす。
手際よく差し出されたコップを、男は恐る恐る受け取り、においを嗅いだ。匂いはない。
恐る恐る口に含むと──
「……すっ……としますね。ああ、胸の違和感がひいていくようです」
「すぐには治らないから、これを持っておいて」
彩子は薬包紙に包んだ粉薬を三つ置き、用法を書いた小さな紙も添えた。
「ありがとうございます! それで、お代は……?」
「王国の銅貨一枚で」
「……えっ? 安すぎませんか? 王都の治療院なら銀貨二枚からですよ?」
彩子が首を振る様子に、それ以上の支払いは無理と判断したのか、男は素直に銅貨を差し出す。
「では、もし王都にお越しの際は、主の店にお立ち寄りください。
“クレイグ商会”と申します。きっと主も、あなたのお話を聞きたがると思います」
そう言って、男は丁寧に頭を下げ、薬を道具袋にしまって帰っていった。
「いつ行けるかわからないけど、機会があったら寄らせてもらうわね」
扉を閉めると、レイが不満そうに口を尖らせた。
「……怪しいよね」
彩子は苦笑しながらも、心の奥でその可能性を否定はしなかった。
(“王国”……来たわね)
何かが、確かに動き出している。
窓の外では、青空に一筋の雲が広がり始めていた。
風が吹き抜け、空気の匂いが微かに変わってゆく。
──まるで、これから起こる変化を予告するかのように。