―診察と最初の救命―
魔族集落
村長の許可が下りた直後から、彩子は一切の迷いなく動き始めた。
「まず、症状がある者はこの建物に集めて。
外から入ってくる者は、靴を脱がせて。あと、布があれば足を拭いてもらって」
驚くほど自然に命令を出す彩子に、
魔族の若者たちは戸惑いながらも、しぶしぶ従い始めた。
(反感を買うのは分かってる。でも、時間がない)
その目はまさに「救急の現場」のそれだった。
◆
彩子は持参したノートに症状を記録しながら、
右目で“診る”ことを繰り返していた。
(発熱、脱水、下痢、嘔吐──やっぱり感染性腸炎。恐らく水から)
住人に水源を案内してもらい、汚れた水桶と苔の浮いた井戸を見て、確信する。
「この水、全滅する前に封鎖。
誰も触らないよう張り紙──じゃなかった、“目印”をつけて」
住人の一人が聞き返す。
「……魔法じゃ治らなかったのに、本当にお前の手で何かできるのか?」
「できるわよ。時間はかかるけどね」
その断言に、一瞬沈黙が流れる。
やがて、ひとり──年老いた魔族の女性が、彩子にすがるような目を向けた。
「……うちの子が、高熱で意識を失ってるんです。
魔力も反応がなくて……もう、だめなんでしょうか……」
案内された建物の隅には、布の上に横たえられた少年がいた。
レイより少し幼い。額は赤く、唇が乾ききっている。
(脱水と高熱。発熱性の意識障害──やばい)
彩子はすぐに布袋から道具を取り出し、魔族たちの視線も気にせず動いた。
「水と塩、それに……この薬草。
煎じる時間がないから、直接口に含ませる」
砕いた葉を布に包み、水で濡らしてしぼる。
少しずつ、少年の唇に触れさせていく。
(がんばれ。体が反応さえすれば……)
やがて──
「……っ」
少年の指が、わずかに動いた。
「動いた!?」
母親の声が上がる。
彩子は慎重に額の汗を拭きながら頷いた。
「熱は下がり始めてる。
このまま脱水を防げれば、朝までには意識が戻るはず」
部屋が、静まり返った。
初めて、魔族たちが「彩子の行動に成果があった」と実感した瞬間だった。
母親が涙を流しながら、土に額をこすりつける。
「ありがとう……ありがとう、人間さま……」
「頭なんて下げないで。私は“命”に礼を言われるためにやってるんじゃないの。
生きてるって、すごいことなのよ」
彩子の手は、冷たくなった少年の指をしっかりと包み込んでいた。