―命を前にして―
森をさらに奥へ進み、霧のかかる峠を抜けた先。
レイの案内で辿り着いたその場所は──
魔法結界により、外界から完全に遮断された隠れ里だった。
木々に溶け込むような灰茶のあばら家。
石や泥を積んだだけの、崩れかけた小屋。
フェリア村と同程度の規模ではあったが、その暮らしぶりは明らかに違った。
何より──空気に混じる、生臭い腐臭が鼻を突いた。
(……衛生状態は、かなり悪い。水も、空気も澱んでる)
彩子は里を通りながら、右目で住人たちを“診た”。
目に映るのは、咳き込み、熱に浮かされ、倒れている者。
傷を放置して膿んだままの者。
病気が確実に、蔓延しつつある兆候。
(ケガ人もいるけど……これは完全に感染症。広がる前に止めなきゃ)
「アヤ、こっち」
レイが袖を引き、村の中で最も大きな家へと招き入れた。
内部もまた、装飾らしきものはなく、古びた獣皮が床に敷かれている程度だった。
家の奥、敷物にどっしりと腰を下ろしていたのは──
全身をたてがみのような金毛に覆われた、ライオンに似た魔族の長。
(……レイと同じような人型は、ここにはいないのかしら)
彩子は静かに頭を下げた。
「アヤといいます。突然押しかけて申し訳ありません。
早速ですが、感染が広がるのを防ぐため、以下のことを行います。
一:感染者の隔離。
二:周囲の清潔保持。
三:飲み水のろ過と煮沸処理。
以上、早急に着手したいと考えています」
その場にいた複数の獣人たちが、どっと声を上げた。
「勝手なことをするな!」
「人の分際で命令するつもりか!」
「余計なことはするな、今まで通りでいい!」
唸るような怒声と、獣じみた威圧感が空間に満ちる。
だが──彩子は怯まなかった。
静かに、けれどはっきりと視線を返す。
「──苦しんでいる仲間を、助けたいの? それとも、見殺しにしたいの?」
その言葉に、ざわめきが止んだ。
「私は“人”かもしれない。けれど、レイと、あなたたちの命を区別したことはないわ」
獣人の長は黙って彩子を見つめる。
その金色の目に、鋭さと、わずかな揺らぎがあった。
「言葉で納得しなくていい。
ただ、私が“治したい”と思ってるだけ。
それが受け入れられないなら、ここを出るわ」
静けさの中、レイが前に出た。
「……僕が保証する。アヤは、本当に人を助ける人なんだ。
僕だって、助けられたんだ。だから、お願い……信じてあげて」
沈黙が落ちる。
数秒後──
「……いいだろう。好きにやれ」
ライオンのような長が重くうなずいた。
「だが、結果が出なければすぐに出ていってもらう。いいな、人間」
「もちろんです」
彩子は再び頭を下げた。
だがその目には、少しも迷いはなかった。
命の前では、種族も立場も関係ない。
ただ、救いたい──それだけ。




