新しい歴史
──王宮の夜の静けさ──
祝言の宴が終わったあとも、王宮にはまだ微かな灯りが残っていた。各部屋で余韻に浸る者たち、酒を酌み交わしながら語り合う者たち、そして静かに夜空を仰ぐ者たち――それぞれがこの日という特別な時間を、それぞれの心で受け止めていた。
だが、最も深い静けさに包まれていたのは、王宮の奥にある主寝室だった。
レグニスとアヤの新たな生活の始まりを象徴するその部屋は、宵の月光が差し込む高窓のそばに、大きな天蓋付きの寝台が設えられていた。白銀と深紫を基調とした室内は、過度な装飾を避けつつも上質な布地と彫刻が施され、まるで時を止めたような穏やかさを漂わせていた。
レグニスは寝台の傍らに立ち、窓の外に浮かぶ夜空を静かに眺めていた。その横顔には、戦場でも政務の場でも見せたことのない柔らかな影が落ちていた。
「……この夜を、どれだけ願ってきただろうな」
彼の胸に広がるのは、ようやく得た穏やかな未来への実感だった。戦火の中で生き延び、孤独の中で王として歩んできた年月。それを支えてくれた存在――アヤが隣にいる。彼女がいなければ、この未来はなかった。
後ろから、足音もなく近づいたアヤがそっと声をかける。
「……レイ、外は綺麗?」
レグニスはゆっくりと振り向き、微笑んだ。その瞳には、深い愛情と尊敬が宿っていた。
「綺麗だ。けれど、君の姿には敵わない」
「またそういうことをさらっと言う……」
アヤは頬を染め、照れ隠しのように窓の外へ視線を向けた。
ふたりは並んで窓際に立ち、静かに夜風を感じた。
「ここに来る前、私は死んだの。前の世界で。だから……こうして、あなたと同じ夜を迎えられる日が来るなんて、思ってもみなかった」
「俺も、だ。……あのとき、封印の間で君が倒れた時、心臓が止まるかと思った」
「私だって……あなたの体温が戻らなかったら、どうしていたか……」
言葉は少しずつ、互いの胸の奥から零れていく。それはまるで、夜空に浮かぶ星々のように、静かで確かだった。
レグニスはそっとアヤの手を取り、自らの胸元に押し当てた。
「今ここにあるこの鼓動は、君が守ってくれた命だ」
「違うよ。あなたが私を信じてくれたから……生きようとしたの。どちらが欠けても、私たちはここにいない」
彼の手がそっとアヤの頬に添えられる。
「もう、君を一人にはしない」
「私も。どこまでも、あなたと共に生きていく」
夜風がそよぎ、カーテンが小さく揺れた。
静寂の中に、ふたりの誓いだけが、そっと灯された。
──翌朝のふたり──
陽光が柔らかく差し込む朝。
窓の外からは鳥たちのさえずりが聞こえ、王宮の朝はいつものように始まっていた。だが、ふたりにとっては初めて迎える「夫婦」としての朝だった。
アヤは、いつものように早く目を覚ました。
横を見ると、深く眠るレグニスの穏やかな寝顔があった。
(……この顔、戦場にいる時と全然違うんだ)
ゆっくりとその額に手を伸ばし、前髪を優しく払った。
「おはよう……レイ」
その声に応えるように、レグニスの瞼がゆっくりと開いた。
「ん……おはよう、アヤ」
彼の声は掠れていたが、そこには深い安堵と喜びが混ざっていた。
「眠れた?」
「ああ。君の隣だから、ぐっすりだ」
レグニスは手を伸ばし、アヤの手を取った。
「夢かと思った。こうして君が隣にいることが」
「夢じゃないよ。……これから毎朝、あなたの隣で目を覚ますの」
その言葉に、レグニスの表情が緩む。
「幸せだな、俺は」
「私も。こんな日が来るなんて、思わなかったから……」
しばらくふたりは、言葉もなく手を繋いだまま、静かに時を過ごした。
ふいに、外からノックの音が聞こえる。
「……失礼いたします、レグニス様、アヤ様。お食事の用意が整っております」
レグニスは小さく息を吐いて笑った。
「現実が戻ってきたようだな」
「うん。でも、ふたりで迎える日常なら、きっと楽しい」
アヤはゆっくりと寝台を降り、レグニスに手を差し出した。
「行こう。今日から、また新しい日が始まる」
「君と共に。喜んで」
ふたりの手は、もう離れることはない。
その朝の光の中で、互いを見つめ合うふたりの姿は、未来を照らす光そのものだから。




