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未来を共に

──神殿──


 朝霧が神殿の参道を薄く覆い、陽光の粒が降り注ぐ中、空は静かに青を深めていた。

 神殿を囲む森は、まるで今日という日を祝福するように風の歌を奏で、小鳥の囀りは高らかな祝詞のように響いていた。


 神殿の中央、大理石で造られた祭壇は、白銀の布で覆われ、淡い青と金の花弁がその上を彩っていた。魔王国において、これほど華やかな式典が行われるのは、数十年に一度のことだった。

 参列者の列は、神殿の外にまで続いていた。魔族の貴族たち、王国から訪れた医術士や高官、果ては帝国の改革派代表の姿も見られた。


 その中でひときわ目を引いたのは、ノクス=フィアから訪れた若き医術士たちだった。


 「……緊張するな……」

 ミレイはつぶやき、カルヴァスが隣で苦笑する。

 「緊張してるのはお前だけじゃないさ。だって、アヤ様が今日……あの魔王陛下と、結婚されるんだから」

 「ううん、きっとあの方にしかできないことだよ。種族の境界を越えて、手を取り合うって……簡単なようで、誰にもできない」


 サリアは医術士の若者たちを見守りながら、ふと神殿の奥へ目をやった。

 そこには、神官たちが準備を整え、静かに祭壇の周囲を清めていた。香が焚かれ、青白い煙がゆっくりと天井へと昇っていく。


 そして——扉が静かに開かれた。


 その瞬間、神殿にいたすべての者たちが息を呑んだ。


 陽の光が差し込む中、アヤが姿を現したのだ。


 白銀と蒼の儀礼装を纏った彼女は、光を浴びてまるで天より舞い降りた精霊のようだった。彼女の歩みはゆっくりと、しかし一歩一歩が確かな意思に満ちていた。


 その姿に、老いた魔族の長老が静かに目を細める。

 「……異なる時代の記憶を抱きながら、それでも今を生きている……そういう存在だな、彼女は」


 やがて彼女の前に、レグニスが立つ。

 漆黒の礼装に身を包んだ彼は、先ほどまでの緊張をどこかに置いてきたような穏やかな眼差しで、彼女を迎える。


 アヤの目もまた、まっすぐに彼の瞳を捉えていた。


 「来てくれて、ありがとう」

 レグニスの声は、彼女だけに聞こえるほどの小さな囁き。


 「こちらこそ……迎えてくれて、ありがとう」

 アヤもまた、微笑みながら応える。


 神官が一歩前に出る。


 「ここに、魔王レグニス・アーガイルと医術士アヤが、未来を共に歩むことを誓います」


 祝詞が奏上される中、祭壇の魔法陣がゆっくりと光を帯びる。純白の光は彼らの足元から立ち昇り、周囲の空気までも清めるように広がっていった。


 「この誓いは、血の違いを超え、時の境を越え、あらゆる壁を越えて——」


 神官の言葉とともに、レグニスがアヤの指に指輪をはめる。

 それは、魔王家に代々伝わる特別な指輪であり、本来なら王族の中でしか交わされることのない象徴だった。


 「アヤ……君と生きるこの世界が、俺のすべてだ」

 その瞳には、王としてではなく、ひとりの男としての真摯な想いが宿っていた。


 アヤは、胸にせり上がる想いを押さえながら微笑んだ。


 「私も……あなたの隣で、命を守りながら生きていく」


 誓いの口づけのあと、神殿は拍手と歓声に包まれた。


 その瞬間、ミレイは目に涙を浮かべながら呟いた。

 「……本当に、幸せになってほしい……アヤ様……」


 カルヴァスはその肩をそっと叩きながら、目をそらさずにいた。

 「俺たちは、あの背中を見て成長してきたんだ。これからも、ついていくさ」


 神殿の高台では、リュシアンが静かに頷いていた。

 その視線の先で、誓いを交わしたふたりは、ゆっくりと手を取り合い、参列者たちの祝福の中を歩み始めた。


 それは、新たな歴史の一歩だった。

 

 そして誰もが知っていた。

 この日を迎えるまで、ふたりがどれほどの困難を越えてきたかを。


 だからこそ——


 この祝福は、ただの祝言ではなく、未来へ向かう誓いそのものだった。




──宴の夜──


 祝言の後、王宮の広間では盛大な宴が開かれていた。煌びやかな燭台が列をなし、色とりどりの花が飾られた空間には、魔王国の貴族、王国の使節、医術院の若き才能たち、そして魔族と人間の友好を象徴する多くの来賓が顔を揃えていた。


 杯を交わし、音楽が流れ、祝福と感嘆の声が飛び交う中——アヤは静かに立ち上がった。


 場にいる誰もが、その動きに気付き、次第に会話を止めていく。


 柔らかな儀礼衣を身に纏い、光を受けて淡く輝く銀糸が揺れる中、アヤは穏やかに微笑みながら壇の中央に歩み出た。


 少しの沈黙の後、彼女はゆっくりと語り始める。


 「私は、かつて人間としての命を終え、この世界に辿り着きました」


 会場に静寂が訪れる。すでに知る者もいたが、それは公に語られる機会ではなかった。


 「気がつけば、見知らぬ土地で、見知らぬ人々に囲まれていました。ですが——そこで出会ったのが、この国でした。違う種族、違う価値観、違う身体の構造を持つ者たちが、それでも“生きる”ということに向き合っていたのです」


 彼女の瞳は、遠くを見つめるように柔らかく、それでいて確かな意志に満ちていた。


 「医術士として、私は多くの命と向き合ってきました。手を伸ばしてくれる人がいて、共に汗を流してくれる仲間がいて。だから、今日ここに立てています」


 その言葉に、サリアやミレイ、カルヴァスら医術院の仲間たちが小さく頷いた。


 「魔王国も、王国も。魔族も、人間も。医術士も、兵士も。立場や種族は違っても、命を守りたいという想いは同じです」


 その声は、穏やかでありながら力強く、会場の空気を静かに震わせた。


 「私はこれからも医術士として、生きていきます。ですがそれは、ひとりではありません。支えてくれる人々がいて、想いを重ねる仲間がいる。だから、私はこの場所で生きていくと、心から誓います」


 彼女は最後に、隣に座るレグニスへと視線を向けた。


 「そして、共に歩む伴侶——あなたと共に、命を守る未来を築いていきたい」


 言葉の終わりとともに、拍手が広がっていく。

 それは歓声ではなく、静かな共感と敬意の拍手だった。種族を越えて、立場を越えて、ただひとつの命への想いに心が重なった証。


 レグニスは、立ち上がり、彼女の手をそっと取った。


 「君の言葉は、この国の未来に必要な灯だ」


 彼の声は、王としてではなく、一人の男としてのものだった。

 宴はその後も続き、笑顔と涙、祝いの声に包まれて、夜更けまで静かに、穏やかに流れていった。



──そして宴の終わり──


 夜が深まり、王宮の宴の間には静かで柔らかな空気が流れていた。

 盛大な祝言の宴も終わりに差しかかり、煌びやかな装飾に囲まれた空間が、次第に落ち着きを取り戻していく。人々の笑い声や歓声はひとつずつ遠のき、余韻と共に静けさが忍び寄ってきていた。


 レグニスとアヤは、そっと手を取り合いながら、神殿裏の回廊へと抜け出していた。そこは式典の喧騒から少し離れた静寂の空間であり、二人だけの時間を持つにはふさわしい場所だった。


 空には、魔王国特有の紫がかった月が浮かび、星々が煌めきを増していた。神殿の白い柱が月光に照らされてほのかに輝き、歩みを進めるたびに、レグニスのマントとアヤの儀礼装が淡く揺れた。


 「……今日が、夢じゃないって、ようやく実感できた」

 アヤが小さくつぶやいた。


 その声は、彼女の胸に溢れる感情の一部が自然にこぼれ落ちたものであり、まるで自分自身を確かめるような響きだった。


 「夢じゃない。これは現実だ」

 レグニスは彼女の手をやさしく包み込むように握り直した。「そして、これからも現実であり続ける。君が望む限り、永遠に」


 アヤはその言葉に、微笑みながら目を閉じた。そして少しだけ体をレグニスの肩に寄せる。


 「……怖かったの。ずっと。あなたの隣にいて、これでいいのかなって。私なんかが魔王の隣に立っていいのかなって」


 「誰がそんなことを言った?」

 レグニスの声音が、優しさを含んで、しかし確かな強さを持って響いた。


 「誰も言ってない。でも……自分でそう思ってた。人間で、異邦人で、しかも医術士で……あなたの世界とは、まるで違う場所から来た私が、本当にあなたの隣にいていいのかって」


 レグニスは足を止め、アヤの正面に立ち、ゆっくりと両手を彼女の頬に添えた。


 「君は、俺にとってたった一人の存在だ。アヤ、君がいなければ、俺はここに立っていなかった。封印のときも、あの冷たく暗い絶望の淵にいたときも……君の手があったから、俺は進めた」


 アヤの瞳に涙が浮かぶ。その雫が、頬を伝ってこぼれ落ちた。


 「ありがとう、レイ……。私も、あなたがいたから、今ここにいる。命を守るために来たけど、気づけば、あなたが私の命になってた」


 ふたりはそっと額を寄せ合った。寄り添うその姿は、まるで時の流れから切り離されたように、静かで、永遠にも似た温もりを宿していた。


 その背後、宴の間では、側近たちや医術士の仲間たちが、穏やかな空気に包まれていた。


 リュシアンは、窓辺に立って月を見上げながらつぶやいた。

 「……ようやく、あの方が本当に幸せを得た気がする」


 ミレイは、グラスを手にしたままカルヴァスに笑いかけた。

 「これからの魔王国、きっともっと良くなるね。アヤさんがいてくれるんだもの」


 カルヴァスは頷き、目を細める。「ああ、でも……次は俺たちが支えなきゃな。二人にばかり背負わせるのは違う」




 宴の最後を締めくくるように、楽団が静かに演奏を始めた。曲は、アデルナ王国と魔王国を繋ぐ、新たな時代の訪れを告げる祝福の旋律。


 回廊で月光に包まれていた二人は、その音色に導かれるように踊り始めた。


 アヤはレグニスの肩に手を添え、レグニスは彼女の腰を支える。


 「あなたと踊るなんて、夢みたい」


 「君の夢は、俺の現実にする。これから、何度でも」


 月下の夜、誓いを交わしたふたりは、音楽と風に包まれながら、そっと唇を重ねた。

 それは世界が見守る中で交わされた、静かで、確かな愛の証だった。

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