月下の誓い
魔核の封印から幾日が過ぎ、ノクス=フィアの空には穏やかな月が浮かんでいた。
喧騒は去り、代わりに訪れたのは静謐な日常。
アヤは医術研究拠点の整備に追われながらも、どこか心が晴れていた。
レグニスとのあの瞬間、あの言葉、そして交わした想い。
それが、彼女の中でゆっくりと温かく熟していた。
一方、レグニスもまた、心にある決意を固めつつあった。
王として、魔族の長として、そして何より一人の男として、アヤに伝えるべき想いがある。
その夜、彼はアヤを城の奥にある静かな庭園へと誘った。
春の訪れを告げる草花が咲き、月光が石畳を柔らかく照らす。
「アヤ……少し、話がしたい」
レグニスの声は静かで、けれどいつになく真剣だった。
「……うん。レイの声、いつでも聞きたい」
ふたりは並んで歩き、庭園の奥、古木のもとにある石のベンチに腰を下ろす。
風が、ふたりの髪をそっと揺らした。
レグニスは一度深く息を吸い、アヤの瞳を見つめる。
「……アヤ。あの封印の儀の時、俺は心の底から思ったんだ。君が傍にいなければ、俺はきっと立ち尽くしていただろう、と」
アヤは驚いたようにレグニスを見返し、そして微笑んだ。
「レイがいたから、私も……立っていられた」
「いや……違うんだ。君がいてくれたから、俺は……王としてではなく、ただの“レグニス”として、命の意味を感じることができた」
言葉を選ぶように、彼はそっとポケットから小さな箱を取り出す。
アヤが驚いて目を見開いた。
「これは……」
「魔王国の伝承に伝わる、“契約の指輪”だ。かつて、最も大切な相手にその心と力を預ける時、王が自らの魔力で鍛えた指輪を贈ったという……」
彼が差し出したのは、深紅の宝石が輝く、重厚で気品ある指輪だった。
アヤが小さく息を飲んだ。
「アヤ。俺と、生涯を共にしてくれないか?」
静寂の中に、レグニスの声だけが凛と響いた。
アヤは戸惑い、そして喜びに頬を染めながら、彼の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「……私なんかで、いいの?」
レグニスは即座に首を横に振った。
「“なんか”じゃない。アヤがいい。医術士としての君も、人としての君も、全部を含めて、俺は君を選ぶ」
その言葉に、アヤの瞳が潤んだ。
「……ありがとう、レイ。私で良ければ、これからも……隣にいさせて」
彼は微笑み、アヤの左手を取り、指輪をそっと嵌めた。
魔力がわずかに共鳴し、深紅の宝石が柔らかい光を放つ。
まるでふたりの未来を祝福するように、空の月がふたりを照らしていた。
そして——ふたりは、初めて心からの口づけを交わした。
その瞬間、過去も未来も、全てが繋がったように思えた。
レグニス・アーガイルとアヤ。
王と医術士。
だが、それ以前に。
ただひとりの、大切な人。
この誓いは、永遠に続いていく。
──数日後・魔王城──
プロポーズの報せは、瞬く間に広がった。
レグニスの側近たちは、最初に聞かされたとき、信じられないという表情を浮かべていた。
「お、お妃様になるのですか!? い、いえっ、失礼しました! アヤ様はアヤ様です!」
「ようやく……あの方に笑顔が戻る日が来たのか」
「魔王陛下が……“愛”を口にされた……」
その衝撃は、魔王国中に緩やかに、しかし確実に広がっていった。
同時に、アヤは医術院の後進育成にも再び身を投じていた。
「私は……王妃になっても、医術士をやめるつもりはないわ」
その意思表明に、院の若き医術士たちは感嘆とともに頭を垂れた。
レグニスは、その姿を遠くから見つめ、誇らしげに微笑む。
──夜、王宮・書斎──
「……アヤ、君がどんな道を選んでも、俺は支える」
「ありがとう。私も……レイの隣で、できることをしていたい」
ふたりは静かに手を取り合った。
月明かりが、またひとつ、未来を照らしていた。