白い結婚は三人で〜堅物伯爵令嬢は夫と愛人に提案する〜
「いっそここにいる三人で白い結婚をいたしませんこと?」
新妻の提案に、夫とその愛人は口を半開きにして固まった。
時は数日前、クレア・ボウルズ伯爵令嬢とルパート・ファルマン伯爵令息の結婚式の夜のこと。
「僕には真に愛する人がいる。だから、貴女を一番に愛することはできない」
「…はい?」
クレアは眼鏡をかけ直すと、先刻教会で愛を誓った新郎ルパートの顔をまじまじと見つめた。艶のあるプラチナブロンドの髪に碧玉の瞳、すっと通った鼻筋に薄く形の良い唇。非の打ちどころのない美しい顔が均整のとれた身体の上に乗っている。焦茶の髪に茶色の瞳、平凡で印象の薄い顔立ちなうえに視力が悪く眼鏡を手放せないクレアとはまるで釣り合わない。
(──何か裏がある予感はしていたのだけれど)
クレアは王室御用達の店で作らせた着け心地のよい眼鏡の弦に触れる。クレアの実家・ボウルズ伯爵家は家柄こそ古いが斜陽の一族であり、数年前の水害以降は経済状況も良くない。家の立て直しのために尽力しているうちに、クレアは二十歳を過ぎてしまった。長女として弟妹の教育費や嫁ぎ先確保のため、そして質の良い眼鏡を手に入れるために王宮侍女勤めでもしようかと準備をはじめたところに持ち込まれたのがルパート・ファルマン伯爵令息との縁談だ。国内有数の豊かな農産地を持つファルマン伯爵家、しかも美貌の貴公子ルパートとの縁談。実家への援助もするし眼鏡も作り直して構わないと言われ喜ぶ一方で、何か裏があるのではと訝しんではいたのだが。
(なるほど、真に愛する人──ね)
「かしこまりました」
クレアの言葉に、ルパートは顔をぱっと明るくしてみせた。
「わかってくれてありがとう。もちろん、君とも仲良く──」
「数日内に話し合いをいたしましょう。私とルパート様と、その最愛の方とで」
目を丸くするルパートに向かい、クレアは微笑みかける。
「こういったことは予め、きちんと話し合っておくべきだと思いますわ」
はたして数日後。ファルマン伯爵家のタウンハウスに、当事者たる三人が集まることになった。
「奥様におかれましては、ご機嫌麗しく」
ルパートの「真に愛する人」ことアンジェリカ・タウゼント男爵令嬢は、美しいカーテシーをしてみせた。艶やかな黒髪とエメラルドの瞳を持つ色っぽい美人だが、蓮っ葉さとは無縁のお嬢さんである。男爵の庶子という出自から、ルパートの母親に結婚を許してもらえなかったらしいが、礼儀作法は申し分ない。
「アンジェリカは貴族女学院を出てから、僕の学友の家門で行儀見習いをしていたんだ。僕らはそこで出会ってね」
「ルパート様、恐れ多いです」
愛人との馴れ初めの詳細など、新妻の前でする話ではない。はしゃいでいるのはルパートだけで、アンジェリカがあからさまに恐縮している。
クレアは小さく咳払いをすると、口を開いた。
「ルパート様のご希望は、私を妻としアンジェリカ様を愛人として囲いたい──ということで間違いないでしょうか」
「君は随分と風情のないことを言うね」
ルパートの口調に混じる小さな棘をクレアは無視する。
「私としては、そのご希望は私たち全員にとって不満が残るものだと思います」
「アンジェリカは受け入れると言ってくれているよ。君も聞き分けてくれるよね?だって我がファルマン伯爵家も、君の実家に援助をするのだから──」
「それは私の実家の話ですよね」
クレアはぴしゃりとルパートの言葉を遮った。
「よくお考えください。ルパート様は家のため愛する人を妻にできず、アンジェリカ様は何の権利もない愛人に甘んじることになる。私は愛ある結婚を最初から諦めることに…それでは誰も幸せになれない。違いますか?」
ルパートとアンジェリカの瞳が揺れる。クレアは眼鏡をくいっと持ち上げ、口を開いた。
「これは提案なのですが──いっそここにいる三人で白い結婚をいたしませんこと?」
新妻の提案に、夫とその愛人は口を半開きにして固まった。
白い結婚。
要は夫婦の間で男女の営みがなかったことにより円満離婚、という仕組みである。数世代前、王族の騎士が政略結婚直後に戦争に向かった。ろくに顔も見ないまま離れた夫婦に愛が育まれることはなく、騎士は領主の娘と恋仲になり、妻は婚家で何くれと気を配ってくれた侍従といい仲に──という事態を円満に解決するために設けられた制度だ。貴族の離婚は手続きがとにかく面倒だが、「白い結婚に基づく円満離婚」なら、子供がいないまま三年を経ており、夫婦双方による直筆の同意書があれば離婚が可能になる。
「私とルパート様が白い結婚をし、アンジェリカ様にも同じことをしていただく。三年後、どうしてもお互いを忘れられなかったおふたりの愛を認め、私が身を引く…という筋書きでいきましょう。お義母様…伯爵夫人の説得にも力添えさせていただきますわ」
「だ、だがアンジェリカも白い結婚というのは」
ルパートが焦った様子で口を挟む。
「実は私に当てがありますの。父方の親戚で社交と子育てのために後添いを探している方がおりまして。エミリオ・デュケー子爵という、少し年上ですが信頼のおける男性ですわ」
「しかし──」
「ご心配なく。たった三年、皆で同じだけ耐えさえすれば、あるべきものがあるべきところへ収まり、皆幸せになれるのですよ」
クレアはルパートとアンジェリカに微笑みかける。
「アンジェリカ様も、後添いとして立派にお勤めを果たした実績があれば、社交界でのお立場は今よりずっと良くなりますわ」
「そのお話、引き受けます」
覚悟を決めた表情で、アンジェリカが告げる。
「でもアンジュ、三年も僕に会えなくなるんだよ?」
「有事の折りには夫婦であってもそれくらい離れ離れになることはございましょう」
「でも」
ルパートがせつなげに眉を曇らせる。アンジェリカの瞳がそれを見て揺らいだが、クレアは気付かぬふりで手をひとつ叩いた。
「たった三年。三年の後にはすべてうまくいきますわ」
話し合いはクレア主導のもと、以下の条件でまとまった。
その一、白い結婚についてはルパート・クレア・アンジェリカ・エミリオの四人のみの秘密とする
その二、期間中、隠れての逢引はご法度。手紙やプレゼントのやり取りは自由
その三、期間満了後の身の振り方については、それぞれの意向に従って決定する
白い結婚に基づく円満離婚の同意書は四人がそれぞれしたため、クレアとアンジェリカが持つことにした。書類をするするとまとめていくクレアに、ルパートは怪訝そうな顔をする。
「随分手際がいいんだな」
「書類の取りまとめは実家でもよくやっておりました」
家庭教師から学んだことを細かく帳面に記録して本にまとめ、弟妹用の教本にする。使用人の業務内容を表にまとめて、人が減っても仕事が回るよう調整する。記録と情報の蓄積によって知識が増えるし、節約もできる。身につけて損はない能力だとクレアは思っている。
とはいえ、生まれてこのかた節約など考えたこともないルパートにはそれが不思議に思えたらしい。
「侍従は使わないのか?母上は自分で記録をつけたりはしない」
「生憎、自分のために侍従を使うほど実家は豊かではございませんでしたから」
「なら、これからは使ったらどうだ?便利だぞ。母上に話してみようか?」
クレアは彼の申し出を丁重に断った。記録と情報の蓄積はクレアの武器だ。他人に舵取りを任せる気はない。
◆◇◆
翌月、アンジェリカがデュケー子爵領へと旅立つ日。馬車が出る直前まで、ルパートとアンジェリカは木陰で熱烈に抱きしめ合い、別れを惜しんでいた。
「いいのかい、クレア」
「ええ。アンジェリカ様をよろしくお願いしますね。エミリオ従兄様」
エミリオ・デュケーはクレアの父の姉の次男、つまり従兄にあたる。南部辺境伯の次男で、分家の子爵家を継いだ四十近い男やもめだが、元騎士のさっぱりとした偉丈夫だ。とはいえ若く麗しき貴公子であるルパートと比べると、普通のおじさんである。
「クレアは一体、この三年で何をどうするつもりなんだい?」
エミリオの言葉にクレアは「さあ?」と返す。
「まあ、いいけどね。社交のことを考えたら妻はいてくれたほうが助かる。貴族女学院の出なら尚更安心だ」
エミリオはそう言い残すと、アンジェリカを連れて南部へと旅立って行った。
ルパートは物憂げな顔で馬車に揺られている。こんな様子すらさまになるのは一種の才能だなとクレアは思った。
「アンジュは南部でうまくやっていけるだろうか。あのエミリオという男、本当に信じてもいいのか?」
「デュケー子爵は堅実で義理堅く、しかし言うべきところはきちんと言う方です。南部はパートナーありきの社交が重視されるので、大切にしていただけると思いますよ」
「だが南部など、野蛮な田舎じゃないか」
元々は別民族の領土だったこともあり、王都では南部への偏見が根強い。とはいえ温暖な海に面した南部からの海産物や塩は、王都の経済圏にも相当の量が流通しているのだが。
「南部は漁業や塩の取引も盛んですし、交易の要となりつつあります。ただの田舎ではございませんわ」
「仮初とはいえファルマン伯爵家の者として、田舎に肩入れするのはあまり感心しないな」
ルパートが眉間に皺を寄せる。クレアは「失礼しました」とだけ言ってそのまま黙り込んだ。ファルマン伯爵家はとにかくプライドが高いので、あまり余計なことは言わないほうが得策のようだ。
「母上の件は本当に大丈夫なんだろうね?」
「お義母様は私がアンジェリカ様を追い出したと思っておいでです。少なくとも、今はそれでよろしいかと」
ルパートの母・ファルマン伯爵夫人はアンジェリカを嫌っている。アンジェリカが男爵の庶子であることも、貴族女学院で教養やマナーを身につけたことも気に食わないのだ。この国の貴族令嬢は、高位であるほど嫁入り前に外に出ない。社交は母親や祖母が教え、教育は家庭教師が行う。その状況を憂いた王太后の号令で作られたのが貴族女学院だが、伝統を重んじる保守的な家門の貴婦人の反発もひとしおである。
「三年後に、ルパート様とアンジェリカ様の絆を見せつけるためです」
「三年か。長いな…」
ルパートの爪先がこつんとクレアの靴に当たり、潤んだ瞳がクレアを見つめる。クレアはそれに気付かないふりをした。
◆◇◆
一年目。
ルパートとアンジェリカは十日と空けずに手紙のやり取りをしていた。ルパートときたら、手紙を出した側からそわそわしだす有様だ。
アンジェリカとの関係は結婚を機に終わらせたことになっているため、今の境遇を共有できる相手がいないらしい。だから、ルパートはクレアの元を訪れては愚痴をこぼす。
「デュケー子爵ときたら、アンジュに娘の教育係までさせているらしい。アンジュが可哀想でならないよ。僕の側にいれば仕事なんかさせなかったのに」
「辺境の子女は教育を受けるのもひと苦労ですから」
手紙をしたためながら、クレアは答える。ファルマン伯爵家で毎年秋に開催される大規模なパーティ。その招待状に嫡子の妻として気の利いたひと言を添えなくてはいけない。ルパートと分担できれば多少は楽なのだが、彼は自分の友人達への招待状だけを引き抜くと、残りすべてをクレアに押し付けてきた。「女性のほうがこういうのは得意だろう」という理屈である。そのくせ、クレアの仕事中にこんな雑談をしに来るのだった。
「クレアは眼鏡がないほうが可愛いのにな」
「眼鏡がないと手紙が書けません」
「結婚式では外していたじゃないか」
「お義母様のお言い付けもありましたから」
ペンを走らせるクレアの手が止まることはない。ルパートはそれが不満らしく、つまらなそうにため息を漏らすと部屋を出て行った。
◆◇◆
二年目。
ルパートは連日のように、友人達との会合に出かけるようになった。朝帰りも度々だ。伯爵夫人は何か言いたげにしているが、クレアが「ご友人との仲を深めるのも社交のうちですわ」と言って取りなしている。
そんなある日のこと。お茶会用にドレスを着替えたところで、珍しく夫が部屋のドアを叩いた。
「地味じゃないか?それ」
クレアのミモザ色のデイドレスをじろじろと眺め、ルパートはそう言った。
「お茶会を兼ねた読書会ですので」
「母上が?」
「いいえ、お義母様は一緒ではありません」
一年目は伯爵夫人に帯同することが多かった貴婦人達とのお茶会も、季節が巡るにつれクレア本人に招待が来ることも増えた。伯爵夫人としても、地味で堅物で場を盛り上げるのが苦手なクレアを連れ歩くメリットをあまり感じなかったのであろう。ファルマン伯爵家の顔を潰さない範囲なら好きにしていいと言われ、今は自分の人脈づくりに余念がないクレアである。
「それで、どなたに呼ばれてるんだい?」
さして興味がなさそうにルパートが尋ねる。
「デュカス辺境伯夫人です」
「…っ?!」
ルパートは動揺を見せた。デュカス辺境伯夫人はアンジェリカの契約結婚相手・デュケー子爵の実母だ。
「辺境伯夫人は、私の父方の伯母ですので」
「ああ、そうか。そうだったよな」
取り繕うように笑うと、ルパートは「あまり余計なおしゃべりはしないでくれよ」とクレアに釘を刺し、部屋を出て行った。おそらく今夜も帰りが遅いだろう。
そういえば最近、ルパートはアンジェリカに手紙を書く様子がないなとクレアは思った。クリーム色の封筒に入った分厚い手紙のかわりに、あちこちから香水を染み込ませたカードが届いている。
ルパートが眺めては放り出すカードは、クレアの部屋の隅の箱に保管されているが、夫がそれに勘づく様子はまるでなかった。
◆◇◆
三年目。
「どうしてだ、なぜ待ってくれなかった…!」
悲壮感を溢れさせながらルパートが嘆く。彼の目の前にはクリーム色の封筒と、流麗な女文字で書かれた手紙が散らばっていた。内容は読まなくてもわかる。ルパートに届く前に、アンジェリカとエミリオからの手紙がクレアの元にも届いていたからだ。
「クレア、聞いてくれ。アンジェリカが僕を裏切って…」
「裏切ったという言い方はいかがなものでしょう」
少なくとも、三年間の白い結婚は果たされたのだ。その後にアンジェリカが伴侶として選んだ相手が、ルパートではなくエミリオだっただけで。
「信じていたのに!平民の血が混じった娘なんか信じた僕が馬鹿だった!」
恨み言をぶつぶつと呟き、顔を両手で覆う。演劇の主人公のように美しい男の挙動を、クレアは冷ややかな眼で見ていた。
「クレア、僕は馬鹿だった。君はこの三年間ずっと僕のために耐え忍び、伯爵家嫡子の妻として完璧に振る舞い続けてくれていたのに、僕はあんなふしだらな女に心を捧げていて。今からでも君に報いたい。僕の手を取って──」
「いやです」
クレアはぴしゃりとルパートの言葉を遮った。ルパートはぽかんと口を開けてクレアを見ている。
「バルデ男爵未亡人のマーラ様、ゲーリング子爵庶子のネリー様、オルセン准男爵の姉君であられるナスターシャ様、それから…」
「クレア、まさか」
「真実の愛を捧げた相手とは引き離され、妻は冷たくて心が通わない。ルパート様がそう仰って慰めを求められた『お相手』の皆様のことは色々と伺っておりますわ」
ルパートは蒼ざめている。妻のいる屋敷に堂々とカードを送りつけてくるようなご婦人方と散々逢瀬を楽しんでいたくせに、今更だろう。クレアは呆れ、ため息をついた。
契約結婚。白い結婚。伯爵家の体面を保つための、愛のない関係。
それでも共に過ごすからには最低限示すべき誠意があるとクレアは思っている。だから伯爵家主催のパーティをこまごまと仕切り、付き合いのある貴族の顔を立て、農産物の流通を担う商会への付け届けを欠かさず、伯爵や伯爵夫人には折に触れ贈り物をしてきた。周囲の嫌味ややっかみも笑顔でいなしてきた。
クレアにとって示すべき誠意だったことが、ルパートにとってはそうではなかったらしい。ルパートときたらクレアの両親どころか、クレアにも誕生日プレゼントひとつ贈ったことはない。「子供はまだか」という伯爵夫人の嫌味からクレアを庇ったこともない。
ルパートがそういう男であっても構わない。
ただ、クレアはそういう男と人生を共にしたくはない。
「幸いというか当然というか、私達には子供もおりませんし、書類のみでの離縁は可能です。認めていただけないなら調停となりますが、ルパート様の婚外恋愛は社交界でも有名な話ですから、私に有利かと」
「実家は?君の実家はどうなる?!」
「おかげさまで弟妹も育ちましたし、私もこの三年で方々に伝手ができました。案外、身の振り方も色々ありそうですのよ。なにしろ名門の伯爵夫人の仕事を大いに学ばせていただきましたので。大変有意義な三年でしたわ」
伯爵夫人から学んだことは事細かに帳面に記録し、書面としてまとめあげている。記録と情報の蓄積は武器だ。勿論、ファルマン伯爵家の機密を売るつもりはないが、それ以外でもクレアの「資産」となった知識はたくさんある。三年間、何もせず遊びほうけていたわけではないのだ。
クレアはそのまま伯爵家のタウンハウスを後にした。何日も前から必要なものを運び出していたので、トランクひとつで身軽なものだった。そこまで身辺を整理していたのに、ルパートは何も気づかなかったのだ。
(ルパートにとって私は、ファルマン伯爵家のために都合よく動いてくれる便利な道具だったものね)
ファルマン伯爵家は豊かな家門だ。夫に顧みられない妻であっても、家政を切り盛りし、社交界で活躍し、子育てで承認欲求を満たして生きることも可能だろう。それが理想的な貴婦人だと言う者もいるかもしれない。
ただ、クレアはそんな人生を望まない。
「それでは、ごきげんよう!」
クレアはそう告げて門をくぐり、二度と振り返らなかった。
◆◇◆
それから三年後。
貴族女学院の貴賓室で、ふたりの女がティータイムを楽しんでいた。ひとりは女学院の教師、もうひとりは卒業生にして現役生徒の義理の母親である。
「驚きましたわ。まさかクレア様が貴族女学院の先生になっているなんて」
アンジェリカの言葉にクレアは「そうかしら?」と返す。
「だって古くからの伯爵家の方々は、女学院に反対の方が多いと思っていたので」
「古い家柄といっても色々よ。私は元々、貴族女学院の理念には賛成でした。効率面でも、質の確保の面でもメリットが大きいですから」
クレアの生家・ボウルズ伯爵家は家柄こそ古いが豊かではない。そのくせ子沢山だから、教育のためには家庭教師を何人も招く必要があった。優秀な家庭教師は同世代の子女の間で争奪戦になるし、それに応じて給金も釣り上がる。親の伝手と経済力、それに運がないと立派な淑女になれないという理不尽。
それなら、王都の貴族女学院でまとめて淑女教育をしてもらったほうが効率的じゃないか、人脈もできるし…というのがクレアの意見である。
無論、金も人脈もたっぷりある家柄にとっては面白くないだろう。かつての義母・ファルマン伯爵夫人はあからさまに貴族女学院を見下していた。
「王都で色々なご婦人方とお話しするうちに、女学院に賛成の方が多いこともわかっていたので、離縁に際して教職への推薦状を方々で書いてもらったの。愛のない結婚に疲れたので、気分を変えるためにも仕事がしてみたいってね」
あの三年間、ルパートがもしクレアと向き合うことに──女として愛さないまでも、妻として尊重しようとしてくれていたら、もっと別の道もあったかもしれない。
とはいえ、全ては過ぎたことだ。
ルパートの後添い探しは難航しているらしい。無理もないだろう。王都でも名うての恋多き女達と浮名を流すだけならまだしも、その挙句妻に三行半を突き付けられた男を娘の夫にしたい貴族はなかなかいるまい。とはいえ裕福なファルマン伯爵家、選り好みしなければそのうち何とかなるだろう。ルパートと伯爵夫人、両方のお眼鏡に適うかは不明だが。
「アンジェリカ様。今更こんなことを聞くのは無粋だとわかっているのだけれど…なぜルパート様の元へ戻らなかったの?」
クレアがそう尋ねると、アンジェリカは長い睫毛を伏せた。
「お付き合いしていた頃、ルパート様はよく私に『君はそんなこと考えなくていいんだよ』と仰っていたんです。私はそれが嬉しくて。何しろ世間知らずで、恋に夢中でしたから」
アンジェリカがふふっと笑う。
「でも、彼と物理的に離れてみて、手紙でやり取りするようになって。私のしたことや考えたことを綴っても『君はそんなことしなくていいのに』『考えなくていいのに』としか返ってこなくて。段々あれ?と思うようになったんです。この人の妻になれたとして、ずっとそれが続くのかしらって」
考えず、何もせず、夫をはじめ婚家の人間が考えることに従い、意に沿わなくても黙って耐えて。
「それはあまり、面白くないわね」
クレアがそう言うと、アンジェリカは首肯した。
「夫──エミリオは私に『なるほど、君の考えはそうなのか』と言ってくれるんです」
アンジェリカは幸せそうに微笑む。その表情はあの日、初めて顔を合わせたときとは別人のように自信に満ちていた。クレアはその様子を、どこか誇らしい心持ちで見つめていた。
お読みいいただきありがとうございました。
ランキング入りありがとうございます。誤字報告にも感謝です。
アンジェリカ視点の短編「 真実の愛は保留して、辺境で後妻兼教育係になりました 」も投稿していますので、よければご覧ください。