8. 咎背負う『つなぎの王』
(SIDE:アスガルド国王ルーカス)
――それは、マーニャが断頭台を破壊した直後にまで遡る。
煌びやかな宮殿の中心にある、『王の間』。
その最奥に鎮座し、色鮮やかな宝石で装飾された大理石の玉座は、精緻な彫刻と前面を覆う黄金で彩られ、座する者の権威性を殊更に高める。
「兄上」
そう呼び掛けられ、本来であれば玉座にいるべき国王ルーカスは、深紅の絨毯が敷かれた下段に跪き、恭しく頭を垂れた。
「先日、聖女の処刑中に不手際があったと聞いている。……どう始末を付けるつもりだ?」
「たまたま断頭台に落雷し、何名か死傷者が出ましたが、被害状況は然程大きくありません。ですが断頭台が燃えてしまった為、三日の後に斬首にて再処刑となる予定です」
「憐れな娘だ。絶望までの時間が三日も増えるとは」
不遜な態度で足を組み、クッと喉の奥で笑ったディランは、玉座の上で頬杖を突いた。
「清廉なる乙女の首を、余興代わりに分かつ予定が……よほど畏怖を覚える光景だったようだな。助命嘆願が山のように届いている」
横柄に足を組み、ディランは玉座の上で不快げに頬杖を突いた。
「神など信じないはずの我が民を、一夜にして敬虔な信者にするとは――その御業ゆえか?」
ディランは眉をひそめ、「恐るべきことだ」と軽侮する。
「ふむ、困ったな。相手は神聖国史上、最高の聖女と名高いマーニャ・レトラ。こうなると、処刑には相応の罪が必要となりそうだ」
ルーカスへと視線を落とし、ディランは白々しく首を傾げた。
「偶然の落雷を神罰だと畏怖する、敬虔なにわか信者達を納得させねばなるまい」
王弟ディランの母は、公爵家出身の正妃。
本来であれば、ディランが次期国王に選ばれるはずだった。
だが長くアスガルドを統べた先王の悪政により、各地で起きる武装蜂起は、拡大の一途をたどる。
ひとたび反乱の火種が燃え上がれば、その責は現王政権へと降りかかる。
――さて、どうするか。
王にはなりたいが、負の遺産を引き継ぐ気はない。
であれば一時的に代替の王を立て、全ての禍根を負わせた上で処刑し、その後に即位しても遅くはないだろう。
側妃であるルーカスの母は身分も低い。
病に伏してからは離宮に籠もりきり、政務も放棄しているため、権力のある後見もいない。
力無き第一王子ルーカスに、ディランはある取引を持ちかけた。
「俺が王になるまでの間、『つなぎの王』として先王の咎を負うのなら、お前が死した後も母の命だけは助けてやろう。断れば皆の命は明日にでも潰えるが、どうする?」
――と。
すべての咎を身に背負い、断じられる時を待つだけの王。
だが母が助かるのであればと頷いた、死に向かい歩くだけの『つなぎの王』。
そしてルーカスは、表面上は王として。
裏では王弟ディランの傀儡として、言われるがまま、幾度となく強権を発動してきたのである。
押し黙るルーカスを見下ろし、ディランは何かを思いついたように口元を歪めた。
「そうだな……落雷は、あの娘が引き起こしたことにしよう」
何かを思いついたのだろうか、座して前へと身を乗り出した。
「神の御業ではなく、悪魔に魂を売り呪われた聖女、という事にすればいい」
くっくっと押し殺すようにして喉を鳴らし、ディランは笑う。
「神罰など起こり得ない――あれは悪魔の所業だと民衆に流布すれば、恐れのうちに処刑せよとの声が大きくなるだろうな」
愚か者達を扇動するなど、赤子の手をひねるより容易いと、ディランは事もなげに言い放つ。
ディランに与し、『王の間』に立ち並ぶ、錚々たる顔ぶれをぐるりと見廻し……そしてふと、最奥に控えていた美しい娘に目を留めた。
「エミリア」
玉座からの声掛けに、エミリアと呼ばれた娘がディランのもとへと侍る。
「エミリア、お前の元婚約者に妻を与えようと思うが、どうだ? 異存はあるか?」
「……異存など、あろうはずがございません」
驚いたように目を丸くし、それからうっそりと微笑むと、ディランの身体に身を寄せた。
「あの愚か者がどうなろうとも、わたくしの知った事ではございません」
エミリアの侮蔑にも動じず、ルーカスは静かに目を伏せた。
その姿を愉快そうに眺め、ディランが抱き寄せ口付けると、エミリアは恥ずかしそうに俯き頬を染める。
「あれほど大事にしていた婚約者が、初めから俺のものだったと知った時も……今も。その強靭な精神力には恐れ入る」
顔色一つ変えないルーカスがお気に召さなかったのか、つまらなそうに溜息を吐き、邪魔だとばかりにエミリアを突き飛ばした。
「女など、どれも同じだ。権力者とみれば脇目も振らず尻尾を振る『痴れ者』ばかり。婚約者に裏切られ、大国の王ともあろう者が長いこと寂しい独り身とはな。……そろそろ新しい女が欲しくなる頃だろう?」
「……」
「王とは名ばかりの傀儡に、誉れ高き聖女を下げ渡してやる。嬲り者にしても構わん、好きにしろ。俺が王位に付く際はともに送ってやろう――永遠の旅路には、供が必要だ」
侍従を呼び、戦争捕虜用の独房から出すように命じる。
嘲笑い、平伏したルーカスを残してそのままその場を後にした。
「祖国を滅ぼした男が自分の夫になると知った時の、聖女の顔が見物だな」
すべての者が退出し一人残された王の間で、ルーカスは平伏したまま、震える拳を握り締めた。
「……承知、しました」
小さく呟いたその声を拾う者は、誰もいない。
眉間に皺を寄せ、耐えるようにぐっと目を瞑ったまま、長く長く息を吐く。
握りしめたままの拳に爪先が食い込み、じわりと染み込むように、赤く滲んだ。