6. 贄の兎は、身体をひらく③ すべてを見通す王太子妃
「処刑場に天から光の矢が降り注いだと報告が上がっているが、もしやお前達が?」
たまたま雷が落ちただけだろうと思いつつ、だが違うという確証を得たい。
話の通じそうなアンジェリカが出ているうちに、確認しなければと問いかけた。
「わたくしが? 出来る訳ないでしょう!」
お腹を抱えて笑い出したアンジェリカに、いらぬ心配だったかと安心したのも束の間。
「詳しくはマーニャにお聞きください」
「待て待て、聖女に? あの惨事を引き起こしたのが、まさか聖女だとでも言うつもりか!?」
「……他に、一体誰が? 死の直前、無意識にタガが外れた感じよねぇ」
「お前達だけでなく、聖女本人にも問題が大ありではないか!! しかも制御できないだと?」
国内にも魔法を使える者はいるが、処刑場を一人で破壊する程の威力は持ち得ない。
もしそれが本当なら戦争兵器として有用だが、無分別に攻撃するとなるとあまりに危険なため、一年を待たず処分される可能性もある。
「それよりも、なぜこんな郊外の屋敷に国王陛下がいらっしゃるのか……わたくしは、そちらのほうが余程気になるわ」
緩急付けて敬語を交ぜ、たまに崩れる口調が、聞いている者の不安を煽る。
「王都郊外の屋敷で囲うように娶った囚われの聖女。王宮内にマーニャを置きたくない理由は何かしら? ルビィ様への態度も気になっているの」
じっと見つめるその瞳に、まるで心の中を覗かれているように落ち着かない気持ちになる。
「なんだかいまいち支配者の香りがしないのよねぇ。もしかして、王は他にもいるのかしら?」
グイっと身を乗り出し、アンジェリカはゆっくりと首を傾けた。
「指輪をしているところを見ると、表面上の王は貴方。でももう一人、王が別にいるとしたら、貴方はいずれ邪魔になるわねぇ。うふふ、面白くなってきたわぁ」
美しく微笑む口元……だが突き刺すように強い眼差しを向けられる。
「ああ、もしかして一年という期間は、貴方に許された時間なのかしら?」
心の内を見透かされ、たまらずルーカスは目を逸らした。
「神罰を恐れる声が処刑場に響いていたもの。一度王妃に祀り上げた後に理由を付けて糾弾し、表立っての国王であるルーカス様共々、一年後に処刑……といったところかしらねぇ」
すぐに殺すと、民衆が騒ぎ出しそうだわ。
少ない情報から見る間に看破され、ヒュッと息を呑んだルーカスに目を留めたまま、アンジェリカはうっそりと微笑む。
「ふふふ、駄目ねぇ、そうやってすぐ顔に出ちゃうなんて。ルビィ様を見習いなさいな。あれくらい豪胆でないと国王なんてやっていけないわよ?」
「……黙れ」
これ以上は聞いていられない。
逃げ場のない居心地の悪さに耐え切れず、ルーカスは低い声で威嚇する。
目を合わせたら最後、すべてを見透かされてしまいそうで、乱暴に席を立つなり凄みを利かせ、アンジェリカを見下ろした。
「先ほどからの様子を見るに、たいした家柄でもないだろう。どこまで真実かは甚だ疑問だが、ルビィはともかくお前ごときに何が分かる……御託は、終わりだ」
名を『アンジェリカ』と言っていたか。
まるで娼婦のように艶めかしい視線……頭はキレるようだが、あけすけな物言いを見るに良くて下位貴族。
振り回されるのも馬鹿らしい。
「……たいした家柄でもない?」
何かがアンジェリカの逆鱗に触れたのだろうか。
先程までとは一変し、怒気を孕んだ呟きがルーカスの鼓膜を揺らす。
「お前ごとき……?」
一瞬にして空気が張り詰め、迫る殺気にルーカスはゴクリと喉を鳴らした。
矢継ぎ早に襲いかかる状況に、もはや思考が追いつかない。
表情をごそりと落としたアンジェリカに、挑みかかるような強い視線を送られる。
ルビィとはまた違う、心臓を直接握られるような緊迫感に、ルーカスは必死で平静を装った。
「……まぁ、いいわ。今回だけ、特別に許してあげる」
しばらくしてアンジェリカは、まるで何事もなかったかのようにコホンと一つ咳ばらいをし、ソファーから立ち上がる。
そしてフワリと花開くように微笑み、見た事もない程の優雅なカーテシーを披露した。
どこぞの王女といっても遜色ない堂々とした姿。
呆然と立ち尽くすルーカスに歩み寄り、そっと厚い胸板に手を触れる。
柔らかな手のひらで押されると為すがまま、気付けばベッドの上に座っていた。
「改めて自己紹介をさせていただきます。わたくしの名は、アンジェリカ」
魅惑的な笑みを浮かべながら、ルーカスの上に乗りかかるようにして座り、アンジェリカは上目遣いに覗き込む。
「……『血濡れ王太子妃アンジェリカ・グルーニー』と言った方が分かり易いかしら?」
その名前を耳にし、ルーカスはついに天を仰いだ。
「ねぇ、一年後に処刑される王なんて、悔しいとは思わない? マーニャもきっと、まだまだ生きたいはずよ?」
ルーカスの寛いだ襟元へ細い指を差し入れ、つい、と滑らすように横へと動かす。
「次代の王に死を捧ぐ『つなぎの王』、と言ったところかしら?」
――困ったわ。
王など一人で充分なのに、もう次の王が王座に手をかけているなんて。
本当に、貴方はそれでいいのかしら? と、アンジェリカは誘うようにルーカスの耳元へ唇を寄せる。
「……わたくし達と、手を組みましょう」
何が真実で何が嘘かすら分からない。
だが頬に触れる指先が、熱を孕んだ眼差しが、ルーカスを捉えて離さなかった。
「貴方は王位を、わたくし達は自由になる身体を……身体と言っても少し借りるくらいだもの、マーニャからも了承を得ているし、何も問題はないわ」
それは生きることを諦めたルーカスへの、悪魔の誘い。
薄紅色の隙間から柔らかな舌が覗き、獲物を前にした肉食獣のように、自身の唇を湿らせる。
「……今宵、わたくしは貴方の妻になるのでしょう?」
その声に、その抑揚に。
頭に霞がかり、思考が停止する。
誘われるがまま、ルーカスはその背に腕を回した。