5. 贄の兎は身体をひらく② 太陽王に捧ぐ
「何を驚くことがある。国章の施された右手の指輪は、王が政務を行う際に身に付ける物。まぁ着け外しが面倒なため、そのままにしておことが多いがな」
突然聖女を妻に娶れと命じられて頭がいっぱいになり、そういえば指輪を外し忘れていた。
だが、これはアスガルド王室特有の慣習……国内の貴族ですら知らない者がいるというのに、マーニャがそれを知っているのは、あまりに不自然である。
「お前は誰だ!?」
「……さぁ? 誰だと思う?」
噛み殺すように笑いを堪えて立ち上がり、ルーカスのもとへ歩み寄ると、少女は先程の短剣を壁から引き抜いた。
「その様子だと、多少腕に覚えはあるのだろう? 生身の身体は久しぶりだ。肩慣らし程度に相手をしてやる」
クルクルと手元で短剣を回し、その腰に下げた剣を抜けと視線で仄めかされる。
鼻歌まじりで挑発する姿から目を背け――次の瞬間、身を躍らせたルーカスの剣が空を切り裂きながら弧を描き、少女へと向かう。
急に様子が変わった理由は分からないが、護送中に入れ替わった刺客ではないか。
そう思い至り容赦なく剣を振り切ったのだが、少女は難無く短剣で受け流し、軌道を変えた。
細身の身体を翻し、瞬時に短剣を持ち換えると、剣柄をルーカスの鳩尾へとめり込ませる。
「……ッ」
一瞬気が遠くなるが、軋む身体をものともせず、ルーカスは再度斬りかかる。
その腕の隙間をかいくぐるようにマーニャは内に潜り込み、そのまま肘を打ち顎を揺らした。
ぐらりと脳が揺れ、景色がぶれる。
「この身体にはちと重いな」
脚に力が入らず膝を落したルーカスの剣を奪うと、感触を確かめるように数度振り、顔を顰めている。
震える脚で立ち上がり、必死に体勢を整えるルーカスを少女は一瞥し、「今代の王は鍛え方が足りんな」と豪快に笑い出した。
刺客であれば、脳震盪を起こし戦闘不能になった今のタイミングを、逃すはずがない。
かといって歴戦の騎士であるはずのルーカスを、子どものように軽くあしらえる者など王国内には存在しない。
刺客ではない、かといって件の聖女でもなさそうだ。
それでは、一体何者だ――?
荒い息を吐くルーカスを楽しげに見遣り、黄金の瞳がきらきらと輝いている。
「聞きたい事がありそうだな? 気が向いたら答えてやろう」
「お前は……だれ、だ」
途切れ途切れに問うと、少女は小さく「ふむ」と呟いた。
「私の名はルビィ。……ルビィ・シエノス。この娘の身体は特別なようでな、一時的に借りている。お前が真に王であるならば、我が子孫。同じテーブルにつく権利を与えてやろう」
告げたその名は、遥か昔――数多の小国をまとめ上げ、アスガルドの初代女王として君臨した、建国の祖。
国外では『狂乱の女王』などと揶揄されることもあるが、断頭台で処刑されるまでの話は絵物語にまでなり、今もなお国民に広く語り継がれている。
謀るつもりかと声を荒げたくなる一方で、そうでなければ説明が付かないと思う気持ちもあり、揺れる視界の中、痛む鳩尾を押さえながら、ルーカスは再びソファーへと腰掛けた。
「太陽王に捧ぐ、だ」
「……?」
「指輪を外し、中を見ろ。まったく、たった三百年でここまで落ちぶれるとは」
嘆かわしいと言いつつ、ルビィは美味そうに酒を呷る。
その言葉を受け、王の指輪を外して内側を確かめると、確かに何かが彫られていた。
太陽王に、捧ぐ――?
目を凝らさねば見えぬ程の掠れた文字。
王本人ですら気付かぬことを、なぜ神殿の奥深くにいたはずの他国の聖女が知っているのか。
ぞわりと背筋が凍りつき、心臓が早鐘を鳴らす。
ルーカスは様子を窺うようにマーニャへと視線を向けるが、鋭い眼光に射竦められて、瞬きすらも儘ならない。
「もう分かっただろう? 早くしろ、私はこう見えて気が短い」
こう見えるも何も明らかに気が短そうなのだが、迂闊なことを言うと暴れ出しそうな気配すらある。
「……身体を借りている間、本人はどこへ?」
「さぁ、知らんな。中から見ているのか、意識がないのか……それは後で戻った時に、本人から直接聞くといい。我々は普段外にいるからな」
「我々?」
不穏な気配を察知し、汗ばむ拳を握りしめたルーカスに、ルビィは口端を歪めた。
「そう、我々――、だ」
***
「む、なんだ五月蠅い奴め。ずるいだと!? まったく子どもか貴様は! 分かっているのか? お前が思っている以上に傷は痛むわ、熱で絶不調だわで……」
我々と言った矢先、誰もいないのにブツブツとルビィが話し始めた。
「クソ、分かった分かった。変わってやるから静かにしろ!!」
今度は何だとルーカスが身構えると、ルビィが動きを止めて、目を閉じる。
「おい、どうした? 今度はなんだ!?」
「いえ……なにも」
謳うように言葉を紡ぎ、ゆっくりと開いたその目は薄桃色――。
「何が起きている!? ……また色が変わった!?」
先程も翠眼が黄金に変わり、今度は薄桃色。
異様な光景を食い入るように見つめていると、先ほどまでルビィだった少女が、自らの瞳を確認するかのようにグラスを覗き込んだ。
「不思議、色が変わったわぁ」
先程まで高らかに笑っていたはずの少女は、ささやくようにクスクスと笑っている。
「今度は、誰だ!?」
ルビィは『我々』と言っていた。
……つまりはさらに別人格が存在するということ。
「はじめまして国王陛下。わたくしの名前はアンジェリカ。恐れ多くも陛下の寝室で拝謁出来るなど、望外の喜び……以後、お見知りおきください」
やはり別人格かとルーカスは目を剥くが、先程のルビィよりは話が通じそうである。
「……どのような経緯でこの状況に?」
「知り合いというか、一方的にお近付きになったというか、……憑いた、というか?」
ルビィといいアンジェリカといい、本人の許可を得ずに好き勝手やっている様子が見て取れる。
またしても不穏な気配に、ルーカスは頬が引きつるのを必死で押さえた。