4. 贄の兎は身体をひらく① 初夜なのに死刑宣告
真向いのソファーに腰掛ける男が、横柄な態度でマーニャを見据える。
数多の戦場を駆けてきたのだろうか。
捲り上げた袖からのぞく腕に、ゆったりと開かれた襟から見える首筋に、……いくつもの傷跡が残っていた。
「お前を妻にせよと、命ぜられた」
唐突に男から突きつけられた言葉に、マーニャの思考が停止する。
一体誰に命ぜられたのだろう。
声にならないまま、マーニャはそっと視線を返した。
「期間は一年。一年後の、建国式までだ」
「一年? あの、一年経ったその後は、その、どうなるのでしょう?」
突然期限を言い渡され、何も分からぬまま不安のうちに問いかけると、男は眉間に皺を寄せながら、険しい顔で目を伏せた。
「――公開処刑だ」
こ、公開処刑!?
不機嫌に言い放ったその言葉に、マーニャはヒュッと息を呑む。
なぜ今ではなく一年後なのか。
どのような経緯で、なぜ殺されなければならないのか。
何一つ分からないままの死刑宣告に青褪める。
「本来であればすぐにでも断頭台に消えるはずだった命。お前は王のため……死ぬためだけに、下賜された。少なくとも一年は生き長らえる事が出来ると感謝しろ」
死ぬためだけに、下賜された――?
あまりに一方的過ぎて、どう反応すればいいのか、感情がまったく追い付かないのだ。
「お前のような年端もいかぬ娘を、このような形で娶るのは、不本意極まりないのだが」
「あああの、仰る意味が、よく」
必死の思いで言葉を紡ぐが上手く話せず、声が震え、つかえたように言い淀んでしまう。
震えるマーニャを目にし、男は大仰に息を吐いた。
「一年後に処刑されるとはいえ、兵士らに下げ渡され、慰み者になってもおかしくないところを免れ、今ここにいる。自国では王女、しかも聖女とあがめられていたかもしれんが、俺には関係ない。心して仕えよ」
「……はい」
敗戦国の王族に、従う以外の選択肢など、あろうはずもない。
王女に生まれ、聖女として日夜責務を果たせど、辛いばかりでついぞ良い思いなどした事も無いのだが……傍からはそう見えてしまうのだろうか。
消え入るような声で返事をしたマーニャへ、男は短剣を手渡した。
「死にたくなったら、いつでも死んで構わない」
震える手で受け取ると、ずしりとした重さが手にかかる。
ひやりと冷たく硬質な手触りが怖くなり、手に取ったソレをテーブルに置いた。
短剣など渡して、刺されたらどうするつもりだと頭を過ぎるが、マーニャごときが剣を握ったところで高々知れている。
背中の傷が痛みを増し、座ったままの姿勢を維持出来なくなってきた。
マーニャの身体が揺れ始めたのを訝し気に見遣り、男はゆったりとした動作で頬杖を突く。
その仕草は優雅で品があり、尊い身分のものに違いないと、マーニャは自身が王女であることも忘れてぼんやりと考えていた。
――そしてついに、マーニャは限界を迎える。
身体が大きくグラリと揺れ、引きずり込まれるように意識の底へと沈んでいく。
体内でうごめくような何かがマーニャの四肢を支配し、ドクリと心臓が跳ねた。
突如動かせなくなった身体――。
だが指先が、マーニャの意思に反してピクリと動く。
《なるほど自我が弱くなると、入り込む隙が出来るらしい》
楽しげに頭に響く声は、『狂乱の女王ルビィ・シエノス』のもの。
《久しぶりの生身の身体だ。少し楽しませてもらうとするか》
高らかに笑うその声を最後に、辛うじて保っていたマーニャの意識がプツリと途絶え、掻き消すように目の前が暗転する。
次の瞬間、先程までのゆったりとした動きが嘘のように俊敏に、テーブルに置かれた短剣を手に取った。
一瞬のうちに鞘を取り払い、男の襟を鷲掴みにして剣先を喉元へと突き付ける。
「今日を以て夫婦になるのだろう? 少し言葉足らずな印象は否めないが、話の分からぬ男ではなさそうだ」
磨き上げられたエメラルドのように煌めいていたその瞳が、輝くばかりの黄金に変わる。
座した男へ剣先を向けたまま、ルビィは身も竦むような圧を発し、見下ろした。
「さぁ、腹を割って語ろうではないか」
身体が地に沈み込むような凄まじい圧を放ちながら立ち上がり、少女はルーカスを見下ろすと、先程までの怯えが嘘のように全身に自信を漲らせ、高らかに告げた。
***
(SIDE:屋敷の主ルーカス)
突き付けた剣先をルーカスの喉元から引くや否や、少女はテーブルに置いてあった酒を手酌でなみなみと注ぎ、一気に喉奥へと流し込む。
「これじゃあ足りんな。……違う酒を持って来い」
従うのが当然とでも言うように、命令をする。
突然様子のおかしくなったマーニャを訝しみながら酒を手渡すと、またしても新しいグラスに機嫌良く注いで呷った後、空のグラスをルーカスの前に置いた。
「注げ」
淡々と宣うその姿は、命じ慣れた者だけが持つ傲慢さが窺える。
ルーカスが無言で酒を注ぐ姿を機嫌良く眺めながら、背凭れに両腕を回し、およそ聖女らしからぬ態度で足を組む。
手元で短剣をもてあそぶ姿は熟練した傭兵のようで、一体何が起きたのかとルーカスは食い入るように少女を見つめた。
「……歳と、名前は?」
不遜な態度で問われ、無言で返すと、少女はフンと鼻を鳴らし手元を軽く振る。
風切り音を立て、至近距離から飛んできた短剣を避けるも間に合わず、ルーカスの頬を浅く掠めて壁にトスンと突き刺さった。
「二十五歳。……ルーカス」
逆らうことを許さない黄金の瞳に射抜かれ、敢えて家門を伏せると、少女の顔が微かに歪む。
「貴族……いや、王族か?」
ガッと勢いよく手元の酒を呷り、空になったグラスをドンッ! と乱暴にテーブルへ叩きつけた。
「――それとも、王か」
少女のものとは思えぬほどの低い声が空気を浅く震わせ、ピンと張りつめた緊張感がその場を支配する。
貴族を装っていたのに看破されるとは思わず、ルーカスはギシリと身体を固くした。