30. 我らが神は気まぐれだ
「素晴らしい……!! であれば尚更、我らは手を組むべきだ」
――お前が、生き延びたいのなら。
ゆっくりと踏みしめるように一歩一歩、ドレイクがマーニャに歩み寄る。
《おい、マーニャ。こいつと手を組んだおかげで公開処刑を免れた、という筋書きは避けろ》
ドレイクがゆったりと羽織る衣の裾が床石をすべり、地を這う蛇のようにシュルシュルと乾いた音を立てた。
《この先復讐するのだろう? どんな理由があっても、命の恩人となった者を処罰すれば『忘恩の徒』と誹りを受ける。そうならぬよう、この場で言質を取っておけ》
確かにルビィの言う通り……であれば命の危険は、神の御業で回避出来ると伝えるのが良いだろう。
「……ドレイク様。実を申し上げますと、断頭台で落雷があった際も一瞬意識が遠のいたのです」
「あの落雷も神の思し召しだと?」
「はい。断頭台然り、闘技場然り……神が私を生かそうとする限り、今後も同様のことが起こるに違いありません」
――来たる公開処刑も、恐らくは。
ですからドレイク様と手を組むのは、あくまで祖国再興のためです、と念押しする。
《まぁ及第点だな》
《マーニャ、神殿から逃げた者はどうしているのかしら?》
続けてアンジェリカが疑問を呈する。
そうだ確かに、逃げのびた者がいるならば、支援を必要としているかもしれない。
至らない部分を二人に補われ、思わず溜息が漏れそうになった。
「ドレイク様。神殿から逃げた者達はどうしているのでしょうか」
「隠し通路に向かった連中か? 誰一人として逃げおおせた者はいないぞ」
「……どういうことでしょうか」
「神殿の隠し通路はアスガルド軍も把握済み。蟻一匹逃すなとディラン様から命じられ、出口には多くの兵士達が待ち伏せていたからな」
口封じのため、アスガルドの密偵も……ドレイク以外はすべて殺されたのだという。
「では、聖騎士団は……?」
「あの日を選び、王宮から距離のあるバルモ平原での模擬戦を提案したのは、何故だと思う? そんなことも分からないのか?」
模擬戦は、神殿と王宮の守りを薄くするため。
細部まで見渡せる広大な平野を選んだのは、囲い込み、剣の届かない遠距離から襲撃するためだ。
「丸見えの状態で、騎馬で模擬戦などと……アスガルドの兵士達が弓で狙うには、格好の標的だろう」
レトラ神聖国、随一の騎士団であれば逃げのびた者がいるのではないか。
そんな甘い考えを持っていたマーニャを嘲笑うかのように、ドレイクはマーニャの首に指先を伸ばした。
「すべては愚かな王が招いたことだ」
長年共に過ごした騎士団に対しても、一欠片の慈悲もない。
《……小賢しい男だ》
ルビィは声を低く抑え、忌々しそうに呟いた。
ドレイクの冷たい指先がマーニャの喉に触れ、すべるように首を伝う。
総毛立つような不快感が身体中を這い回り、マーニャの額がじっとりと汗ばんでいく。
《敬虔なる信徒ドレイクよ。神の愛し子であるマーニャ・レトラの前に跪け》
マーニャに触れたことで、再びドレイクの前に姿を現す二人の悪女。
裏切り者の大司教は感動に震える膝を押さえ、恭しく頭を垂れて跪いた。
「神使様……またもや私の前にそのお姿を現してくださったのですね」
ルビィに促され、引き続き悪女達の姿が見えるよう、マーニャが嫌々その頭に触れる。
《覚えておけ。愛し子を害する者を、我らは許さない》
頭上から落ちてくる厳かな声は、ルビィのもの。
「……今後は、命を懸けてお守りすると誓います」
《では、証を立ててもらおうか》
心臓に刃を突き立てられるようなプレッシャーがドレイクを襲う。
ドレイクは両手を胸の前で組み、指先を震わせながら神託に身を委ねた。
《……背信者ディランの首を、城壁に晒せ》
その言葉に、ドレイクのみならずマーニャもまたヒュッと息を呑む。
《我らが神は気まぐれだ。約束を違えれば、その命はないと思え》
揺るぎない自信に満ちあふれたルビィの隣で、アンジェリカが冷ややかな笑みを浮かべた。
***
「今日の面会は何事も無かったか?」
屋敷に帰るなり、ルーカスはノックもせずにマーニャの部屋を訪れた。
そのままドサリとマーニャの隣に腰を落とし、開口一番、気遣わしげに顔を覗きこまれる。
「はい、つつがなく終わりました」
「……そうか」
どこかホッとしたような柔らかな声音が嬉しくて、頬が緩んでしまう。
「ルーカス様にお気遣いいただいたおかげです」
「それは何よりだ」
ルーカスの横顔にチラリと視線を送ると、唇の端がほんのりと上向いていた。
もしかして、微笑まれている?
驚くマーニャに向けられたルーカスの穏やかな眼差しに、一瞬喉が詰まったように苦しくなる。
「ん、どうした?」
革張りのひじ掛けに置かれたマーニャの手。
ルーカスはわずかに首を傾け、その手を優しく包み込んだ。