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2. 見捨てられた『お飾り聖女』


 手を伸ばせば、両端の壁に届いてしまいそうなほどに狭い距離。

 独房の天井で二人の『悪女』達が、ふわりふわりと不満げな顔で宙に浮いている。


「……少しだけ、考えさせてください」


 昼間もうるさかったが、夜になるとさらに活動しやすくなるのだろうか。

 勝手に憑いてきた(・・・・・)挙げ句、先ほどからひっきりなしに話しかけてくる。

 なお、神殿に住まうものとして当たり前に身につけてきた、見ないふり、知らないふり、検討すると見せかけた保留は、今この場では通用しなかった。


《名高い我らが力を貸すのだ。即座に頷く、一択だろう》

《ルビィ様の仰るとおりよ。さぁ早く決断なさい》


 絶世の美女アンジェリカの澄んだ声が頭上から降り注ぐと、まるで神託のようである。

 二人は宙に浮かび大きな声で文句を言っているのだが、マーニャ以外には姿どころか声すらも聞こえていないらしい。


 初めは衛兵や他の捕虜達にも、ちょっかい(・・・・・)をかけていた『悪女』達。

 幸か不幸か、マーニャにしか見聞きできないということに気付き、それからはずっとこの調子なのだ。

 初めは怖かったのだが、あまりに俗っぽく自由な彼女らに怯える気力も失せてしまった。


「疲れた……」


 夜も更けて疲れも限界。

 口からこぼれ落ちる言葉が、疲労感を加速する。

 重い頭をゆるやかに振ると、それに合わせてぼやけたように景色が歪んだ。


《それにしてもレトラ神聖国の聖女どころか、王女だったとはな》

《とても見えないわ》

《そうだな、随分と覇気がない》

「……覇気のある聖女なんて、需要がありませんから」


 断頭台が燃え尽きた後、恐々と近付いた衛兵達に剣を向けられ、元いた戦争捕虜用の独房へと押し込められた。


 今後どうなるのかは分からない。

 それでも、今日一日、生き延びられた――。


「少しだけ、眠らせてください」


 疲れた頭では充分に思考がまとまらない。

 静かにしてほしいと告げると、《あとから力を貸してくださいとお願いしても遅いのよ》と捨て台詞を吐き、アンジェリカは壁を抜けてどこかに行ってしまった。


「良かった、やっと静かになった」

《……残念だったなマーニャ、まだ私が残っている。ずっと暗闇の中にいたので、久方ぶりに話がしたい》

「どうぞアンジェリカ様とお話しください」

《何故だ? 私はお前と話がしたいのだ。運命に抗う者の末路ほど、興味深いものはない》


 ルビィはそう言うなり宙に胡坐をかき、反抗的なマーニャの態度を楽しむかのように笑みを浮かべた。


《何でもいいから話せ。お前の話を聞いてやる》

「思いつきません」

《……絞り出せ》


 アスガルド王国を建国した初代女王、ルビィ・シエノス。

 実際、ひれ伏さねばならぬほどに偉いのだが、それにしても呆れるほど横柄である。


 レトラ神聖国史上、最高の聖女マーニャ・レトラ。

 生まれてすぐ神殿に押し込められ、王家が、神殿が、自らの権威を高めるためだけに利用し続けた憐れな聖女。


 死んだら死んだで構わない。

 天に召されることで、さらにその名は上がるのだから。


 物心ついてからこれまで、昼夜休むことなく、文字通り馬車馬のように働き続けた。

 そしてあの日(・・・)、疲弊した心身はついに限界を迎え、マーニャはあろうことか礼拝中に気を失ってしまったのだ。


 たった一度の失敗……だが大司教は激怒した。


『神殿の品格を貶めたお前は、聖女失格である』


 神の怒りと名すれば全てが許されるこの神殿内において、国王が気まぐれに手をつけた修道女の娘など……例え王女という身分があったとしても、神聖力溢れる聖女だったとしても、貴ばれるわけがない。


『自分で治癒できるのだから、生きてさえいればいいだろう』


 音が漏れない地下の懺悔室で、大司教は何度も何度もマーニャの背中を鞭打った。

 弱者を虐げる強者であることに、愉悦の笑みを浮かべながら。

 ……公開処刑を見に来ていた民衆と変わりない、憂さを晴らすための『娯楽(・・)』、として。


 焼けつくような背の痛みに耐えきれず、口端からかすかに声が漏れる。

 やっとのことで神聖力を振りしぼり、背中の傷をなんとか塞ぐと、程なくしてマーニャが打ち捨てられた懺悔室に、震えあがるような怒号と悲鳴が届いた。


 沢山の足音が聞こえ、聞こえてくる内容から、アスガルド王国軍が攻め入ったのだと分かる。


 燃え上がる神殿の中、せめて最期は神の傍で迎えようと這いずるように聖堂へ向かい、アスガルド軍に捕縛されるその時まで。

 ――マーニャはひとり、祈り続けたのだ。


 その数時間後、レトラ神聖国は滅びた。

 そしてマーニャは捕縛され、()えた臭いのする独房で一人、死を待っている。


「……お前は神を否定した、か」


 石床に寝そべったまま重い頭をゆるやかに振る。

 ぼやけたように目の前が霞んだ次の瞬間、突然ポンッと音がして、マーニャのすぐ近くにアンジェリカが現れた。


「!?」

《……ただいま》

《なんだアンジェリカ、もう寂しくなったのか?》


 随分と早い御帰還だな。

 揶揄われ、形の良い唇を尖らせるアンジェリカ。


《ちょっとマーニャ、『おかえりなさい』くらい言ったらどうなの!?》


 腰に手を当て、気が利かない子ねぇとアンジェリカが文句を言っている。


《それでお前は、何をしに戻って来たんだ?》

《戻りたくて戻って来たわけじゃないのよ!!》


 ちょっと見ててねと言い残し、アンジェリカは勢いよく壁をすり抜け、またどこかへ行ってしまう。

 数十秒ほど経っただろうか。

 再びポンッと音がして、マーニャの目の前にアンジェリカが現れた。


《……ほぅ》

《不思議でしょう? 離れすぎると、なぜか戻ってきてしまうの!》


 ならば私もと、今度はルビィがいなくなる。

 程なくして、ポンッとという小気味よい破裂音とともにルビィが現れた。


「ッ!?」

《ふむ……距離にして五十メートル四方といったところか》


 マーニャから一定の距離を取ると、強制帰還する仕組みになっているらしい。


《聖女の血に呼ばれた我らだ。なにかしらマーニャに紐づいているのやもしれんな》

《ヤダ、怖いわ。まるで呪いみたいじゃない》


 そうですね、お二人の存在そのものが呪いのようです――!!

 もしくは迫る死を前にして、恐怖のあまり幻覚が見えているのだろうか。

 だがそれにしては騒がしく、明瞭に聞こえてくるのだ。


《まぁいいではないか。それだけ動ければ十分だ》

《全然足りないわ! マーニャ、貴女のせいよ。どうにかしなさい!!》


 わたくしは自由気ままに動きたいのに!

 夜も更け、さらに元気が増す二人の悪女。

 勝手に憑いてきた(・・・・・)あげく、マーニャの上で好き勝手に話している。


《あら? マーニャ、グッタリしてどうしたの?》


 なんだかとても、身体が熱かった。

 大司教に鞭打たれた背中の傷が開いたのだろうか。

 熱を持ち、先程まであんなに冷たかった石床がなまぬるく暖まるほど、体温が上がっているのを感じる。

 アンジェリカに顔を覗きこまれるが、取り繕う余裕はなかった。


《ヤダ、熱があるんじゃない? 顔が赤いわ》

《……お前、背中に血がにじんでいるではないか》


 聖女なのに自分の傷も治せないのかと、二人に怪訝な顔を向けられる。

 痛いところを突かれて、マーニャはグッと唇を噛んだ。


 ――神様は不公平だ。

 生まれながらに優劣があり、搾取する者とされる者が決まっている。


 王女に生まれ、聖女などと大層な役目を与えられ……。

 何を言っているんだと怒られるかもしれないが、心安らかに、ただ隣にいてくれる者さえ自分にはいなかった。

 神殿を訪れる平民のほうが、よほど幸せそうに微笑んでいる。

 ひとりぼっちで耐え続けるマーニャとは対照的に、貧困に苦しみながらも、愛する人と手を携えて。


 ――アスガルド王国軍が神殿に火を放った夜。

 這いずりながら聖堂に向かう途中、逃走用の隠し通路へ我先に逃げ込んでいく聖職者達の後ろ姿が見えた。

 身命を賭して神に仕えよなどと、よくもまぁ言えたものだ。


 神殿にひとり取り残され、見捨てられた、――憐れな憐れな『お飾り聖女』。


「……神聖力を、感じられなくなってしまいました」


 こんなにも無力で何もできない。

 ――それが、本当の私だ。


《ふぅん? 神を否定したからかしら?》

《神聖力が無くても、お前はお前。何も気にすることはない》

「悪女として名を馳せたお二人はともかく、私は聖女です。気にするなというほうが無理です」


 神聖力が自分の中で小さくなっていくのを感じたのは、鞭打たれた夜のこと。

 本来ならば跡形もなく消せるはずの背中の傷は、血を止めるのでやっとだった。

 そして断頭台で神を否定した直後、僅かばかり残っていた神聖力もついに、すべて。


 ――すべてを、失ってしまった。


《失礼な子ねぇ。私達だって初めから悪女だったわけじゃないのよ?》

《アンジェリカの言う通りだ。我々もはじめは清廉な乙女だったのだ。騙され、傷付き、苦しみ……そして悪女になったのだ》

《……わたくしの首が落ちた時は、『悪女が死んだ』とそれは皆大喜びだったわ! それはそうとルビィ様、『虐げられ』も入れてください》

《ん? ああ、お前の場合は確かにそうだな。つまるところマーニャには、我らの力が必要ということだ》


 さぁ、今こそ我らにその身体を献上するのだ!

 ルビィが意気揚々と告げるが、もう答える気力もない。

 聖女でありながら憎悪し、あろうことか拝する神を否定した上、処刑場では民を害してしまった。


 きっとその罰なのだろうと、マーニャが自嘲気味に目を伏せた直後、近付いてくる看守達の足音に気が付いた。


「おい、出ろ!」


 ガチャリ、と硬質な音を立てて扉が開いた先には、一台の牢馬車。

 鉄格子のはまった、どこにも逃げられない檻の中。



 ――行き先は、告げられなかった。






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