16. ルールを決めませんか?
《痛ッ》
本来であれば痛みなど感じないはずのアンジェリカが、部屋の隅へと弾かれた拍子に小さく悲鳴を上げる。
本人が一番驚いたのだろう、信じられないとでも言うように目を丸くしている。
《今のは!?》
《……何かが我らを拒絶した》
アンジェリカ同様、部屋の隅へと追いやられたルビィの声に苛立ちが混じる。
《そういえば牢馬車でも私を弾いていたな》
勝手に身体を乗っ取ろうとしたアンジェリカは通過し、ルビィはなぜだか弾かれた。
「そんなこともありましたね……」
《今のは意図的にやったのか?》
あの時は何も考えず、完全に無意識下での拒絶だった。
珍しく警戒心を露わにし、マーニャのもとへと再び集う悪女達。
世に名を轟かせる二人から至近距離で圧を掛けられ、早くも心が折れそうだが、ここで頑張らなければ後がない。
拒絶するように目に力を籠めると、二人は再び何かに押し出されるように、一定の距離を後退した。
《さすがは元聖女、と言ったところね》
《チッ、面倒臭いことになったな》
なるほど、コツが掴めてきた。
意識さえ保てれば、この方法で身体から追い出すことも出来そうだ。
《わたくし達はもう、必要ないということかしら》
《すべてを我らのせいにして、拒絶する気か?》
「……いいえ。断頭台からこれまで、自身の至らなさが原因であると自覚しています」
レトラ神聖国でも、戦争捕虜になってからも、自分さえ我慢すれば過ぎゆくことだと耐え忍んだ結果、相手を増長させてしまった。
だがそれでは駄目なのだ。
いつか取り返しがつかなくなる時が来る……いや、もうとっくに後戻りできないところまで来ているのだ。
相手が誰であろうと関係ない。
自分が変わらなければ、また同じことの繰り返しだと、今回の件でよくよく分かった。
「ルビィ様。そしてアンジェリカ様。……ご存知ないと思いますが、お二人がいてくださったおかげで慰められ、頑張れていたのです」
怯え戸惑い、いざという時は縋る相手が欲しいと、甘え心を持ち続けたのは他でもないマーニャ自身だ。
それは、ある種の依存に近かったように思う。
「……とても、感謝しています」
ですが今回のように、騙し討ちのような形はいただけませんと付け加える。
飾らない言葉で切々と本音を語ると、何か思うところがあったのだろうか、二人は口をつぐんだ。
実際独房に戻されてからこれまで、誰かが傍にいてくれたのは、何ものにも代えがたいほど心強くありがたかった。
「すべてを拒否するつもりはなく、お互いに折り合いをつけ、ともに過ごせることが一番だと思うのです。……なのでルールを決めませんか?」
勿論、場合によっては例外措置もあるけれど、一日一回時間を決めて。
そして終了時には必ず、何があったのかを報告すること。
「身体を貸してる間、私は意識を保てないのですから」
信義に従い行動してくださるのなら、限度はございますが、ある程度自由にしてくださって構わないのです。
……限度はございますが。
際限なく自由にさせると何をやらかすか分からないため、大事なことは二度言っておく。
《わたくしは、その条件で構わないわ》
《いいだろう。定期的に生身の身体を味わえるのならば、こちらにとっても都合がいい》
良かった、思った以上にすんなりと受け入れてもらえた。
何とか話がまとまったところで、コホンと一つ、ルーカスの咳払いが聞こえた。
「話は終わったか? 何を話していたかは知らんが、お前が言う通り、一定のルールを決めるに越したことはない」
悪女達の声は聞こえないが、マーニャが話している内容から大体を察したらしい。
先程、弟と称する男と会ったばかりだが、兄弟を比較するとルーカスが如何にまともかがよく分かる。
「ついでに一つ、追加しろ。『俺の部屋へ入るな』」
勝手に部屋へ入られ、酒を物色されたのが気に入らないという。
《部屋を見られたくないだなんて、随分と狭量だこと》
《ならば指定する酒をすべて取り寄せ、マーニャの部屋に常備させろ》
絶対に守らせろとキツく申し付けられるが、肝心の悪女達は好き勝手に発言している。
「どうだ、承諾したか?」
「ええと、その……心掛けますが、望むお酒を購入してくださることが条件のようです」
「……まぁいいだろう」
元女王と元王太子妃、というアスガルド王国きってのファーストレディ達が望む酒。
この後、数十本にも及ぶ大量の高給酒リストを手渡されるとも知らず、ルーカスは二つ返事で承諾した。
「ところで身体を貸している間は意識を保てないとのことだが、先程何があったか聞かなくてもいいのか?」
「……伺いたいです」
「お前は『決闘裁判』により、歴戦の猛者と戦うことになった」
「はい!?」
一体全体、何を言って――!?
「闘技場で逃げ惑い、恐怖に剣を落として泣き叫んだ挙げ句、負けを認めて赦しを乞うところまでがお前の役割だ」
「ええッ!?」
《……文句はアンジェリカに言え》
そろりと振り向いたマーニャの視線の先には、素知らぬ顔で窓の外を眺めるアンジェリカの姿。
「剣なんて握ったこともないのに、何てことするんですかぁぁッ!?」
《仕方なかったのよ。売り言葉に買い言葉、と言うでしょう?》
「ど、どうするつもりですか!? ハッ! あの時の……断頭台の時の力が出せればもしかして」
「おい、やめろ。闘技場を火の海にするつもりか?」
慌ててルーカスに止められるが、他に良い方法も思いつかず、マーニャは途方に暮れる。
《案ずることはない。早速の例外措置として、私が代わりに戦ってやる。生前使用していた黒剣が宝物庫に納められているはずだから、持ってくるようルーカスに伝えろ》
いつも腰元に下げている黒剣が、未だ存在しているらしい。
「ルビィ様の黒剣が宝物庫にあるそうですが、ご用意いただけますか?」
だが難しいのではないだろうか。
なぜなら通常、宝物庫への出入りを許可出来るのは、聖職者と――。
「検討しよう」
…………そして、限られた王族のみ。
ルーカスの答えに、マーニャの頬が強張った。