1. 死か、復讐か
――何ひとつ、楽しみの無い人生だった。
処刑を待ちわびる民衆のさざめきが、処刑場を包み込む。
手首に食いこむ麻紐の痛みに顔を歪めながら、マーニャは迫る断頭台へと目を向けた。
この断頭台で、今日この日。
マーニャは、短い人生を終えるのだ。
「まさかレトラ神聖国の聖女が、我が国に通じ、祖国を売るとは」
レトラ神聖国の王族、それも聖女であるマーニャ。
本来であれば触れることすら許されない身分の処刑人が、下卑た笑みで見下ろしている。
重い足を引きずるようにして、一段、また一段とマーニャは階段を登っていった。
軍事大国アスガルドによって滅ぼされた、レトラ神聖国。
その侵攻は例外なく、マーニャの住まう神殿にまで及び、神の領域は一夜にして血に染まった。
そしてマーニャは捕縛され、戦争捕虜としてアスガルドに送還されたのである。
「祖国を売り、敵国に通じた『売国の悪女』。お前も、晴れて悪女の仲間入りだ」
不名誉な二つ名まで与えられるが、誓って売国などしていない。
でも真実など、関係ないのだ。
「最後にお前の神へ、祈りでも捧げるか?」
見世物のように死んでいく惨めな私が、今さら何を祈るというのか。
自国の圧政に苦しむ彼らにとって、高貴な少女が断頭台へ上がる姿は、生れながらに選ばれた者への憂さを晴らす『娯楽』にすぎないのだろう。
「さっさとしろ!」
「……ッ!!」
処刑人がマーニャの髪を乱暴に掴み、断頭台へと引き寄せた。
頭の皮が引きちぎられそうなほどの痛みに抗うが、意味はなく、悲鳴が漏れそうになる。
王女として生まれ、ただひたすら聖女として、身も心も捧げてきた。
それなのに一度も報われることなく、最後は下賤の者の娯楽として命を散らせと。
――神は、そう宣うのだろうか。
何が、『聖女』。
死への恐怖で毛穴が逆立ち、吹き出しそうな怒りに血が逆流する。
――何が、『神』。
充血した目を、こぼれ落ちそうな程に見開くと、沸騰する血を全身に廻らせるようにドクリと心臓が脈打った。
この苦しみすら、信仰の証だというのなら。
神聖国の王族は金髪翠眼。だが見開いたマーニャの翠眼が、血のような深紅に染まる。
「お、お前、なんだその目は!?」
怯え、か弱く抵抗していたはずのマーニャの変化に気付き、処刑人は掴んでいた髪を思わず放した。
マーニャの身体が大きく揺らぎ、ゴッと鈍い音を立て、断頭台の側柱に勢いよく頭を打ちつける。
額から赤黒い血が垂れ、断頭台にぽたりと落ちた。
「――こんな神など、私は、いらない」
氷のように冷たい金属音が、こぼれた声に混じる。
息を吐くたびに、身体の奥に残ってたなにかが――内臓ごと、引きはがされていくようだった。
ひとしずく垂れた血が淡く光を宿し、大地が震える。
跪いた足元で、瑠璃色の円が波紋のように広がっていく。
「う、うわぁあッ!?」
処刑人が恐怖に震え、その場にペタリと尻餅をついた。
マーニャを囲むように円柱状に伸びた光は、幾重にも広がり、雲の隙間を埋めるように天へと伸びていく。
暁の空をさらに紅く染める荘厳な美しさに、民衆は息を呑んだ。
キィ……ン、と遠く剣が交わるような音が響き、光の柱は天へと消える。
処刑人が再びマーニャを拘束しようした、その時、一筋の光が断頭台に向かって降りてきた。
――――そして。
ドガァァアアーーンッツ!!
轟音とともに、断頭台が真っ二つに割れ、火柱のように燃え上がる。
処刑人は炭のように黒く焼かれ、崩れ落ちた。
「神の、怒り……?」
震える声が、静まり返った空気を浅く揺らす。
「聖女様に手を下そうとした神罰では……?」
次いで光の矢がそこかしこに注がれ、我先に逃げ出す民衆の行く手を阻み、……処刑場が狂乱の渦に巻き込まれた。
焼け焦げ動かなくなったもの、もがき苦しむもの――。
どれほどの時間が経っただろうか、断頭台にひとりポツンとマーニャだけが取り残される。
その頬に影が落ち、マーニャはふと顔を上げた。
赤く燃え上がる断頭台を背に、ひとりの女が微笑んでいる。
《あらあら、大変。思っていたよりも、ずっと危険な子ねぇ》
脳内に声が響き、絶世の美女がすっと顔を寄せる。
柔らかな薄桃の髪と瞳。
喉元で、国宝級のサファイアが嵌め込まれた黄金のチョーカーが輝いている。
ソレは神殿の奥深くに居てもなお耳にする、断頭台に散った『悪女』を思わせた。
「アンジェリカ・グルーニー……!?」
思わず口をついたその名は、夫である王太子に陥れられ、娼館に売られた悲劇の王太子妃。
だが彼女は持ち前の美貌と手練手管で、娼館を訪れる貴族たちを次々と籠絡した。
そして迎えた王太子の戴冠の日。
『血濡れ王太子妃』アンジェリカ・グルーニーは、王位継承式を血の海に染め上げたのである。
死の間際に見る幻なのだろうか。
だがマーニャを嘲るように、軽やかな笑い声が降り注ぐ。
《随分と派手にやらかしたわねぇ……うふふ、この後どんな目に遭わされるのかしら? 磔? 牛裂き? 楽しみだわぁ》
まさか……死を前にして、自分ははおかしくなってしまったのだろうか。
震える指を組み合わせ、マーニャは祈りを捧げる。
あれほどの目に遭ってもなお、死の間際に神を否定してもなお、最後は祈ってしまうのかとマーニャが自嘲気味に口端を歪ませた、――その瞬間。
――ずしり、と。
地の底へと沈み込むような重みが、マーニャの全身を覆った。
《お前は神を否定した。いくら祈っても無駄だ》
野性味を帯びたしなやかな肢体に騎士服を纏わせた女性騎士が、マーニャの喉元へ黒剣を突きつける。
《聖女の血が呪縛を解き放ち、お前の怒りと清廉な魂が、眠る我らを呼び起こした》
剣柄には王の刻印。
男性と見紛う体格と、マーニャを捕らえて離さない黄金の瞳。
《神が最後に与えた情けかは知らんがな》
自信に満ち溢れたその様相は支配者のもの。
女王然として厳かに告げるその声は、地にひれ伏してしまいそうな程の威圧感を発している。
「ルビィ・シエノス……そんな、まさか」
呆けたように呟いたマーニャの言葉に、ルビィは目を眇めた。
自ら戦場に赴き、数多の屍を礎に、アスガルド王国を建国した初代女王。
だが最後は裏切りにより処刑された、『狂乱の女王ルビィ・シエノス』。
半世紀以上前、断頭台に露と消えた『悪女』らが、何故マーニャの走馬灯となって顕現するのか。
《さて亡国の聖女よ》
《この先待つ『死』を甘受するか? お前が望むなら、我らが力を貸してやろう》
黒剣を鞘にしまい、コキリと首をひと鳴らしした後、ルビィは仁王立ちで見下ろした。
アンジェリカがふわりとマーニャに近付き、そっと耳打ちをする。
《わたくしは、男を篭絡する手管と謀略を》
《そして、すべてを薙ぎ払う力を。……たよたうばかりで飽き飽きしていたところだ。退屈しのぎに丁度良い》
誰もいなくなった処刑場で、燃え盛る断頭台が音を立てて崩れていく。
死か復讐か。
――――選べ。代償は、お前自身だ。