「シッコクノショ」
佐六田市の市立図書館に、「漆黒の書」が出たというので、異物狩りに声が掛かった。
俺は、姉雨市でのアルバイト、サトワタリの警護のお礼に、岩崎さんを誘った。
「サトワタリのお礼が、こんな物騒な奴? 鈴木君」
岩崎さんは俺と顔を合わせるなり、形の良い唇を歪めた。俺と同じ、デニムの上・下を着ているのは、虫除けや動きやすさを考えてのことだろう。
そしてデニムが赤いのは、ファッションなのだろう。
岩崎さんは、異物狩りには珍しい女性だ。しかも、二十代半ば、若くて美人だ。美人の概念は人それぞれだと思うが。
岩崎さんが「物騒な奴」と言ったのは、シッコクノショが、人間の精気を吸い取る異物だからだ。
書物に擬態して、人が手に取るのを、じっと待っている、穴掘り蜘蛛のようなタイプの異物なのだ。
本を読んでいるつもりで、シッコクノショが出すオレキシン波とやらで意識がぼんやりし、うつらうつらしている間に、エネルギーを吸われる。
しかし、吸い取られる人間はページを開いたまま、ボーーッとしているので、第三者が近くにいると、発見が早い。
一人暮らしとか、部屋に籠もったままシッコクを読んでいると、衰弱死もあるらしいので、特級害異物に指定されていた。
そして面倒なのは後遺症だ。
読書恐怖症。不眠症。過食症など。シッコクと長時間に渡って眼を合わせたことで、交感神経とかがヤラれるらしい。
今回、集まった異物狩りは五人。
図書館職員と二人ひと組となり、これから児童室の探索をする。
そうなのだ。シッコクは、絵本に化けていたのだ。
児童室の蔵書は八千冊ほど、とか。
広くも感じるが、棚が低く見渡せる部屋だ。シッコクが逃げていなければ、なんとかなるだろう。
リュックは邪魔なので、部屋の外に置いた。
職員が一冊ずつ、絵本を「読んで」確認していく。
職員がページを開いたまま、ボーーッとし始めたら、そいつがシッコクノショだ。という訳だ。
少人数なので、気の長い話だが、五組は部屋に散った。
俺の相棒は、山本という中年の司書だった。
司書なのに、読書恐怖症になる危険を顧みず、シッコクノショ討伐チームに立候補した熱いおっさんだ。
俺たちは、図鑑コーナーから始めることになっていた。
「魚貝の図鑑」を手に取って、
「見つかったシッコクノショは、大判の絵本でしたが、このような箱入りの図鑑にも化けるのですか?」
「もちろんです」と答える俺は、よく知らなかったが、「ハードカバーの文学全集の一冊にも、文庫本にも化けます」と、岩崎さんからの受け売りを教えた。
「質量はどうなっているんですか?」
「体を圧縮させたり、膨張させたりしてるんじゃないかな?」
「すると、異様に重い文庫とか、軽すぎる重厚な辞書とかは、怪しいですね」
「そ、そうですね」
「バレやすいものには化けないだろうから、案外変化の幅は狭いんだろうな」
「思い込みは、危ないですよ」
「ああ。もちろんそうですが」
その司書のおっさんの言葉に被せて、
「逃げたっ!」という鋭い声が部屋に響いた。
声のした方を振り返ると、真っ黒なカバーの本が真っ黒なページを羽ばたかせて、部屋の天井近くを飛んでいた。
シッコクノショだ。俺は初めて見た。
誰もいない場所へ舞い降りるB5版くらいのシッコクノショ。
「すまん、逃げられた!」
「歴史コーナーに降りたぞ!」
「今度こそ逃がすな!」
五チームが歴史コーナーに走った。
「慎重に。片っ端から調べれば、また見つかるわ」と岩崎さん。
「素早いから気をつけろ」とは、逃した者の台詞だろう。
「一ヶ所に集まってしまいましたが、大丈夫でしょうか?」俺の相棒が言った。もっともな不安だ。
「大丈夫。本にしか化けられないから、必ず見つかるわ」ハッタリの上手い岩崎さんが言った。
俺は乗せられて、その気になった。
歴史コーナーの本を調べるのは、俺と岩崎さんと、シッコクを逃したチームの三つ。
後のニチーム四人は、左右に分かれて見張りに立ってもらった。
俺たちが調べるのに夢中になっている隙に、シッコクがこっそりと逃げる心配もあったからだ。
「もしも私がシッコクノショを持っていると分かったら、私の手に構わずそのナイフで刺して下さい。お願いします」
読書家の天敵に対して、並々ならぬ決意を口にするおっさん司書。
「分かりました」平静を装いながら、司書の言葉にドン引きする俺。
(このオッサン、プロだ。プロってみんな、こうなのか?)
俺は少し、自分の甘さを恥じた。
「見つかんねえな。また逃げられたかな」逃した、と言った本人が、ボヤいた。
「逃げてないよ」見張り役のひとりが、強い口調で言い返した。
「見つけた!」甲高い女性の声が部屋に響いた。
岩崎さんだ。
膝立ち状態で床に本を押さえ込んでいる。押さえ込まれた本は、すでに正体を表して、漆黒になっていた。
手に持った長くて大きなナイフで、何度もシッコクを刺す岩崎さん。
見開き状態で、片方のページを膝で、もう片方のページは空いた方の手で押さえられ、ナイフで刺されながらも暴れているシッコク。なんと、吹き出る血は赤かった。
捕り物で、蔵書が破れたり汚れたりしても構わない、という話だったが、床の敷き物にシッコクの血が広がってゆく。
俺は岩崎さんに近寄った。
何か手助けがしたかったが、相手が小さいので、特に何もすることはなかった。
「こんなもんか? 分かんないや」岩崎さんが手を休めた。
立てていた膝を正座の形にした。
本は完全に両膝の下に敷かれている。
岩崎さんの体重は、五十キロはあるだろう。
すでにページは穴だらけだ。
しかし、「あっ」と言って岩崎さんが体勢を崩した。
シッコクが飛び上がったのだ。逃げる隙をうかがっていたのだろう。それにしても何というパワーだ。
そしてしぶとい。赤い血を滴らせて、ページを羽ばたかせている。
しかしシッコクの逃げる先には俺が居た。あんがい低空飛行なのは、もう余力がなかったのだろう。
俺は腕を振り上げ、ナイフの柄尻でシッコクを殴りつけた。
衝撃で床に落ちるシッコク。悲鳴を上げないのが、返って怖い。
体重を乗せて、また飛び上がろうとするシッコクを刺した。
床に串刺しの形になりながら、ナイフの下でページをばたばたさせるシッコク。
(まだ生きてんのか?!)
俺はシッコクの生命力に驚いたが、単に「核」を刺せていないのだろう。
「しぶといわね、まだ動いているわ。力をゆるめないで、鈴木君」
「おう。俺は七十キロあるからな」
「やっぱり質量が多いと違うわね」
笑うとこか? しかし余裕のない俺。
「どうしたら殺せるのか、分からん」
「ズタズタに穴を空けたらいいんじゃねえの?」と言ったのは、逃した奴の声だ。
俺は、そいつの言葉を聞いて、(ひょっとして、こいつは)と思った。
そいつは続けて、
「この一冊だけだろうな、シッコクノショは」と言った。
うん、間違いない。こいつは『ひと言余計なことを言う奴』だ。
しかし、こういうヤカラとも仲良くしておかねばならない。
いつ何処で、異物との戦いで盾になってくれるか分からないからだ。
「あんたも刺してみるかい?」俺は顔を上げて、言った。
「えっ、良いのかい?」そいつは嬉しそうに笑って、腰のホルスターから、ナイフを抜いた。
(よし、ひとつ貸しだ。いつか返してもらうぜ)
俺も嬉しそうに笑ってしまった。
「異物狩り」全四話、おしまいです。
また「異物」が溜まったら、続きを書くかも知れません。
話の中に、伏線みたいに名が出ている「凶極」は、話にまとめられなかった「異物」です。
悔しいので、名前だけでも、と思い書きました。
「魔人ビキラ」本編。次回は、水曜日(12月27日)のお昼12時前後に投稿予定です。
ビキラ話のショートショートショート版「ビキラ外伝」は、金曜日(12月29日)のお昼12時前後の投稿予定。
回文ショートショート童話「のほほん」は、全111話で完結済み。
よかったら、読んでみて下さい。
馬鹿馬鹿しさは、本人も友人も保証済みです。