「エンリュウ」
その日その街、真捨市は、スモッグに覆われていた。
大蛇風退治をした姉雨市とは、電車の駅を三つほど経た工業都市だ。
慣れっ子の大気汚染は、もはやただの靄という認識だ。
第三次世界大戦後の、産業変革の弊害と言えた。
とは言え、濃霧には程遠く、街並みを灰色にはしているが、普通に生活する分には、何も支障がない。
ご丁寧にも空には群雲が湧いて、太陽の光を遮っている。
(こんな日には煙龍が出る)
と、朝起きて思った俺は、さっそく海岸線に行ってみた。
エンリュウは、河口や海岸に出現することが多いからだ。
果たして、海岸にはエンリュウがいた。
エンリュウは二足歩行風の、濃いスモッグの固まりである。
頭が大きく前脚の小さな、ティラノサウルスのような形状をして現われる。体高は六メートルくらい。全長は十メートルを超える。尻尾のような煙の固まりを引きずっているのだ。
だから、「龍」の名前が付いていた。
汚染物質の固まりなので、発見されたら、人が近づかないように各自治体が呼びかけるが、子供たちは言うことを聞かなない。
接近してエンリュウに石を投げる。
石はエンリュウの体を突き抜け、流星痕のような長い煙の尾を引いて飛んでゆく。
石が長く飛んだからと言って、煙痕も長く続くとは限らない。
エンリュウには粘りのある部分があり、そこを突くと、煙は長く尾を引いて飛ぶのだ。それが面白かった。
子供の頃、俺たちはそこを「核」と呼んでいた。
「核」はエンリュウごとに違ったので、俺たちは核探しを競った。
そう言う石投げの光景を、俺は海岸で今、眺めている。
「頭だ!」
「こいつ、頭だ!」
核を見つけたのだろう、子供たちが叫んでいる。
そんな子供たちに、風に逆らいゆっくりと接近してゆくエンリュウ。
(こいつ、意思があるよなあ)
俺は、石投げに夢中だった少年時代には考えもしなかった非科学的な思いに沈んだ。
汚染物質の中で、活性化する植物も発見されている。それは順応か進化か。
まあ、俺には関係のない話だが。
「こらっ、止めんか、クソがきども!」
どこからか下駄履きの爺さんが現われて、子供たちに怒鳴った。
子供たちは、「わっ!」と叫んで逃げ出した。
スキンヘッドに鼻髭をたくわえた、それなりに迫力のある爺さんだ。
「あんたも、ボーッと見とらんで、注意してやらんと」と俺に迫って来て言った。
腕に黄色い腕章をしている。
「煙龍当番」と黒字で書いてあった。
「いや、俺も子供の頃、エンリュウに石を投げたし」
「ワシもだ。しかし、それはそれ、これはこれだ。アレは生きておるのだから。知ったからには、無体はいかん」
おやおや、とんだ煙龍当番だ。あんなもの守ってどうする。
「汚染物質のカタマリだぜ、あいつは」俺は視界にいるエンリュウに、顎をしゃくった。
「ああ? 腰に物騒な物を差しておるな。お前さん、異物狩りか? よせよせ、お前如きに倒せるものか」
「当たり前だ。見物に来ただけだよ。消防車の異物狩りは面白いからな」
アレは生きておるのだから、とか、この爺さん本気か?
その思いは分からんでもないが、赤の他人にホイホイ言って良い意見ではあるまい。と俺は思う。
変人認定されて生きるのは、案外ツラいからな。
遠くで、消防車の奇妙なサイレンが鳴っていた。
対煙龍のサイレンだ。警鐘も鳴らしている。
火災出動ではなくて、異物出動だ。
「くそ。誰かが知らせたな」と舌打ちする爺さん。
まあ、裏切り者の当番爺さんが知らせなくても、目立つ物体だし、誰かが知らせるよな。
「あいつら、またエンリュウを殺しに来おった」サイレンを聞いてつぶやくスキンヘッドの爺さん。
「あんた、エンリュウの出現を知らせるのが仕事だろう。何があったんだい?」
「それは前回までのワシだ。もう、殺生は止めたんだ!」
爺さんは、俺の質問にはきちんとは答えてくれなかった。色々あったんだろう。
やがて雑草の生えた海岸に乗り込んで来る消防車両たち。
エンリュウが街に入る前に消すのが彼らの仕事だ。
指揮者の他、タンク式の放水車二両、巨大なプロペラを搭載した扇風車一両。
扇風車の赤いボディには、白抜きで「スモッグドラゴン」の文字があった。専用車両なのだろう。
海岸に入って来る消防車の群れに、裸足になって走ってゆく爺さん。
両手を大きく振って、車両の前に立ち塞がった。
止まった先頭の指揮車の窓から顔を出して、
「馬鹿野郎! 危ない、そこを退け!」と怒鳴る青い制服男。
おれは慌てて走って行き、爺さんを羽交い絞めにした。
「な、なにをするか、離せ!」もがく爺さん。
「お前んとこの爺いか? エンリュウの消散作業を妨害するのは犯罪だぞ、分かってんのか!!」俺に叫ぶ制服男。
「俺はただの異物狩りだ」俺は爺さんを羽交い絞めにしたまま移動させ、道を空けた。
「あんたらのエンリュウ狩りを見に来ただけだよ」
「そうだったか。じゃあ、よく見てろ。一人ではどうしようもない異物狩りだからな」
対エンリュウ車両たちが、再びゆっくりと巨大な異物に迫って行く。
「核はどこだ?」
「こいつもやはり、センサーに反応しません」
「仕方がない。また、石投げだ」
などの会話が聞こえたので、俺は、
「こいつの核は頭だ」と教えた。子供たちが頭を狙っていたからな。
消防車からの返事はなかったが、エンリュウの頭部に向けて放水を始める消防車。
扇風車も、ゆっくりと鎌首を上げ、爆音を発して強風を送った。
爺さんを羽交い絞めにしたまま、その様子を見守る俺。
「ほれ見ろ、あれは生きておる」少し前から暴れるのを止めた爺さんがつぶやいた。「放水されて、苦しそうに口を開いた」
そう見えなくもない頭部の割れ方だった。まあ、主観の問題だ。
もう大丈夫だろうと思い、俺は羽交い絞めを解いた。
エンリュウは頭が吹き飛ばされると、後はたちまち文字通りに雲散霧消した。
「罰当たりめが」消防車を見たまま、スキンヘッドの頭を抱える爺さん。
対煙龍隊は、帰って行く時に、俺たちに、いや、俺にか。 手を振った。
消防車の異物狩りは初めて見たわけではなかったが、やはり呆気なかった。面白くも、下らん。
まあ、街の中ではないから、作業はやりやすかったのだろう。
「あんた、異物狩りと言ってたな」爺さんがようやく、背後の俺を見た。「そんなもの、長くは続けられまいが。早く足を洗え」
「体力勝負の仕事だからな、今しか出来ないから、今、やってんだよ」
「新種の生命を殺生して、何が楽しいんだ」険しい目だった。
「爺さん、最近誰かにナニか吹き込まれたろう?」
黙り込む爺さん。
自分に都合が悪くなると、人はだいたい黙る。俺もだ。
「あんた今、新種の生命体と言ったが、凶極は、新種とは言わんだろう? 噛まれると100%死に至るんだぜ、動物も人間も。放っておいていい生命体じゃないぞ」
やはり爺さんは、何も言わない。
言い返すほどの理屈をまだ構築してないのだろう。
「オロチカゼに噛まれて死ぬ子供の、年間の数も知らないだろう、爺さん。そう言うの、退治しても良いんじゃないか?」
世の中の役に立っている。そういう自尊心が今の俺を生かしていると言って良かった。
「……ふん。まあ、ワシくらいの年になれば、分かるだろうよ」
「あんたくらいの年? そん時は、引退して……、いや異物に殺されているんじゃないかな?」
「その辺りは、分かっているんだな」
爺さんは、俺に同じ匂いを感じ取ったのか、憐むような目をして、笑った。
「異物狩り」第三話でした。
第四話「漆黒の書 (シッコクノショ)」最終回は、日曜日(12月24日)の夜半に投稿予定です。
日曜日(12月24日)のお昼頃には、「魔人ビキラ」本編の投稿を、投稿予定です。
回文ショートショート童話「のほほん」111話、完結済み、あります。よかったら、のぞいてみて下さい。
馬鹿馬鹿しさは、保証します。
「続・のほほん」は、ただいま創作中。在庫はまだまだ。
また、連載出来ればと考えています。
ではまた、日曜日のお昼に「魔人ビキラ」本編で。