2.アレックスパート【2】
「パーシーさん、ご足労いただいてすみません」
殺風景な事務所に入って来た依頼人フォルテオ・パーシー氏は、憂鬱そうな表情をしている。アレックスが初めて会ったときも、こんな顔をしていた。
「いえ……。屋敷はどうでしたか?」
「そのご報告も含めて、いくつか伺いたいことがあります。どうぞ、おかけください」
パーシー氏がふくよかな体をソファに沈めると、ナタリーが紅茶のティーカップをテーブルに置く。
「こちらの方は……?」
「うちの事務所のナタリー・ウィンターズです。一緒に屋敷の調査をしています」
「……ウィンターズ……?」
パーシー氏はぼんやりした表情で呟く。その名前に何か思うところがあるようだ。
「どうしました?」
「あ、いえ……なんでも」
誤魔化すように頭を掻いて、パーシー氏は視線をティーカップに落とす。その声は曖昧で、表情には疲労感を湛えていた。アレックスが最初に会ったときから、自我が薄いような様子だった。
「……パーシーさん。単刀直入に言いますが……俺たちの仲間が、屋敷の怪異に捕らえられました。俺たちはこれから、依頼より彼の救出を優先します」
「……そうですか」
パーシー氏はまるで興味が薄いようだった。その表情に、ナタリーが眉をつり上げる。
「そうですか、って……!」
アレックスは手振りでナタリーを制した。ナタリーは忿懣やるかたないといった表情だ。
「パーシーさん。あなたの依頼は、奥様の指輪の発見と、あの屋敷の怪奇現象の調査、でしたね」
「……ええ」
「であれば俺たちは、あの屋敷で何が起きたか……それを知る権利がありますよね?」
「……ええ。仰る通りです」
「話してください、パーシーさん」
パーシー氏は少しのあいだだけ言葉を選ぶように黙り込んだあと、小さく息をついて口を開いた。
「私たちがあの屋敷で暮らし始めたのは、娘のドロシーが三歳になった頃です。三人家族では持て余すほどの広さでしたが……」
手元に視線を落としたまま話すパーシー氏に、ナタリーが冷静に問いかける。
「もともと暮らしていたわけではないんですね」
「ええ。もともとは街で暮らしていましたから。田舎の出身である妻が、自然の中で暮らしたいと言っていたので、兄が海外から帰って来たのを機に実家を出ました」
「怪奇現象はその頃からあったんですか?」
アレックスの問いに、いえ、とパーシー氏は消え失せそうな声で言う。
「初めは、自然の中で穏やかに過ごせる、住み良い普通の屋敷でした。ですが……ドロシーが五歳になった頃、あの子には……私たちには見えない、何かが見えているようでした」
パーシー氏の表情が暗くなる。当時のことを思い出して、苦い気持ちになっているようだ。
「何もない空間に話しかけ、頷き、笑っていました。子どものことですから、年齢を重ねていけばなくなると思っていましたが、あの子は十歳を超えても、見えない何かと過ごしていました。そのせいか、学校でも孤立しているようでした」
見えない何かとお喋りをする女の子は、周囲から見れば「変わり者」に思えるだろう。子ども社会において、変わり者は毛嫌いされる傾向にある。ドロシーには「見えない友達」はいても、実際の友達はいなかったのかもしれない。
「それが」アレックスは言う。「怪奇現象の始まりだったのでしょうか」
「……いま思えば、そうだったのかもしれません。私と妻は何も感じ取ることができませんでしたが……」
「怪奇現象らしいものは」と、ナタリー。「そのときはドロシーさんの件だけでしたか?」
「ええ……。当時は、怪奇現象とは思っていませんでしたが……。妻が病に冒されたのは、ドロシーが十二歳になった頃です」
パーシー氏の表情がさらに曇る。愛する妻の罹患は、それは辛いことだっただろう。
「重病というほどではなく、娘を案ずる妻の意向もあり、自宅療養ということになりました。しかし、妻の病状は日に日に悪化していきました。私は入院させようとしましたが、妻は……その頃から、おかしく……なっていきました」
「おかしく……?」
首を傾げるアレックスに、パーシー氏は重々しく頷く。
「妻にも……怪奇現象が見えるようになったのです。何かに怯え、怒り、泣き……独り言も増えました。まともな生活は……できていませんでした」
膝で組まれたパーシー氏の手に力が込められた。
「……正直なところ、私は気が狂うかと思いました。妻も娘も、見えない何かと話し続けている……。娘はまだ、声をかければ普通に応えてくれました。私と見えない何かの区別ができていたのでしょう。ただ……妻は、私も認識できないようでした。体調の良い日は、朗らかだったのですが……」
アレックスには、当時のパーシー氏の心情は察するに余りある。当時のパーシー氏を慮って口を噤むアレックスの代わりに、ナタリーが意思の強い表情で言った。
「それで……ドロシーさんが十四歳になるまで、そのまま暮らしていたんですか?」
「ええ。気が狂うかとは思いましたが、妻も娘も……私の大事な家族ですから。……ドロシーが十四歳になった年……いまから十年前、妻は病死しました。最期……眠るような、穏やかな表情をしていたのが、唯一の救いです」
ナタリーもパーシー氏を気遣うように口を噤むと、パーシー氏はひとつ息をついて続けた。
「妻の葬儀が終わった頃……怪奇現象が悪化しました。私にも、見えない何かの声が聞こえるようになったのです。屋敷のあちらこちらに、何かの気配を感じました。囁く声、泣き声、叫び声……。私は、耐えられなくなりました。私は毎晩のように悪夢に魘され、体調を崩すようになり、このままでは私も娘も殺されてしまう……そう思いました。娘はあの屋敷に居たいようでしたが、どうにか説得しました。ですが……あの屋敷を出ようとした途端、怪奇現象が一斉に騒ぎ始めたのです」
「騒ぎ始めた……?」
首を傾げるアレックスに頷きながら、パーシー氏は呼吸を整えるように息を吐いた。
「……悪夢のようでした……。屋敷から出られなくなったり、屋敷の構造がめちゃくちゃになったり、まるで……私たちを、屋敷に捕らえようとしているようでした」
「それは、どうやって抜け出したんですか?」
ナタリーが身を乗り出す。いまのふたりにとって、そこが最優先事項だ。
「……私にも、よくわからないのです。ようやっと必要最低限の荷物をまとめたあと、娘に手を引かれたのです。こっちだよ……と……。おそらくですが……見えない友達が、導いてくれたのではないかと」
ナタリーは肩を落とす。それでは、フランが屋敷を抜け出す手がかりにならない。三人には、見えない友達はいないのだから。
「いまは私は娘と街で暮らしています。娘の独り言もなくなり、今では穏やかに過ごせています」
「……なるほど」アレックスは小さく頷く。「となると、怪奇現象はパーシーさんとドロシーさんに取り憑いているわけではない……ということですね」
「……おそらく」
「あの屋敷は取り壊さないのですか?」
ナタリーの問いに、パーシー氏は憂鬱そうに眉根を寄せる。
「取り壊そうとしました……何度も。ですが……できないのです」
「できない……?」
「取り壊しの工事へ向かった作業員が、屋敷に辿り着けないのです。あの森の中を延々と彷徨い……。ただ、街へ帰るときはすんなり帰れるのだそうです」
「俺たちは普通に行けましたが……」
「おそらく、屋敷を取り壊す意思を持つ者だけが拒まれているのかと」
「なるほど……奇妙な話ですね」
「……あの」ナタリーが言う。「そのあいだ、リサさんは……?」
「……は……?」
パーシー氏が怪訝に首を傾げる。ナタリーは不審に眉をひそめつつまた口を開いた。
「次女のリサさんです。夜泣きが酷かったんですよね」
「……私たちに娘はひとりしかおりませんが……」
「え……? そんな……だって、日記にリサさんのことが……」
「……日記……ですか……」
「屋敷のパーシーさんの寝室とアイリーンさんの寝室、それからドロシーさんの寝室にそれぞれ日記帳がありました。それには、次女のリサさんのことが書かれていたんです」
アレックスは手帳を取り出す。ここからは調査記録を確認しながら話を進めたほうがよいだろう。
「日記には、ドロシーさんの十四歳の誕生日のことが書かれていました。ドロシーさんの誕生日は、二月九日で合っていますか?」
「ええ、合っています」
「その後、リサさんが泣き続けていることが書かれていました。アイリーンさんはそれで気を病んだ、と……。アイリーンさんが亡くなったのは、五月二十五日で合っていますか?」
「ええ……そうです」
「それから、六月十九日がリサさんの誕生日、と書かれていました」
「……六月十九日は、アイリーンの誕生日です」
アレックスとナタリーは顔を見合わせた。そんなことは、誰の日記にも書かれていなかった。
「どういうこと……?」
「……日記については、私にはよくわかりませんが……お仲間が屋敷の怪奇現象に捕らわれた……そうですね」
「はい、そうです」ナタリーが頷く。「屋敷から外に出ようとしても、屋敷の前に戻されるんです」
「……私たちと同じ……ですね。……そうですか」
パーシー氏は小さく息をついたあと、少しだけ気を取り直した様子で顔を上げた。
「……ドロシーに、話を聞いてみます」
「ドロシーさんに……?」
「あの子はあの屋敷のことを悪く思っていないようですし、話を聞くくらいなら……構わないでしょう」
「……でも」と、ナタリー。「パーシーさんはあまり関わりたくないんじゃ……」
「……そうですね。できるなら、さっさと取り壊してしまいたいです。ですが……お仲間が捕らわれてしまったのは、私にも責任があります。……我が家の電話番号をお教えします。気になることがあれば、なんでも尋ねてください。ドロシーにも、思い出したことがあれば連絡させます」
「ありがとうございます」
アレックスとナタリーにとって、心許ない頼みの綱だった。それでも、見えない友達のいたドロシーなら、何か手がかりになることを覚えているかもしれない。そこに一縷の望みを託すしかないのだろう。それ以外にもう頼れる当てがない。せめて、ドロシーが何か思い出すといいのだが。