1.合流【1】
アレックスが西館に駆けつけると、ナタリーは床に尻餅をついている。倒れた際に打ったのか、腰をさすっていた。
「ナタリー! どうした!」
アレックスを見上げたナタリーは、青白い顔をしている。そこにフランも走って来て、ナタリーに手を差し出した。
「い、いま……女の子の声が……」
「怪我はない?」
「うん……。声がして、ビックリして転んだだけ……」
フランの手を取ってナタリーがようやく立ち上がると、フランがナタリーの服についた埃を払う。ナタリーはお尻についた埃を払い、大きく息を吐き出した。
「実は、こっちもさっき女の子の声が聞こえたんだ」アレックスが言う。「返して……出て行って……と言っていた」
「あたしも同じ……。フランはどう?」
「いや……こちらは何も……」
「なんなの……?」ナタリーの表情に恐怖が浮かぶ。「もう……雰囲気も怖いし、不気味すぎる……。ふたりとも、指輪は見つかった?」
「こっちには」と、アレックス。「おもちゃの指輪はあったんだが……」
「こちらは何も……」
「あたしもおもちゃの指輪しか……。ねえ、アレックス。この屋敷の調査って、何が目的なの?」
怪訝に言うナタリーに、アレックスは言葉を探すように口を噤む。
「……何も話してくれないんじゃあ、調査しようがないよ」
説得するようにフランが言った。うーん、とアレックスは首を捻る。
「まあ、そうだな。メインの依頼は、奥さんの指輪を探すことなんだが……。屋敷の調査ってのは、要は怪奇現象の調査なんだ」
「なんですって!?」ナタリーが声を上げる。「どうしてそれを話してくれなかったの!?」
「すまん……半信半疑だったんだ。何もなければ何もないで、言わないほうが怖がらせないんじゃないかと思ったんだが……」
「何も言われない状態で起きたほうがビックリするわよ!」
心底から怒っているナタリーに、アレックスは俯いて小さくなる。アレックスの気遣いは、いつも少しずれているのだ。それはナタリーもフランも知っていることだが、そのたびにナタリーが怒っているのだからそろそろ自覚してほしい。
「……話してくれるかな、アレックス」
フランが静かに促すと、ようやくアレックスは顔を上げた。
「パーシーさんは、詳しくは話してくれなかったんだ。話したくないという様子で、何かに怯えているようにも見えた。奥さんの指輪を探すあいだ、怪奇現象に見舞われるだろう、とのことだ」
ナタリーの怒りのボルテージが上がっていくので、アレックスは居辛そうに頬を掻く。
「奥さんの指輪を無事に見つけ出せればそれでいいが、もし怪奇現象に見舞われた場合、その原因を探ってほしい、と。報酬が良かったのは、そういうことだ」
「そういうことだ、って……馬鹿じゃないの? 報酬のためにそんな危険な目に遭わなければならないわけ? それはもう、探偵の範疇外よ! ここへ来て帰って来ない人がいたのはそのせいなのね。もしあたしたちに何かあったら、あんた、どう責任を取るつもりなの!?」
「……すまん」
ナタリーの怒りは尤もで、アレックスが反論できる余地はない。フランも庇う必要はない。アレックスには大いに反省してもらわなければならないだろう。
「……一度、情報を整理しようか」
アレックス
「ああ。まずは全員の集めた情報を照らし合わせよう。まずは依頼主だ」
依頼主【フォルテオ・パーシー 現在57歳】
妻【アイリーン・パーシー 享年不明】
アレックス
「パーシーさんは、奥さんのことを話したがらなかった」
ナタリー
「それで、子どもが……」
アレックス
「残された10年前のカレンダーが当時のものであれば……」
長女【ドロシー・パーシー 当時14歳】
次女【リサ・パーシー 当時0〜1歳】
「どうだ?」
アレックスの問いかけに、ナタリーとフランは揃って頷いた。
「オッケー」
「……うん」
フランは写真でしか一家の情報を得られなかったが、アレックスとナタリーが同じ結論に至ったのなら、それは正確なものなのだろう。
「奥さんの部屋が異様に綺麗だった」と、アレックス。「まるで、誰かが定期的に掃除に来ているみたいだった」
「……大事な物を後々取りに来るつもりであれば、定期的に掃除に来ても不思議はないが……。夫人の部屋だけ……というのは不可解だね」
「でも、わざわざあたしたちに調査を依頼したってことは、この屋敷には近付きたくないってことでしょ? 人を雇っているならともかく、定期的に掃除に来るなんて、死んでも嫌なんじゃない?」
「その通りだろうね」
定期的に掃除に訪れているなら探偵は必要ない。掃除に来ているとしても、夫人の部屋だけを掃除するとは考えにくい。屋敷はかなり広いが、数日に分ければすべての部屋を掃除できるはずだ。人を雇えば一日で終わるだろう。夫人の部屋だけが綺麗なのは、どう考えても不可解だ。
「あとは、日記帳があった」アレックスが言う。「パーシーさんの日記によると、奥さんは五月二十五日に亡くなったそうだ」
「あら? ドロシーの日記には五月二十七日って書いてあったわ。パーシーさんがドロシーに打ち明けたのが、亡くなった二日後だった、ってことかしら」
「……子どもには伝えづらいことかもしれないね」
不意に、アレックスが何かを考え込むように口を噤んだ。何か気になることがあるようだ。ナタリーとフランが顔を見合わせると、ナタリーは不思議そうに首を傾げる。
「……アレックス?」
フランの呼びかけに、アレックスは重々しく顔を上げた。
「実は、アイリーンさんの日記があったんだが……。アイリーンさんは五月二十五日に亡くなっているはずなんだが、アイリーンさんの日記に六月十九日のものがあったんだ」
「……どういうこと……?」
「…………」
ナタリーが怪訝に眉をひそめ、フランが窺うように口を噤むと、アレックスは肩をすくめて続ける。
「まあ、考えられるのは……アイリーンさんが、この屋敷の怪奇現象に何かしら関係している……ってことかな」
ナタリーは渋い顔になる。フランはある程度は予測していたためなんとも思わなかったが、怪奇現象に関係している可能性のある人物の失せ物探しなど不気味だ。
「……パーシー家に関する情報は充分だろうね」フランは言った。「あとは……怪奇現象に関する情報、かな」
「……あたし、怖いわ」
「…………」
「怪奇現象なんて、もしかしたら命に関わるじゃない。あたし……お金のために命は懸けられないわ」
「……そうだね。アレックス、一旦、屋敷を出よう。もう一度、パーシーさんに会って情報を聞き出そう」
「……そうだな。悪かった。パーシーさんに連絡を取ってみるよ。今日は帰ろう」
ナタリーは安堵したように頷く。パーシー氏に会って話を聞けば、依頼を辞退することができるかもしれない。アレックスは軽い気持ちで依頼を受けたようだが、怪奇現象に関わってはどうなるかわからない。辞退する方向に積極的に持っていったほうが安全だろう。
屋敷は林で囲まれている。しんと澄んだ空気が肌を撫でると、なんとも言いようのない不気味さを感じた。
「……あれ?」
不意に、ナタリーが辺りを見回した。
「どうした?」
「フランがいないわ!」
「なんだって? ……フラン? フラン! どこにいるんだ!」
忽然としてフランが姿を消している。先ほどまでアレックスとナタリーの後ろをついて来ていたはずだ。
「屋敷のほうに戻ってみましょう!」
「ああ」
* * *
それは奇妙な出来事だった。屋敷を出て街へ向かって林の中を歩いていたはずなのに、気が付いたら屋敷に向かって歩いていた。それも、ひとりで。
「……どういうことだ?」
「フラン! こんなところにいたのか!」
アレックスとナタリーが、フランが背を向けていたほうから駆け寄って来る。その表情は焦りの色を湛えていた。
「何してるの? 早く帰りましょ!」
「あ、ああ……行こうか」
何か心地の悪いものが背筋を凍らせる。ここに居てはいけない。焦燥感が胸を高鳴らせ、走り出そうにも、足が沼地にはまったように重い。肩を引かれたような気がした。
「フラン……?」
「何……? なんなの……?」
サッと血の気が引くのを感じた。いままで出会ったことのない奇妙さに悪寒が走る。囚われた……そんな気がした。
「フラン! 何してるのよ!」
「…………」
「どうした、フラン」
「……ここに戻されるんだ」
恐る恐る口を開いたフランに、ナタリーの顔が青褪める。
「きみたちのあとについて行っても、気が付いたら、ここに戻っているんだ」
「……どういうこと……?」
冷たい風が吹き抜ける。フランの背にした屋敷が、悍ましい空気を醸し出しているようだった。
「……手を繋いで行ってみよう」と、アレックス。「そうしたら行けるかもしれない」
「ええ」
差し出された手を重ねれば、その温かさが心を明るく照らした。きっと大丈夫。そう、言い聞かせた。
「……ふふ」
「なに笑ってるんだ?」
「手を繋ぐのなんて、フランとは子どものとき以来ね。手が大きくてビックリし……え……?」
「……嘘だろ……」
不意に消えたぬくもりに、胸が締め付けられた。呼吸が浅くなり、鼓動が耳の奥で騒がしい。
「……フラン……」
「どうなってんだよ……」
アレックスとナタリーはまた、フランの背後から現れる。フランだけが反対方向に歩いていたということだ。
「これも……これも、怪奇現象なの……?」
「くそっ……もう一度、屋敷の中を調べよう」
「……アレックス、ナタリー。僕を置いて行ってくれ」
「フラン!?」
「……僕はこの屋敷に留まって、もう少し調整をしてみるよ。ふたりは街に戻って、パーシーさんと会ってくれ」
フランにとって、それが最善策に思えた。この奇妙な現象に巻き込まれた以上、アレックスとナタリーがここに留まるのは得策ではない。ふたりまで巻き込まれれば、彼らが二度と街へ帰ることは叶わないかもしれない。
「……僕は大丈夫だ。何か方法がないか、調べてみるよ」
「……すまない、フラン。すぐ戻って来る」
「フラン……」
不安に顔をしかめてフランの手を握るナタリーに、フランは薄く微笑んで見せた。
「……大丈夫。どうにかするよ」
「…………」
「これ一応、渡しておくな」
アレックスが差し出したのは小さな鍵だった。タグには「地下室」と書かれていた。
「絶対に戻って来るから、待っててね」
「……うん」
ナタリーは強くフランを抱き締める。これが最後の別れにならなければいいのだが、とフランはそんな不吉なことを考えていた。