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星を読む四行詩人  作者: はぶかわ
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ウマルとマリク 第一話



ナレーション:墓の中から酒の香りが立ちのぼるほど

そして墓場にやってくる酒飲みがあっても

その香りに酔い痴れて倒れるほど

ああ、そんなにも酒を飲みたいもの


マリク:君は、なにがそんなに悲しいんだい

ウマル:なんだお前は。藪から棒に。誰に向かってそんな口を叩きやがる

マリク:僕はマリクだよ。ただのマリク。学生さ

マリク:君の名前は知っているよ。ウマル・ハイヤーム。ウマル・シャイフと呼ばれることもあるよね

ウマル:俺をシャイフと呼ぶんじゃない。俺はまだ何も成し遂げていない。この先何かを成し遂げるつもりもない

マリク:そうかい。それでいいさ。僕も、君がどんな名前で呼ばれていようと気にしない

マリク:それよりも、今の様子さ。君は、どうして、そんなに悲しそうにお酒をすするのさ?まるで、泣きじゃくっているようじゃないか

ウマル:どうして、そんなことを言うのだをたらふく飲んで、盃を交わす相手には事欠かさず、時まさにナウルーズ。この世の春を謳歌しているところなんだぜ?

マリク:そうかい?

ウマル:俺の胸は、喜びで満ちている。辺りには、楽しだけが漂ってい

ウマル:見てみろ、これが混じり気なしの幸福だ。ここには、一欠片だって、悲しみなんてものは見当たりゃしない

マリク:どうだろう、本当かな。君が心底からそう信じているなら、僕はこれ以上何も言わないけど……

ウマル:けど、なんだ。そんなところで言い淀むな

マリク:わかった。なら言わせてもらうけど……

マリク:だったら、何故に君は涙を流しているのさ。頬を伝って、あごの先から滴って、両手に頂いた盃に波紋を作っているのに。それでも自分が泣いていることに、気付かないんだ

ウマル:俺が涙を流している?馬鹿言え。そんなはずが、……。

ウマル:俺の頬を濡らしている、これはなんだ。俺は、なんで、涙なんかを流している

俺は一体なにが悲しいんだ。こんなにも泣けてくるんだ

ウマル:おい、お前。教えてくれ。一体なにが、俺の心をこんなにも揺さぶっている

マリク:知らない、わからない。だけどね、その哀しみは、人が誰もが持ち合わせているもの。君のは特別大きいみたいだけど

ウマル:なんだって、俺はこいつに気付かなかった。こいつはきっと、ずっと、俺とともにあった感情だ。今になって、それがわかる。はっきりと。手触りだって感じられるほどに

ウマル:こんなに大きなものが俺の中にあったっていうのに、俺はそれを知らないままに、生きてきたんだ。こんな間抜けな話が、あってたまるか

マリク:大きさは関係ないよ。それがほんの小さくても、気付く人は気付く

そうか……

マリク:……いや、違うかも。哀しみに気付かない人や、哀しみに蓋をしてしまう人の中でこそ、哀しみは途方もなく育ってしまうんだ

ウマル:ちょうど、今の俺みたいにか

マリク:……あるいは、平気な振りをしているだけ?気付かない振りをするのが上手いだけ?

ウマル:そんな真似をしているつもりはないんだがな

マリク:無意識に、そうするんだろうね。不安なんだ。怖がっているんだ。それと向き合うのを

ウマル:……

マリク:いざ正面から見つめた時、自らの手に負えなかったら、どうすればいいのだろうと。まだ見ぬうちから、途方に暮れているんだ

ウマル:それを知るお前は何者だ。何故それを俺に語る。それを聞かせて、どうするつもりだ。……俺は一体どうすればいい

マリク:それは君次第さ。僕には何かを教えることも、道を示すことも出来はしない。ただ、話を聞くことくらいなら、僕にも出来る

ウマル:……それで十分だ

マリク:なら、よかった

ウマル:すまないな、こんな見ず知らずの他人の話を聞かせて

マリク:なにも謝ることはないさ、申し訳ないのは、むしろ僕の方さ。だって、興味本位で尋ねているからね

ウマル:興味本位?

マリク:知りたいんだよ、君の物語が。語って欲しいのさ、君の声で。だから、話してくれないか?ゆっくりとでいいさ。焦ることは、なにもない。夜はまだ、更けてすらいないのだから



ナレーション:生きてこの世の理を知りつくした魂なら

死してあの世の謎も解けたであろうか

今おのが身にいて何もわからないお前に

あした身をはなれて何がわかろうか?



ウマル:不思議に思わないか?俺たちが、どこから来て、どこへ去っていくのか

マリク:……うん?

ウマル:誰もが知りたい問いのはずなのに、誰も答えを与えてくれない

マリク:……うん

ウマル:俺たちは、深い霧の中でもがいているんだ。なのに、そんなことお構いなしに人は次々生まれてくる。そして、死んでいく。けして答えを得ることなど、ないままに

マリク:……それが今話したい話題なの?

ウマル:嫌か?

マリク:嫌……じゃないけどさ。もう少し楽しい話題はなかったのかなって。お酒が美味しくなるような。今日買ってきたそれ、少しお高いやつだったんだぜ

ウマル:気乗りしないなら、無理に付き合わなくていい。黙っていても、酒は飲めるからな

マリク:ああもう。だからなにも嫌だなんて言ってないだろ。わかったってば。付き合うよ

ウマル:なんだその。まるで聞き分けのない子供を相手にしているような態度は

マリク:うるさい。だまって。……そう、この世は所詮仮の住まい。人は、死んだら楽園に行くんだって。蜜が流れ、乳が溢れる地に招かれ、天女とともに永劫の時を過ごすんだって。イスラームの導師様たちはそんなことを言っているよ

ウマル:勝手なことを言う連中だ。これまでに、誰があの世のことを教えてくれた?これまでに、誰が死の世界からよみがえって、彼岸の様子を語ってくれた?誰もいはしない。勝手に、賢しげに、ありそうなことばかり語る者ばかりだ。でたらめばかりだ

マリク:またそうやって世間に喧嘩売るようなことばかり言って……

ウマル:それが俺の性分ってものだ。そろそろお前にもわかりそうなものなのだがな

マリク:とうに分かってるさ、そんなものは

ウマル:どうだか

マリク:でもね、そこまで深く考える必要があるのかな?信じるものは救われる。という言葉もあるよ。自分たちに与えられた目印を頼りに生きていく。そんな人生もありなんじゃないかな

ウマル:結局のところ、それなんだ。俺が言いたいのは

マリク:そうなの?

ウマル:そうだ。この現世において、俺にとっての目印と言えば、酒に他ならない。だから俺は今日も酒を飲む

マリク:そんなしょうもないことを力強く宣言されても……

ウマル:なにがしょうもない。俺にとっては何よりも大切なことなんだぞ

マリク:わかったってば、まったく……。僕はおかしいとは思わないけどさ、また導師様にお説教されちゃうよ?死後裁かれる時に、天国に送ってもらえないぞって

ウマル:誰も保証してくれない来世の約束なんかに、意味などあるか。それよりも、目の前にある、一杯の葡萄酒だ

マリク:うわあ

ウマル:酒は誰よりも信頼出来る。酒だけが、俺を裏切らない。俺の期待に応えてくれる

マリク:うわあ

……って、ちょっと、それは僕の盃……。あぁもう一気に飲み干しちゃって。せめてもう少し味わって欲しいなあ

ウマル:だから、酔っている俺が、泣いているように見えるというのなら、世界の方が歪んでいるんだ。みんな、自分が酔っ払っていることに気付いてない。信仰という酒にあてられて、疑いもせずに教えを受け入れている

マリク:そう来るの?少し理屈が飛んでない?飲み過ぎじゃないかな

ウマル:俺の方が連中よりはずっと素面だぜ?少なくとも、俺は自分で自由に使える頭を、一つ持っている

マリク:まあ、言い分はわかったけどさ……。それが、君が悲しんでいる理由かい

ウマル:そうだ

マリク:それは違うと思うけどな

ウマル:お前なんかに何がわかる

マリク:君にこそ、何がわかるのさ

ウマル:なんだと?

マリク:だって、ついこの間まで、自分が悲しんでいることにすら気付いてなかったのに

ウマル:言うじゃないか。だったら、お前の考えを聞かせてもらおうか。俺が納得できるものを持っているんだろうな

マリク:だったら、遠慮なく言わせてもらうよ。君は、愛を求めているんだ

ウマル:……は?何を言っている

マリク:君がやたらと人々の信仰に懐疑を持つのは、羨ましいのさ。人々が疑いもせずに神に信仰を捧げる様が

ウマル:俺が羨ましがっているだと?

マリク:君は、求め続けているのさ。自らの中にある愛をぶつける、生身の相手を。でも、見つからない。若い頃は学問に打ち込んでいればそれで良かったけれども、その情熱もいつしか冷めてしまった

マリク:君は、自分を何もない空っぽな人間だと思いこんでいる。その隙間を埋めるために、酒を飲むんだ。酒に溺れているうちは、全てを忘れられるから

ウマル:ふざけるな。お前に何がわかるってんだ!

ウマル:聞け。俺の酒に対する情熱は本物だ。スーフィー達の信仰心みたいな、まがい物なんかじゃない

マリク:まがい物って……

ウマル:あいつらは熱狂に我を忘れているだけだ。自分たちが何に対して信仰を捧げているのか、自分たちでもわからなくなっていやがるんだ

マリク:立派なこと言ってるみたいだけどさ、最近の君は、きちんと酒に向き合えていたかい?

ウマル:なんだと……

マリク:ただ盃を空けることに、夢中になっていなかったかい?ただ眠りに落ちるために、手っ取り早く意識を手放すためだけに、酒を胃に流し込んでいたんじゃないかい?

ウマル:……

マリク:だめだよ、そんなことでは。そのような飲み方をしていちゃ、いずれきっと、長くは保たないよ

ウマル:……

マリク:いいかい、君に本当に必要なのはね、むき出しのままの君の愛を捧げる、生身の人間だよ

それがなければ、いつまで経っても君の寂しさは癒やされない。君の渇きは酷くなる一方だ。愛しい人を求めることだ。そういった人を見つけてさ。その時はその人とゆっくりと盃を酌み交わせばいい。君が本当に求めているのは、それだよ

ウマル:……本当は、何者なんだ?お前は。俺のことをどこまで知っているんだ

マリク:さっきも言ったろう。僕の名前はマリク。今はただの学生さ。高等学院マドラサで、君と同じ師匠についている

ウマル:俺の、いわば後輩だったわけか

マリク:君の名前は伝説的だよ。あらゆる分野で優秀な成績を上げていた癖に、名を挙げることを良しとせず、酒場の片隅で飲んだくれる

ウマル:余計なお世話だ

マリク:片手間で四行詩も詠んでいるけど、僕はそれに魅せられて。興味があったんだ、先輩のことが。一目会ってみたかった。声を聞きたかった

ウマル:実際に会ってみてどうだった

マリク:よかったよ。学問じゃ到底話し相手になれないけれど、悩みの方じゃ僕の方が詳しそうだ

ウマル:生意気を言いやがる

マリク:君はもっと知る必要があるよ。人間のことを、君自身のことを

マリク:さあ、話し合おう、混じり合おう。酒を酌み交わしながら、お互いのことをもっと知ろう。きっと言葉は尽きないさ。夜が明けても、朝が来ても

ウマル:どうだかな。とりあえず、盃を持とうか

二人:乾杯



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