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第8話

 そして丁度2週間が経った夜。久しぶりに3人は揃ってソフィアの自宅で食事をとっていた。以前のような和気藹々とした食事からは程遠いかもしれないが、以前より一緒に過ごすことにしっくりくるという感覚は皆で共有しているように思われた。


 夕食を終えると各自で自由行動というのが彼らの日常だったが、今日はひと味違った。ルーカスが部屋から出ようとするソフィアを呼び止めたからだ。


 何だい、とソフィアが尋ねた。

「シリルと話したいことがあるんだ」

ならここは好きに使いな、と言ってソフィアは再びその場を去ろうとしたが、ルーカスが、待って、と言った。ソフィアは立ち止まって振り返る。

「…聞いて、とは言わない。けど、もし聞いても良いって思ってくれるならここにいて」


淡々とルーカスは言った。いつもの笑顔の仮面を捨て去ったルーカスの表情に感情は乗っていなかったが、目の奥に縋るような色がちらついているようにソフィアには思われた。

「アンタが話したくないってなら聞かないし話したいなら聞く。アタシはどう足掻いても医術士だからね」


不敵な笑みを浮かべてソフィアは答えた。そっか、とルーカスの顔が曇った。

「…患者として話を聞いて欲しい訳じゃないんだ」


  ソフィアは、おや、とわざとらしく目を見張った。

「ただの同居人の話ってなら聞く義理はないねぇ。面倒臭い」

ルーカスは一瞬言葉に詰まったが、すぐに繕ったような明るい声で、そっか、と言った。

「友人の話ならその限りじゃあないけど、それを望まないのはアンタの方だろうよ」


  ルーカスが息を呑んだ。ソフィアは嘲るように言った。

「アタシが気づいてないと思ったのかい? 」


ルーカスは何も言わない。いや、言えないと言った方が正確かもしれない。

「アタシは何度か手を差し伸べた筈だ。忘れたとは言わせないよ」


  ルーカスは力なく、そうだね、と頷いた。

「それを手酷く振り払っといて今更何だい? 人を舐めるのもいい加減にするんだね。アタシは面倒事はごめんだっていつも言ってるだろ」


  シリルは思わぬ展開におろおろしていた。ルーカスが話したいこと、というのが何かは彼とて知らない。そもそも今日話をしようとすら予告されていない。


ソフィアが何度か手を差し伸べた、という話も彼にはよく判らない。ルーカスについて尋ねたあの夜、ソフィアの言った“知らない”には、やはり嘘はなかったようだが、シリルは知らない何かしらの確執があるのかも知れない。


  口がたつルーカスが言い返さないということは、恐らくソフィアの言い分は正しいのだろう。だからこそソフィアは怒っているし、ルーカスも強くは出られないのだろう。


  だが、シリルの脳裏に過ったのは、ダキヘラ村に来たあの日のことだった。1人で苦しんでいたあの夜、ルーカスはただ側にいてくれた。


  ルーカスにも何らかの思惑があったのだろう。100%善意という訳でもなかっただろう。それでも、ルーカスはシリルを助けてくれた。

「あの…っ」


  決死の思いでシリルがあげた声はか細くて、しかもみっともなく掠れていた。ソフィアはちらりとシリルを見た。

「最近気がついたんです。僕は今まで他人に興味がなかった」

だから何だい、とソフィアは鬱陶しそうに言った。

「だけど、この間実感したんです。他人にも感情があって、その人の人生があるって、当たり前のことですけど」


シリルの足は微かに震えていた。

「何かのきっかけで、人が変わることってあると思うんです。だから…っ」

そこまで聞いて漸くルーカスは自分が庇われていることに気づいたらしく、目を見張った。ソフィアはため息を吐いた。

「だから何だい。ルーカスにチャンスをやれって? 」


シリルは俯いた。ソフィアはまたため息を吐いた。

「やっぱりアンタはとんだ甘ちゃんだね」

何を言われるのだろう、とシリルは目をぎゅっと瞑った。ソフィアがふっと笑う気配がした。

「いいよ、シリルに免じて話ってのを聞いてやろうじゃあないか」


  シリルが勢いよく顔を上げた。ソフィアは苦笑した。

「アンタはアンタが正しいと思うことを主張してんだから堂々としてな」

はい、と噛み締めるようにシリルは返事をした。


「…ありがと」

ルーカスが小さく呟いた。シリルは暫く何も言わなかったが、ふと、僕にですか? 、と驚いた様子を見せた。ルーカスが微かな笑みを向けると、シリルは、どう致しまして、と照れくさそうに言った。そんなシリルは次のソフィアの言葉に瞠目することになる。

「さてシリル。アタシはアンタの頼みを聞いた訳だけど代わりにアンタは何をしてくれるんだい? 」


  へ、とシリルは硬直する。ルーカスは苦笑している。

「何も考えずに言ったのかい? 」

「え、あ、はい…」

強気のソフィアにシリルはタジタジである。

「仕方ないねぇ…。じゃあ今回は特別にアタシが条件を出すよ」


シリルの常識のなさに呆れた、といった体を装っているが、世間的にソフィアのそれは一般論ではない。別に間違いという訳でもないのだろうが、世の中の頼み事は必ずしも交換条件を伴う訳ではない。


  そして、ソフィアの食えないところは彼女自身そのことを理解しているところだろう。これも一種の交渉術と言えるのだろう、恐らくは。

「シリル、アンタ自身のことをアタシに話すこと。これがアタシの条件だよ」


  シリルは暫く思考する様子を見せた。やがて、腹を決めたように口を開いた。

「ルーカスさんのことはあくまで僕のことじゃありませんから。交換条件としては過剰ではありませんか? 」


ど正論だが、ソフィアは動じない。

「アンタがそう思うなら交渉は決裂ってことかい? 」

シリルはうっすらと笑みすら浮かべて、いいえ、と否定した。

「まだ交渉の余地はあると思うんです」


へぇ、とソフィアは愉しげに言った。

「貴女について僕に教えてください。お父上のことも含めて」

シリルの出した条件にソフィアは一瞬固まった。そして、数秒後には笑い出した。

「こりゃ情熱的だね? アタシのことを知りたい、って? 」


  からかうようにソフィアは言った。

「平たく言うと」

そして、驚くべきことにシリルはそれを否定しなかった。

「言ったでしょう? 人間という存在に興味が出てきたんです」

自身は人間ではないかのような口調でシリルは言ったが、彼は当然のことながら間違いなく人間である。

「いいよ、面白い。その条件のんでやろうじゃあないか」


  かくして、3人の過去の暴露大会は幕を開けたのだった。




こうなると誰が初めに話すのか、という問題が浮上してくる。少々順番決めは難航したが、最終的には俗に言う言い出しっぺの法則が適用され、ルーカスから始めることになった。


そんな訳でルーカスが話を始めたのだが、その切り出し方はいきなり物騒だった。

「えっと、じゃあ俺から行きまーす。先に言っとくけどこの話が終わったら俺はここを出てくつもりだよ。そろそろ潮時だし、迷惑かけるのは本意じゃないからね」

「じゃあそんな話アタシに言うんじゃないよ」


ソフィアの反応は大変尤もである。

「2人とも勘付いてると思うけど、俺は真っ当な人間じゃないんだ」

ルーカスは明るくそう言った。

「改めて自己紹介をするね。俺はカエルレラ王国国王直属部隊“黒蝶”所属、ルチアーノ。要するに帝国に潜入中の間諜(スパイ)ってこと」


シリルは半分は既に聞いた内容だったこともありなっとくの表情を浮かべていたが、ソフィアはあからさまに動揺した。

「は…? 待ってくれ、それアタシ本気で聞いちゃ駄目なやつじゃあないかい! ? 」

ルーカスは笑顔で言った。

「諦めて聞いてくれると嬉しいな。今更事実を知ったところで何も変わんないって」


事実、ルーカスが捕まるなり何なりしてソフィアも怪しいと見做されればろくに取り締まりも行われず死刑が確定するため、実際に知っているか否かは問題ではないのである。ソフィアの命は、ルーカスが捕らえられるか否か、捜査線上にソフィアの名前が上がるかどうかの2点にかかっている。


つまり、ルーカスがソフィアの家に転がり込んだ時点でこれ以上の事実を知ったところでリスクは大して変わらない。運が悪かった、というやつである。


「潜入の目的は何ですか? 」

ソフィアがある程度落ち着いたのを見てとったシリルがルーカスに尋ねた。

「…帝国の内情調査及び必要に応じた障害の排除と母国への利益供与的体制の樹立、って指令だったよ」


ルーカスは青ざめて、緊張気味に説明した。シリルが誓約で課した罰が何か彼は教えられていないのである。流石に命を奪うものではないだろうと判ってはいても、人間は未知の物事を怖がる生き物なのだから無理のないことであろう。


「内情調査の方は置いとくとしても…。後半はカエルレラの利益を損なう邪魔者を暗殺して都合の良い人物を祭り上げろ、という意味ですよね? 」

シリルの視線は鋭い。ルーカスは、うっ、と言葉に詰まった。

「ま、多分そゆこと、だね…。クーデターの扇動なんかも手段としては含まれるけど」

「同じことでしょう。寧ろ性質が悪いくらいです」


シリルはルーカスの言葉を一刀両断した。理解はしているのだろう、ルーカスは乾いた笑みを漏らした。

「それで? アンタは今何してたんだい」

そうこうしている内に開き直ったのか、ソフィアが問いを投げた。

「内情調査、だよ」

「言っちゃ何ですが、こんなところで? 」


シリルの追及にルーカスは涙目になった。

「皇都には担当が別にいるし、皆で固まって中心地にいたって仕方ないからじゃないの? 俺は命令を遂行してるだけ! 」

ルーカスの反論にシリルは、ふむ、と頷いた。

「判りました。では、今から何をするおつもりで? 僕も巻き込むんでしょう? 」

「シリルを? 」


ソフィアを呼んだ俺が馬鹿だった、と愚痴を言ってルーカスはため息を吐いた。

「皇都に行くよ。後半の仕事のためにね」

やはりそうなりますよね、とシリルが半ば投げやりに言った。

「何に使うつもりなのかは知りませんが、僕の協力が必要らしいですよ」


後半の言葉はソフィアに向けられたものらしい。へえ、とソフィアが驚いた様子で言った。

「それで? 」

シリルのたった3文字の言葉に正しい意図を読み取ったルーカスは、もうやだ、と呟いた。

「皇帝の排除と次の皇太子の擁立かなあ。誰とは言わないけど協力者は平民だけじゃないしね」

「なるほどね。次の皇太子、ですか…」


シリルは吐息混じりに繰り返した。ルーカスは意外そうな顔をした。

「お前のことだから、太陽神の化身たる皇帝陛下に刄を向けるなど…! って言うと思ってた」

シリルは苦笑する。

「確かにそう言った気持ちがない訳では…。ですが、そうですね、今更、という感じでしょうか」


それについては後で話します、と言われてしまえば、ルーカスもソフィアもこの場でのそれ以上の追及は諦めざるを得なかった。

「ところで、次の皇太子候補ってのに当てはあるのかい? 」


ソフィアが尋ねた。確かに前回のこの話題は良い候補者がいないということで終わりになった。誰かを次の皇太子候補として祭り上げたところで、ある程度の有力者たちが納得出来る人物でなければ一笑に付されて終わるのがオチだ。

「良いお人形さんがいたらそれでも良いんだけど…。残念ながらそれもいなさそうだよね、今のとこ」


  口ではそうい言いつつもルーカスはそう悲観的でもなさそうだった。

「いや、皇帝がお人形じゃ困りますけどね。ある程度自分でも動いてくれないと」

シリルの冷静なツッコミが入る。

「“今の”みたいなやつよりは人形の方がまだましでしょ」


  それを聞いたシリルは肯定も否定もせず、ただ苦い笑みを浮かべた。

「けど、当てもなく皇都に行ったとこでうまく行くのかい? 」

「さあね。判んないけど…。そろそろタイムリミットがね」


  タイムリミット、とシリルが繰り返した。

「そっちは俺の個人的な事情だけどね」

ルーカスは居心地が悪そうにしている。彼以外の2人は根っからのアーテル人である。知らぬ間に瀕している自国の危機に強く関心を抱くのは当然である。ルーカスとしては現状も良くないんだから多少の荒療治も必要なんじゃないの、程度の思い入れしかないため、その温度差を肌で感じるのだろう。


「…取り敢えず職務については判りました」

シリルがそう言うと、ルーカスはホッとした表情を見せた。

「それで次ですが」

へ、とルーカスは間の抜けた声を上げた。

「貴方が何故間諜をしているのか教えて頂けませんか」


  ルーカスは口籠もった。

「話すつもりがない訳じゃないよ。けど…」

「主人を裏切る訳にはいかない、ということですか」


  シリルが言葉の後を継ぐと、ルーカスは頷いた。

「意外ですね。貴方がそれほど主君に忠誠を誓っているとは思いませんでした」

シリルの顔はいつもと変わらないように見えたが、言葉の通り僅かに驚きが滲んでいた。

「…忠誠、って訳でもないんだけどね、似たようなもんか」


  ルーカスは小さく呟いた。そういや、とソフィアが言った。

「アンタ、国に妹さんがいるんだろ…? 今、どうしてるんだい? 」

ルーカスは無言で俯いた。暫く黙っていたが、やがて口を開いた。

「元気にはしてる、みたいだよ。多分ね」


  シリルは何かに気づいたような顔をした。

「もしかして、その妹さんって…」


  ルーカスは大きなため息を吐いた。

「もういいや。ラウラの存在を漏らしちゃった時点で判るよねぇ」

ルーカスの顔はいっそ晴れ晴れしていた。

「別に言っちゃ駄目って言われてる訳でもないし。俺の半生記、聞く? 長くなるけど」

シリルはすぐに、ソフィアは少し間を置いてからそれぞれ頷いた。





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