第4話
数日後、ルーカスはずっしりと硬貨が詰まった麻袋を持って帰って来た。驚いたシリルが目線で問うと、お金貰わないなら何のために商売してんのさ、とルーカスは笑った。
言葉に詰まったシリルを見て、一瞬不思議そうな顔をしたルーカスは、ああ、と言った。
「自分で何も作り出さない商人なんて卑しい職業だ、って?」
「そんな、とんでもありません」
慌てて取り繕ったように否定するシリルを見たルーカスは、ふうん、と呟いた。
「いいよ、別に。オキゾクサマは大体言うよね。いなくなったらいなくなったで困る癖に」
いつもの笑顔と変わらない表情。変わらず明るい声。変わらず伸びやかな口調。先程までとルーカスの態度は何1つ変わっていない。しかし何かを敏感に感じ取ったのか、シリルは俯いた。ルーカスはさっさとその場を立ち去ろうしたが、シリルに呼び止められて振り向いた。
すみませんでした、と謝罪したシリルにルーカスは苦笑した。
「あのね、俺は別に謝ってほしい訳じゃないの。慣れてるし別に良いって」
「でも……! 貴方の職業を貶めてしまったんですから」
ルーカスは中途半端に振り向くのを止めて正面からシリルに向き直った。
「ねえ、お前は何のために謝罪の言葉を口にしてるの?」
ルーカスが何を言わんとしているのか判らなかったのだろう。シリルは怪訝な顔をした。ごめんね、言葉選びを間違えた、とルーカスは言った。
「世間じゃ罪悪感を軽減するための言葉は謝罪にカウントされないの」
オキゾクサマの世界でどうなのかは知らないけどね、とルーカスは囁く。その声はどこまでも柔らかく、優しい。それなのに、シリルの空のように青い瞳は揺れた。
「もうちょっと利口になった方が良いかもね」
ルーカスは一片の曇りもない、いつもの明るい笑顔を浮かべているのに、シリルは気圧されたように声も出さない。
「庶民だからってあんまり舐めてると痛い目見るよ」
それだけ言って、ルーカスは今度こそ踵を返した。今度はシリルも呼び止めなかった。会話の最初から最後までルーカスの態度は1ミリも変わらなかった。ただシリルの顔色だけは冗談のように青くなっていた。
久しぶりに3人で共にする夕食の席。どこかぎこちなく、俯いているシリルといつも通りのルーカスを見たソフィアは大体の事情を察したのか、シリルの不審な態度には何もコメントしなかった。
「それで、今回の行商はどうだったんだい?」
「んー? ひふほほはひひへははんはひほ?」
行儀が悪いよこの馬鹿、とソフィアに怒られたルーカスはごくんと口の中の食べ物を飲み込んでしまうと、いつもと変わんないよって言ったのさ、と笑った。
「ったくアンタはいっつもそれだ……」
「あ。でも」
不意に思いついたようにルーカスが声を上げるとソフィアは一瞬目を丸くした。
「相棒から気になる話を聞いたよ。皇都の方、まだごたついてるみたいだねー」
今まで反応を示さなかったシリルが俯いたままピクリと動いた。
「そりゃまた何でだい?」
「んー、なんか次のこーたいしさまが決まんないみたいだね」
ハッとしたようにシリルは顔を上げた。ふうん、とソフィアは呟いた。
「けど、そりゃアタシたちには関係ないだろ」
「普通ならね。どうもきな臭い雰囲気らしくてさ」
耐えきれなくなったのか、シリルが、あの、と恐る恐る口を挟んだ。
「きな臭いっていうのは……?」
ルーカスはうっそりとした笑みを深くした。
「戦争だよ」
「そりゃほんとなのかい!?」
ソフィアが派手に椅子の音を立てて立ち上がった。シリルの顔も心なしか青ざめているように見える。ルーカスは、俺が直接見聞きした訳じゃないからねぇ、と暢気な調子で言った。
「なぜこんな時期に戦争なんて……」
絞り出すようにシリルから出た声は苦しげだった。
「決まった後継者がいないんだから国が割れるのは必然じゃない?」
「ああそっか、今上陛下の皇子はお1人だけだったね」
ルーカスの声はあっさりとしたものだった。それを聞いたソフィアは苦々しげに漏らした。
「なぜルーカスさんはそんなに平然としていられるんですか」
非難するでもなく、単純に疑問で仕方がない、といった様子でシリルが尋ねた。簡単なことだよ、とルーカスは答えた。
「ここが俺の国じゃないから、ただそれだけ」
虚を突かれたようにシリルは息を呑んだ。
「愛着や未練は、ないんですか……?」
「ああ勘違いしないでね、この村も家も好きだよ。けどここにいるのは仕事のため。戦争に巻き込まれるのはごめん被るなぁ」
「今の皇位継承者って誰がいるんだい?」
絶句したシリルにソフィアが尋ねた。
「主要な辺りだと、プルプレア王国の王太子殿下のご子息2人と……レイナード・オブ・ゲール辺境伯のご子息、ですかね」
シリルはまだ衝撃を引きずっている様子が見受けられるが、少し考え込んでから答えた。
「意外といるもんだねぇ」
ソフィアは感心したように言った。
「……ですが、他国の王子を皇太子として迎えることは内政干渉の原因になりますから」
シリルの顔は浮かない。ルーカスは黙って聞いている。
「ふむ…。ああ、けど、ゲール辺境伯っていうと」
「はい。国教ジェミニ教の信仰を捨て、独立戦争を起こしているあの地域の領主です」
それを聞いたソフィアも沈黙した。ルーカスが口を開く。
「誰にしても詰み、ってことだね。他は?」
「加えてお3方とも女系ですから現実味は薄いですね…。僕が知らない有力候補がいる可能性もありますが、恐らく数代前の皇帝の血筋の傍系くらいしか残っていないと思います」
そっかぁ、とルーカスは呟いた。面倒なことになってるねぇ、とソフィアは呻いた。
「けど、まだ嫁いでない皇女様もいるよね、確か」
ルーカスが思い出したように問うた。シリルは困り顔を崩さなかった。
「皇太子殿下にお子様がいらっしゃらない以上男系の皇族は途絶えたと思って良いでしょう。中継ぎ以外の理由で女性皇帝を立てることは……」
シリルはそこで言葉を切った。
「双子神、特に太陽神が認めない、と」
シリルはそのルーカスの言葉に頷いた。
「ですが、それを知ってどうなさるおつもりですか?」
何度か躊躇する様子を見せた末に遂にシリルはそう口にした。
「さぁね。でも情報は商人の武器だからさ。集められる時に集めとく癖がついてるんだよね」
「そう、ですか」
シリルは納得のいかない顔ながら、それ以上食いさがることはしなかった。ソフィアも何やら考え込み、誰も何も話さなくなったため、その日の夕食での会話はここで終了した。
その夜。ソフィアの部屋の戸が控えめに3度ノックされた。
「誰だい?」
そもそも選択肢は2つしかない上、叩き方1つにも癖は出るものである。恐らく彼だろうとあたりをつけつつ、念のためソフィアは誰何の声をあげた。
「夜分遅くに申し訳ありません。シリルです」
ソフィアはやはり自分の予想があたっていたことに満足しつつ、入って良いよ、と声をかけた。
部屋に入ったシリルはやけにそわそわしていて、扉を閉めたのは良いが、そこから動こうとしない。見かねたソフィアが名を呼ぶと、一層居心地悪そうにした。
「そこで何やってるんだい」
「いえ、自分から訪ねたとはいえ、淑女の寝室にお邪魔していることに良心が咎めまして」
一瞬きょとんとしたソフィアは次の瞬間笑い出した。
「アンタ、アタシが淑女だって……! 涙出てきた」
暫くして笑いが止まると、ソフィアは笑い過ぎて流れた涙を拭い、シリルに用件を尋ねた。
「相談したいことがあって……ルーカスさんのことです」
「ルーカス? アンタはそれより他にアタシに相談することが色々あると思うんだけどねぇ」
ソフィアはそう言って茶化したが、シリルの瞳は揺らがなかった。ソフィアはシリルの目を正面から見つめ、何かに納得したように口の端を釣り上げた。
「まあいいさ、その相談ってのを聞こうじゃないか」
「何度か申し上げた通り、僕は近衛騎士団の所属ではありますが、軍からも騎士団からも外れた存在です」
シリルはそう切り出した。
「皇太子殿下の命令が最優先、なんだっけ?」
首肯したシリルは、先を続けた。
「ですから殿下を喪った今、僕の立場はとても不安定なものです」
ソフィアは軽く頷くことで先を促した。その意図を汲んだのであろうシリルも軽く頷き返した。
「貴族の家における次男、三男という存在もそうです。つまり僕には貴族社会の確固たる地位というものがない」
「けど、色々あるだろ? 婿養子に入るとか、分家を開くとか」
それを聞いたシリルは諦めたように笑った。
「婿養子、に関しては良い縁談があればあり得るかもしれませんが……。父が僕を家に置いておく筈がありません」
ソフィアの顔が歪んだ。ルーカスの言葉を思い出しているのかもしれない。シリルは高い確率で父親に疎まれている、という話を。
「……それで? だから何だって言うんだい」
ソフィアの声はまるで無理やり絞り出したかのように掠れていた。大した意味はありません、とシリルは苦笑した。
「ですが、こんな僕にも矜持があります。貴族として生まれついたからにはそれに相応しくありたい」
凛とした声で、シリルは言った。聞いている側の人間まで背筋が伸びそうなその声に、ソフィアは嘲笑を浮かべようとして失敗したような変な顔をした。
「ノブレスオブリージュ、ってやつかい?」
そうですね、とシリルは肯定した。
「それで? それがルーカスに何か関係があるのかい? 」
シリルは言い淀む様子を見せた。
「アタシも暇じゃないんだ。さっさと本題に入ってくれないと困るのさ」
そうですね、と再びシリルは言った。腹を括ったのか、その目は真っ直ぐにソフィアを見据えていた。
「端的にお伺いします。ルーカスさんは一体何者ですか?」
「何者、って……。知っての通りさ。本職は商人。あとアタシの同居人で雑用係ってとこだよ」
ソフィアは困ったように乾いた笑みを漏らしたが、その頬は引きつっていた。シリルは揺らがなかった。
「庇うのなら貴方も疑わざるを得なくなります」
温度のない声に、ソフィアはため息を吐いた。
「知らないよ。アンタに言った以上のことは」
「……っ、ですから」
「アタシは本当に何も知らない。双子神に誓ってもいい」
シリルは尚も食い下がろうとした。しかし、どこか気迫さえ感じさせるソフィアの言葉に思うところがあったのか、ソフィアの顔をじっと見つめ、そして不意に身体の力を抜いた。
「……自分で言うのも何だけど、信じたのかい?」
「嘘を言っているようには見えませんでしたから。それに双子神の名を出したからには追及を止めざるを得ませんよ」
そう言いつつもシリルの顔には苦々しさが表れていた。
「信心深いねぇ……。いや、勿論嘘を吐いた訳じゃないけどさ」
シリルの心情は判っているのだろうが、ソフィアは呆れ半分安堵半分といった様子だった。貴女の答えを100%信頼してるからという訳ではないんですが、とシリルは言った。
「神に誓うのなら、間違いなく真実か、神罰が下ってもそれを甘んじて受け入れる程の覚悟があるかの二択ですから。どっちにしても追及しても無駄です」
ソフィアが目を丸くした。シリルは、何ですか、と不審げに言った。
「いやさ、アンタは誰より信心深くて、周りの誰もがそうだと信じてるタイプに見えたからね。驚いた」
ソフィアの言葉をシリルは鼻で嗤った。
「本当に神がいたならあの方が死ぬなんてあり得なかった」
吐き出すような台詞にソフィアが肩をすくめる。
「そんなに皇太子様は素晴らしいお人だったのかい?」
「否定はしませんが、理由はそれではありません」
じゃあどうしてかい、とソフィアが尋ねた。シリルは何でもないことのようにあっさりと答えた。
「そんな愚か者を神がお創りになって、ましてその後も生かしておくことなどあり得ないからですよ」