第3話
予約設定するのをすっかり忘れておりました……!失礼致しました
宗教の説明を人物紹介・用語説明に移動し、こちらの説明を簡潔化しました。帝国の歴史(一部)も同じ場所に移動しております。
さて、時の流れとは早いものである。そうこうしている内に3ヶ月が経過していた。うららかな春は終わりを告げ、柔らかな緑をした若葉が芽吹いたかと思うと、あっという間に深い緑の固い葉へと成長した。日差しもぽかぽかと心地よいものから差すような力強いものへとすっかり変わってしまった。
3ヶ月もたてば人間大抵のことには慣れるもので、それはルーカスたちも例外ではなかった。すっかりシリルがいる生活スタイルが確立し、不便を感じることもお互いに少なくなってきた。
また、初日以来ずっとシリルは頑なに口を閉ざしているため、シリルが何故自殺未遂を繰り返していたのか、といった本質的なことは何も判っていないものの、世間話の一環として出てくる話からルーカスとソフィアは少しずつシリルという人間を理解し始めた。
「最初のきっかけは恐らく父ブライアンが皇帝陛下の学友だったことだと思います。……即位前までの話ですけどね」
ふとした折りにシリルが皇太子に仕えた理由が話題となり、それを問われたシリルはそう答えた。
「次期領主が? ああでも、シリルのお兄さんもか」
ルーカスは驚いたようにそう言った。シリルは首肯した。
「皇太子殿下が誕生したとき、相応しい身分ある女性を乳母として募集したそうです。同じ時期に母が兄を出産していたので」
「それで内定、ってことかい」
納得した様子のソフィアとは裏腹にルーカスは微妙な顔をしていた。
「伯爵夫人を、乳母に?」
「勿論、身分が高すぎる、という意見もあったようですよ。母は侯爵令嬢ですし」
苦笑したシリルに、そうなの、とルーカスが驚きの声をあげた。
「さっきの答えにもなりますが、父は僕と同じ次男です。伯父が侯爵家に婿入りすることになったので、急遽跡継ぎの椅子が回ってきたそうです」
そして、その侯爵家────アルスター伯爵家の本家筋にあたる────から、跡継ぎを婿入りさせる交換条件として令嬢の1人エレアノーラをブライアンの妻にもらったらしい。領主一家の思わぬ家庭事情にソフィアとルーカスは唸った。そのような事情は領民には当然ながら知らされない。
「それはともかく。そんな経緯で、兄は皇太子殿下の乳兄弟として育ち、弟の僕も未来の側近候補となったんです。兄は嫡男ですから文官に、バランスをとって僕を武官に、と」
「それで騎士様に、ねえ……」
ソフィアはしみじみと呟いた。
「初めて城に上がって皇太子殿下にお会いした時に、この方に一生を捧げようと思いました。だから、近衛騎士、それも他の権力の干渉を受けない専属騎士を目指したんです」
そう言ってシリルははにかんだ。シリルは自分から口に出すことはしなかったが、彼は最年少で騎士に叙任された超有望株である。才能はあったのだろう。だが、彼の剣は誰よりも努力することで磨かれてきた。
ちなみに帝国には軍と騎士団があり、軍には主に平民が、騎士団には貴族が所属する。現状騎士団はお飾りに近く、実戦に投入されるのは軍が大半だ。しかし、近衛騎士団だけは話が別である。皇族の警護という任務の特殊性上、優秀な者でなくては務まらない。
シリルは少々扱いが特殊になるのだが、近衛騎士団の所属であり、その実力は折り紙つきと言える。
「皇太子殿下は厳しい方です。部下にも、ご自身にも。……僕も幼い頃は可愛がって頂きましたが、母が死んだのを境に遠ざけられるようになられました」
そう話すシリルにはやりきれなさが見受けられた。
「嫌いにならなかったの? こーたいしさまのこと」
話を聞いていたルーカスはそう尋ねた。シリルはそっと目を伏せて言った。
「何をされても、どう扱われても、あの方だけが僕の唯一の光なんです」
「だった、じゃなくて?」
ルーカスの問いにシリルは緩く首を振った。それを見たルーカスは、そう、とだけ呟いた。
「あの子、母親以外家族はいるんだろ?友達だっていない訳じゃないだろうに、唯一ってのは……」
シリルが席を外している間に、黙って聞いていたソフィアが独り言のようにぽつりと言った。
「俺は判んないでもないけどね。でも判んない」
ルーカスの返答ともつかない言葉にソフィアは、何だいそれ、と笑った。
ある日、夕食時にルーカスの姿が見えないことを不審に感じたのか、シリルはソフィアにルーカスの行方を尋ねた。ソフィアは笑って言った。
「ああ、本職の方に行ってるんだよ」
「ルーカスさんの本職……。商人、でしたっけ?」
ああ、とソフィアは首肯した。
「カエルレラ王国から来る知り合いの商人から卸して、この辺りを行商してるのさ。普段はどっちが本職だか判んないくらいここにいるけどね」
そうなんですね、と感心するシリルに調子を合わせつつ、ソフィアはシリルには聞こえない声量でぼそりと呟いた。
「実際何してんのかはさっぱり、だけどね」
そして、同じ頃。外はすっかり夜の帳が下りていた。空には美しい星が無数に散らばっている。月の姿は見えない。ホー、と梟の鳴く声が断続的に夜闇を切り裂いていた。ダキヘラ村でも家々の灯りが消え、村全体が眠りについている。……いや、村の外れのとある林にだけ、2つの人影があった。その1つの正体は、ルーカスだった。
ルーカスが会っていたのは、カエルレラ王国から商品を運んできた“同僚”だった。
「それで? 最近はどうだ?」
同僚の男が問いかけた。ルーカスは、まぁまぁってとこかな、と笑い返した。
「棚ぼたってのはまさにこういうことだね。まさか鴨がネギ背負って向こうから歩いて来るなんてさ」
「お、そいつはこないだ言ってた坊っちゃんのことか?」
ルーカスは答えずに、にやりと笑って見せた。男は、ぴゅう、と口笛を吹いた。
「皇都の方は混乱しててさっぱりらしいからなぁ」
「はぁ!? もう少しで5ヶ月でしょ、まだ落ち着いてないの?」
信じられないとでも言いたげなルーカスに、男は、全くだ、と同調した。
「どうもまだ次の皇太子が決まらないらしくてなぁ」
「あぁ、そっか。この国直系の皇族が全然いないもんね」
そういうこった、と男は笑った。
「自分で自分の首絞めてちゃ世話ないね」
「だな。ああ、そういや伝言があったわ。報告に変化がなさ過ぎてつまらん、だとよ」
ルーカスの表情が固くなった。
「それは、あの方から?」
「おう。そろそろ顔を見に帰らないといつの間にか妹が嫁に行ってるかもしれないぞ、ってのもあったな」
ルーカスは舌打ちをした。
「回りくどい言い方ばっかりしやがって」
まあまあ、と男は宥めた。
「飼い主をそう悪く言うもんじゃねえよ。お前だって良くしてもらってんだろ?」
ルーカスはその言葉に肩をすくめた。
「あの方に伝えといて。近い内にどうにか帝都に乗り込む。……そのためには上手にアイツを利用しないと、だね」
男はニヤリと笑って了承した。
「ま、お互い頑張ろうぜ。お前の相手を仕事にゃしたかないからよ」
男の軽口にルーカスは片手をひらひらさせる。彼が浮かべている表情に浮かぶ感情は、紛れもない愉悦だった。
「心配して貰わなくても大丈夫だって。俺は一生あの方の可愛いワンちゃんでいるからさ」
男がその場を立ち去った後、ルーカスは笑顔を消して、ため息を吐いた。
「標的は皇帝レックス。この国ごとぶっ潰してやる。……ラウラを守るためなら、俺は何だって」
その言葉にはぞっとするほどの憎悪と殺意と、そしてどろりとした愛情が込められていた。