第35話
シリルは、自室に入るとすぐに防音魔法を展開したが、すぐに解除する。魔法は使えないものの、なんとなく魔力を感じたのであろうルーカスが不思議そうな顔をした。
「どうかしたの? 」
「いえ……。急に魔力量が増えたせいか、うまく制御できなくて」
シリルは首を捻ると、もう一度魔法を起動する。少々空間が揺らぐような感覚がしたが、今回は何とか成功した。シリルは状態を確かめると、軽く頷く。
「大丈夫そう? 」
「そう長い間は保たないかもしれませんが、とりあえずは。それで、確認しておきたいのですが、"知っていた"とは何のお話ですか? 」
シリルの問いは、彼には珍しいことに、直球だった。
「お前が皇子だってこと。それから、その髪と目のことも、全部」
シリルの真剣さを汲んだのだろう。ルーカスは一切誤魔化すことなく、正直に告げた。シリルは唇を噛んで俯く。
「それなら、なぜ言ってくれなかったのですか? ……だから、今朝あんなことを」
ルーカスの意図に気がついたシリルは、詰るような口調で言った。ルーカスは淡い笑みを浮かべた。
「その話はちゃんとするけど、まずは謁見で何があったのか教えて? 」
そう請われたシリルは、ルーカスの言い分も尤もだと思ったのだろう。ひとまず矛先を収めると、起こった出来事を淡々と説明した。ルーカスはそれを黙って聞き終わると、頑張ったね、とだけ呟く。
「そういうのは結構ですから。理由を説明してください」
「お世辞じゃないんだけどね……。理由は、約束してたからだね。全部伯爵から聞いた時に、他言無用って言われたんだ」
シリルは顎に指をあて、ふむ、と頷いた。
「建前は理解しました。ですが、それに従う貴方ではないでしょう? 」
「まあね? けど、これは言っちゃ駄目なやつでしょ。下手したら計画が全部狂う」
「計画? 」
ルーカスに言わせると、謁見の間で交わされた会話は、ある程度伯爵の想定通りに進んだのではないか、ということらしい。
「もちろん、死罪になる覚悟はしてたと思うよ。でも、あの場において、シリルは“何も知らない"状態じゃなきゃいけなかった」
仮にルーカスがシリルに真実を教えていたとする。シリルは当然困惑するだろうが、謁見を迎える前には一通り心の整理を済ませた可能性が高い。
「多分それじゃ駄目だった。知ってたら、自然な反応ができないでしょ? 」
「事前に知らされていたところで、問題は」
「あるよ。シリルも隠蔽に加担したことになるからね」
伯爵は、処刑される前提で動いていたとルーカスは推測した。だからこそ、シリルも騙された被害者にする必要があったのではないか、と。
実際、シリルが強硬に処刑に反対しなければ、伯爵の首はそう遠くないうちに胴体と永遠のお別れをしていたことだろう。そうなった時に、シリルが知っていたのと知らなかったのでは、彼の処遇は大きく変わる可能性が高い。
「もちろん、アーチボルト様が死ななきゃ、お前の生まれのことは一生隠すつもりだったんだろうけどね」
「……僕のためだった、とおっしゃるのですか」
自嘲気味にシリルは言った。ううん、とルーカスは否定した。
「お前のためじゃないと思うよ。あくまでこの国のためじゃない? 」
「そこは嘘でも肯定するところだと思いますけどね…… 」
「上辺を取り繕ったって、お前は信じないでしょ」
ルーカスはシリルの苦言を一刀両断する。シリルは、曖昧な笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。
「まぁいいです。……貴方の言葉が無ければあの場であんな行動は取れませんでしたから」
不思議そうな顔をしたルーカスは、考え込んだ。心当たりがなかったらしい。少々考えて思い至ったのか、ああ、と小さく頷く。
「あれ? アーチボルト様になったつもりで動けってやつ」
「それです」
首肯したシリルは、ため息を吐いた。
「あの場で僕が取った行動は恐らく間違っていなかったはずです」
「そうだね。じゃあなんでお前はそんなに浮かない顔をしてるの? 」
人を食ったような笑みを浮かべて、ルーカスが尋ねる。場にそぐわない能天気な声。シリルは拳を固く握った。
「僕が皇太子なんて、やれるはずがない」
喉から絞り出すように出された声は、すぐに部屋の静寂に溶け、消えた。沈黙が訪れる。シリルは、ルーカスの反応を伺うように、目線をやった。
「僕には、無理です」
ルーカスの目がスッと細められる。目の奥がぎらりと光った。
「お前には3つの選択肢をあげる」
不意にルーカスが言った。明るい笑顔は鳴りを潜め、射抜くような鋭い視線が正面からぶつけられる。
「1つ目。お前の大好きなアーチボルト様の遺志を継ぐ。茨の道になること請け合いだけどね」
ルーカスの言葉に挑発の色はない。ただ事実をなぞるように、淡々と告げる。
「2つ目。皇帝や貴族たちのお人形になって、お飾りの皇太子、皇帝になる」
「待ってください、僕はそんな」
「話くらい黙って聞いたら?」
シリルは居ても立っても居られなくなったのか、口を挟む。が、ルーカスの一言ですぐに口を閉ざす。それほどまでに、ルーカスの言葉は冷ややかだった。
「3つ目。ここで俺に殺される」
ルーカスの言葉が理解できなかったのだろう。シリルの口はポカンと開いている。
「意外とこれが一番楽なんじゃない? いいじゃん、死にたかったんでしょ? 俺が楽にしてあげる」
蠱惑的にルーカスは微笑んだ。温度のない笑顔は、鎌をかまえた死神のそれにも見える。
「潔く死んじゃいなよ。どうせお前が死んだところで誰も悲しまない。違う?」
シリルの目は、焦点が合っていない。催眠にでもかかったようにぼんやりとしている。
「で? お前はどれを選ぶの? 答えなよ、シリル」
ルーカスが名を口にした瞬間、封印が解けたようにシリルの目に光が戻る。見慣れぬ紫の瞳に映る感情は、怯えと……怒りだった。
「あなたが言ったのではありませんか。価値ある人生を送ることが贖罪なのだと」
「ちょっと違うけど。それはいいや。俺じゃない、お前がどう思うか訊いてるの」
シリルが、数回、瞬きをした。彼は小さく笑う。
「そんなこと、初めて訊かれました」
凍っていたシリルの表情が少し解れる。あちこちに視線を彷徨わせた後、シリルはルーカスを真っ直ぐに見据える。
「僕は変わりたい。いつまでもお荷物で役立たずなままでいたくないんです」
「……それで? 」
「だけど」
シリルは俯く。拳は硬く握りしめられ、震えていた。爪が刺さったのだろう、僅かに血が伝っている。
「僕にはできません。そんなことできるはずがない。だって、こんなに怖い。考えただけで、足が竦むのに」
言葉通り、シリルの足は震えている。そして、声も。
「優しい慰めの言葉が欲しいならごめんね? 」
ルーカスは、甘く優しく囁いた。そして、一言、こう呟いた。
「甘えんな」
シリルがハッと目を見開く。ルーカスの表情に浮かぶのは紛れもない怒りだった。
「いつまで悲劇のヒロインやってるつもりなの? この国の皇族と貴族がどうなろうと俺はどうだっていい。だけどね、泥を被るのはいっつも平民だ!」
声を荒げるルーカスを、シリルはこのとき初めて見た。ルーカスの口元はわなわなと震えている。
「傷ついた? 怖い? そんなの知ったこっちゃない! お前がそうやって泣いてるその無駄な時間のせいで何人が死ぬの? 」
血反吐を吐くように叫んだルーカスは、深呼吸した。
「……ごめん、取り乱した。お前の感情は正当なものだよ。でもね」
先程までの激昂が嘘のように静かに、ルーカスは言った。
「こんなでもね、俺は恵まれてるんだ。俺には選択肢と機会があった。それすらないまま死ぬやつを、俺は腐るほど見てきたんだ」
悼むような、痛みを堪えるような、そんな口調で彼は語る。
「お前が変えなきゃ、俺みたいなのがまた増えるんだよ」
顔を上げたルーカスは、泣きそうな顔をしていた。
「力があるから使えって言うのは力なき者の傲慢かもしれない。でも俺1人じゃ世界は何も変わらない」
シリルは黙って聞いている。強く握りしめられていた拳は、ほんの少し緩んでいた。
「頼むから……お願いだから、このクソみたいな世の中でも変えられるって証明してよ。俺はもう堕ちるとこまで堕ちたからどうしようもないけど」
ルーカスの栗色の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「これ以上、“俺”を増やさないで」




