第33話
迎えた翌日。シリルとルーカスは早朝から準備に追われていた。正式な、それも大規模な謁見ともあれば、細かいしきたりも山積みである。
「あーもう! なんでこんなに面倒なのさ! 」
「すみません……僕も陛下の御前に出たことはほとんどなくて。慣れないんですよ」
シリルによると、亡き皇太子アーチボルトは、頑なにシリルを謁見に出さなかったのだという。普段はシリル以外の護衛を嫌がっていたらしいが、この時だけはシリルの同行を許さなかったらしい。
「まぁ、多分知ってたんだろうなぁ……」
ルーカスの呟きを聞いたシリルは首を傾げる。ルーカスは、何でもない、と言い返すと、作業に没頭した。ルーカス自身は謁見には出られないため、シリルの準備さえすませてしまえば良いのである。
「それでは、時間ですから行ってきます。大丈夫ですよね? 」
シリルは不安げに、ルーカスの前でくるりと回った。大丈夫、とルーカスが親指を立てる。
「それでは、また後ほど」
「待って」
今度こそ部屋を出ようとしたシリルは、呼び止められて振り返る。ルーカスを見ると、彼は唇を噛んで俯いていた。
「どうかされましたか? 」
シリルは怪訝な面持ちである。呼び止められたにも関わらず、肝心のルーカスは目さえ合わせないのだから、もっともな反応と言える。
「……今日、きっとお前の世界は一変する」
「いきなりなんの話ですか? まさか」
ルーカスが事を起こすと思ったのだろう。シリルは瞬時に緊張したが、俺は誓って何もしてないよ、というルーカスの言葉に、多少なりとも安堵したようだ。
「今の俺に言えることはほとんどないんだ。だから、1つ魔法の言葉を教えてあげる」
「魔法の、言葉? 」
頷いたルーカスは、何かを囁いた。言われたシリルは戸惑った顔をしたが、わかりました、と言った。ルーカスの顔は、泣きそうにも見える、
「それじゃあシリル、いってらっしゃい」
「……はい、いってきます」
シリルは父アルスター伯爵の後を追い、訳もわからぬまま広い部屋に連れていかれた。彼は謁見と言えば、玉座があって1対1で向かい合う、というものを予想していたのだが、そうではないらしい。
ほぼ全ての貴族の当主が来ているのではないかと思われるほど、今回の謁見の会場は人でごった返している。シリルは不安げに周囲を見渡した。
「キョロキョロするな、みっともない」
数歩先を歩いている伯爵が、振り返って注意した。シリルは身体をびくりと震わせる。返事をすると、彼は急いで真っすぐ前を向く。伯爵は鼻を鳴らすと、無言でまた歩き始めた。
伯爵はある席で足を止めた。置かれた椅子に無言で座る。シリルは身を縮こまらせながら、隣の空席に腰を下ろした。
それにしても、シリル以外の若者は見当たらない。それどころか、当主以外でこの場にいるのはシリルだけかもしれない。
さざなみのような会話が、シリルにはどれも自分を嘲笑う声のように聞こえる。自分が酷く場違いに思えて、シリルは唇を噛んで下を向いた。
「皆々様、お静かに願います。巫女姫様がおいでになります」
静寂とまでは行かなかったが、会場は少々静かになった。潜められた声は、蛇の囁きのように、なおもシリルの不安を煽る。
閉ざされていた扉が重々しく開かれると、顔を俯けた巫女姫────第四皇女サマンサ────が姿を見せた。
サマンサは無表情に歩みを進めると、自分の席にまっすぐ向かい、座った。
会場はいまだに静かにざわついている。誰の視線の先にもサマンサはいない。皆の関心の的は、次期皇太子が今日決まるか否か、と、それが誰なのか。それだけである。
「それでは帝国の太陽たる皇帝陛下が入場されます」
その宣言がなされた瞬間、シリルとサマンサを除いた全出席者が動いた。一斉に立ち上がると、深々と腰を折る。シリルは慌てて周囲に倣った。
衣摺れの音がする。皇帝が姿を現したらしい。シリルは顔を上げられないため、その姿を視界に入れることはできないが。
呼吸音すら耳障りに感じられるほどの静寂。会場は、身体をほんの僅か動かすことすら躊躇われるような異様な緊張感に包まれている。
「……おもてをあげよ」
皇帝の一声で、出席者は全員直立する。シリルは横目で父親をみながら、一足遅れてそれを真似る。
「巫女姫よ、息災であったか」
「陛下の慈愛に満たされておりますゆえに」
「皆、腰を下ろすが良い」
決まり文句なのだろう。一言形式ばった会話を交わすと、皇帝の眼中にサマンサはもういなかった。皇帝の言葉に従って、場の全員が席についた。
「今日貴君らに集まってもらったのは他でもない」
横に控える男────恐らく普段は彼が皇帝の言葉を皆に伝えるのだろう────を片手で制すと、皇帝は自らの口で語った。
「遂に、正当な皇太子を皆に公表できる時が来た」
皇帝の言葉に、シリルは引っ掛かりを覚えた。
アーチボルトは他の誰も否定できないほど、これ以上ない正当な皇太子だったはずである。だからこそ、皇帝と対立していても皇位継承位を剥奪されなかったのだ。
しかし、皇帝の言い方では、アーチボルトは正当な皇太子ではなかったかのように語られている。現時点で候補に上がっている皇太子候補たちは、誰も正当な皇太子とは言い難い者ばかりであると言うのに。
「皆の疑念は判る。そのような者はいないのではないか、そう思うことだろう。無理もないことだ」
シリルは心中を読まれたようで、身の毛がよだつ心地がした。
「その者の存在は長年隠されていたゆえにな」
謁見の間がざわついた。シリルも、声を出しこそしなかったが、内心は驚きで満たされている。
「さて。ここまで言えば判るであろう? そうだろう、ブライアン」
皇帝が紡いだ名前を理解したシリルは、ギョッとして隣の父親を見上げた。シリルと同じく戸惑っているとばかり思っていたアルスター伯爵は、少し顔色が悪かったが、覚悟を決めたように落ち着いている。
「ブライアン。褒めてやろう。よくぞ23年も隠し通したものよ」
皇帝の意味深な言葉。父の異様な態度。死ぬ直前のアーチボルトの言葉。呼ばれるはずのない場にいるこの状況。そして23年という数字。
全てを総合的に考えた、シリルの優秀な脳みそは、既にある1つの答えを弾き出している。それは吐き気がするほど残酷な真実。
「ブライアン、いやアルスター伯爵。発言を許す。そこにいるシリル……。誰の子か、答えてみよ」
会場中の目がシリルたち親子に集中する。重苦しい空気の中、アルスター伯爵が口を開く。
「……彼は、私の子ではありません」
信じられない言葉に、シリルは言葉を失う。
「妻の証言を信じるのであれば、間違いなく陛下の御子でいらっしゃいます」
スッと頭の芯が冷えるような心地がした。目の前がぼやけていく感覚。周囲の光景や音が遠くなっていく。やけに耳鳴りがする。鼻の奥がツンとして、遠くなっていく視界が更に滲んだ。
それはまるで、一瞬で薄い膜がシリルの周囲を覆ってしまったようで。自分の身体から、精神だけが切り離されてしまったような、不思議な感覚だった。
「やけにあっさりと認めるのだな? 」
「シリルの存在を隠したのは、帝国の安寧のためです。この状況下での隠蔽は国を乱すのみです」
このとき、シリルの頭に浮かんでいたのは、アーチボルトとの会話だった。
シリルにはようやく判ったのである。アーチボルトは、全てを知っていたのだと。
『お前1人いれば十分だ』
彼らしからぬあの言葉。その真意は、シリルが受け取ったものとは違っていたのだ。アーチボルトは護衛の話をしていたのではない。皇位継承者の話をしていたのだ。
当然、これはシリルの解釈にすぎない。アーチボルトが実際のところ、何を考えて行動したのかは、もはや誰にも判らないことであるのだが。
「良い判断だ。だが、忘れたのか? お前は皇帝たる余と皇子たるシリルを騙したのだぞ? 」
不意に自分の名前が出て驚いたのだろう。シリルは弾かれたように顔を上げた。
「重々承知しております」
そう答えた伯爵は、なぜかシリルに数歩近づいた。彼は何やら呪文らしきものを唱える。
次の瞬間、シリルは拘束から解き放たれたように感じた。それは、身体の芯から力がみなぎってくるような、不思議な感覚だった。
誰も何も言わなかった。だが、確かに空気が変わった。皇帝すら瞠目する。
「こんなに魔力量が増えることがあり得るのか……? それに、覇者の彩、だと…… ? 」
幸か不幸か、この部屋に鏡はなかったから、シリルはその姿を見ることはできない。しかし、シリルの容貌は、たしかに大きく変化していた。
陽の光を集めたような金髪は、黒曜石の黒髪に。湖のような碧い瞳は、菫の紫に。
その色は、少なくとも、ここ100年ほど皇族にはただの1人もいない、完全な“覇者の彩”だった。
そして、魔術の名門アルスター伯爵家の一員とは思えないほど少なかった魔力は、皇帝には及ばないものの、国でもトップクラスにまで増加している…
「私が彼の存在を隠した理由の1つがこれです。当時公表すれば、アーチボルト殿下と国を二分することが目に見えていた」
苦々しい顔でブライアンは言った。
「隠蔽を決意した時から覚悟はとうに決まっております」
ブライアンの堂々とした態度に数人が感嘆のため息を漏らした。しかし、それはあくまで少数派に過ぎず、大多数は白い目を向けている。
大それたことをしでかしたことに対する蔑み、あるいは本当にシリルが皇子なのかという疑念の眼差しが、無遠慮にブライアンに注がれる。
そんな空気の中、皇帝は哄笑した。
「不憫なことだな、シリル? お前は皇子として、何不自由ない生活を約束されていたはずだというのに」
皇帝は慈愛に満ちた笑みを浮かべている。シリルはたじろいだ。
「そこの男が余計なことをしたせいで、お前は当然のように持っていた権利を失っていたのだぞ」
実は、シリルは怒るというより安堵していた。もちろん最も大きい感情は混乱である。しかし、彼は確かに安堵していたのである。シリルが愛されなかったのは、彼自身のせいではないと証明されたから。
シリルの内心など知ろうはずもない皇帝は、更にたたみかける。
「そのような余計なことをした男は、死刑で当然だと、お前も思うだろう? 」
「……え? 」
皇帝は心底愉しそう笑っている。
「怖がることはない。正直に憎いと言って良いのだぞ」
シリルは狼狽えた。彼の中には両親である伯爵夫妻────実際のところ伯爵と血は繋がっていなかったわけだが────を恨む気持ちは欠片もなかったのである。
周囲の貴族は各々好き勝手なことを言い出した。恐らく皇帝に阿る派閥なのだろう。口々に伯爵、ブライアンを非難している。
場の空気は今や完全にブライアンの処刑を望んでいた。シリルはそれを敏感に察知しているがゆえに、気圧されて何も言えなくなる。
「ああ、お前は優しい子だ。育ての父を殺すのは忍びないのだな。では、お前に決めさせるのも酷だろうな」
シリルが何も言えないでいる間に、どんどん話は進んでいく。
「ではこうしよう。お前はただ頷けば良い。後の雑事は余が引き受けてやろう」
皇帝はにんまりと笑う。シリルの顔が青くなった。
事態が、大きく動こうとしていた。
最近更新ができていないことが多く、申し訳ありません。土日の更新はしばらく不定期になります。できる限り更新できるように頑張りますので、何卒よろしくお願い致します。




