第32話
ジューダスは、入り組んだ城内をあっさりと進んでいく。その足は明らかに自室に向かっているようには思えなかった。どう考えても、人が少ない方に向かっている。先程とはまた違う道を通っているらしい。
とある廊下で、ジューダスは突然立ち止まった。あたりを窺うと、彼は廊下の壁の一部をずらす。ガコン、と音がして、人がかろうじて1人通ることができる程度の空間が現れる。
躊躇うことなく足を踏み入れたジューダスを追って、ルーカスは先の見えない暗闇に足を踏み入れた。
狭い通路を抜けると、ジューダスは壁を探ってレバーを下ろす。開く時と同じ音を立てて入り口が閉まった。
ランプにジューダスが灯りをつけたらしい。小部屋の様子が浮かび上がる。机と椅子以外の設備は何もない、殺風景な部屋である。
「……ここは? 」
「そんなに警戒しないでくれたまえよ! 隠し部屋の一種さ。存在を知るのはごく一握りの人間だけだから安心するといい」
ジューダスの口調は、すっかり変わっている。ルーカスがそれに驚く様子はない。
「さて、やっと君と落ち着いて話ができるね? ルチアーノくん」
「探す手間が省けたことには感謝するよ、ベルナルド」
ルーカスの言葉にジューダス、いや、ベルナルドは口の端をつりあげた。ベルナルド────カエルレラ王国の隠密部部長であり、ルーカス直属の上司である────もルーカスと同じ任務を与えられていたのだ。
「ルチアーノくんを追加投入ねぇ。あの方もこの件に本腰入れたってことかな! 」
「この仕事、一応1年前からなんだけどね……」
そうなのかい、と口では言いつつも、ベルナルドは一切の興味を示していない。それは、このベルナルドという男には珍しいことではなかった。
「それにしてもやるじゃない? まさかアレを篭絡してくるとは」
「アレ? シリルのこと? 」
「そうだとも。散々辛酸舐めさせられただけに、驚きだよ! 」
言いながら、ベルナルドはうんざりした顔をした。ルーカスは思わぬ話題に戸惑っている様子である。彼の抱くシリル像との間には大きな乖離があるだろうから、無理もない。
「皇帝を打倒する旗印に一番適しているのは、皇太子だろう? 」
ルーカスが憮然とするばかりで何も言わないからだろうか。ベルナルドは饒舌に説明を始めた。
「陛下のお力添えもあってうまいこと近衛騎士にまで登り詰めたと言うのに……。あの皇太子は護衛を近寄らせないのだよ」
「でも、近くに誰もいないってのはさすがに危ないんじゃ? 」
ルーカスの問いに、ベルナルドはもっともらしく頷く。
「普通なら、それを理由に拒絶できる指示なのだよ? だが、シリル・オブ・アルスターだけは皇太子の傍で警護を許されていた」
「シリルが? 」
確かに、シリルの話を聞く限りでは、彼は皇太子のすぐ傍にいたようである。そうでなければ、あれだけ言葉を交わせたはずがない。
「皇太子は毎回こう言うのだよ。それならば、ここにいるシリルを倒してみよ、と」
しかも、ベルナルドによると、その戦いは1対1でなくとも良かったらしい。実際に、3対1までは試合が行われたのだと言う。
「誰も勝てなかったのだよ。確かに彼の剣は強い。だけれども、厄介なのは彼の戦い方でね」
「戦い方? 」
「あれは騎士の戦い方じゃない。僕らともまた違う。洗練された動きと崩れた動き、どちらも兼ね備えてるのだよ」
戦った時のことを思い出しているのだろうか。珍しくベルナルドの顔は苦い。
「彼さえいなければ、正直、僕はもう少し楽に動けたのだけどね」
「……なんか意外だな」
ルーカスはしみじみと呟いた。
「それにしても、彼を今引き抜くメリットはないと思うのだけどね? 何と言っても政争に負けた側だからね! 」
「ああ、そこに関しては大丈夫。シリルは間違いなく今後の鍵になる」
ベルナルドは弱者には一切の興味を抱かない類の人間である。しかし、あまりにルーカスが自信満々に言うからだろうか。ベルナルドは、ふうん、と呟くと嗜虐的な笑みを浮かべた。
「君がそこまで言うのなら、気になるね! 」
「まあね。俺の手腕にあとで驚かないでよ? 」
ルーカスはベルナルドの挑発にのる。恐らく、わざとなのだろう。
「随分と強気じゃあないか」
「そうだね。俺は本国も知らない情報を握ってるから」
「……へえ? 」
ベルナルドの眉がピクリと動く。
「まだ教えないよ。いずれ……いや、多分明日には判ることだし」
ふうん、とベルナルドは言った。その目は据わっているようにも見えるが、浮かべる笑顔はいつもと寸分の違いもない。
「ところで、なんでこんなとこ知ってるのさ? 」
「君、話を逸らしたね? まあいいさ。皇女殿下に教えていただいたのだよ! 」
いくら皇帝の実の娘であっても、皇帝の決断を覆そうとするのは重罪である。そのため、場合によっては帝位を狙うことになるサマンサの計画は、秘密裏に行われなければならない。
恐らく皇族しか知らないであろう部屋を勝手に使うことは明らかに大問題なのだが、露見しなければ罪にはならない、とでも言うのだろう。
「……まさか、あれ吹き込んだの、ベルナルドなの? 」
「そりゃあそうだとも! 駒がなくて、困ったのだよ。仕方がないからあれで妥協するしかない」
「あれ」とは言わずもがな、第四皇女サマンサが即位の意思を見せたことである。ベルナルドはあっさりと認めた。
世間の大半は、皇帝のもう1人の息子────すなわちシリルのこと────の存在を知らない。シリル自身さえ。だから、皇太子として祭り上げられる人物は自然とバラけるのだ。
現時点での有力候補は、プルプレア王国の王子かゲール辺境伯の息子。どちらを選んでも火種は避けられない。
「最近、プルプレア王国がアルバム王国に接近してるっていう情報もあってだね! 」
「それ、ウチとしては困るんじゃ? 」
カエルレラ王国は、二国の仲が悪いことを利用して貿易の利益をあげている節がある。現在の微妙な均衡が崩れ、一方が強国になれば、侵攻される危険性すらあるのだ。
ゲール辺境伯領の独立をアルバム王国が支援しているのは公然の秘密である。だが、プルプレア王国の王子も、アルバム王国の影響を受けている可能性が出てきた。
どちらが即位しても、カエルレラ王国としては困る訳である。
「だから無理を承知で女帝を担ぎ上げるしかないのだよ。反対派をどうねじ伏せたものか」
「ああ、それは大丈夫。次の皇太子はその誰でもないからね」
ルーカスは意味ありげに笑ってみせた。ベルナルドは一瞬眉を顰めたが、追及はしなかった。
「……その人物は? そこまで言うなら捕まえているのだろうね? 」
「もちろん。ウチのために動いてる訳じゃないけど、俺の素性を知った上で協力してくれてるよ」
そうかい、とベルナルドは頷いた。
「くれぐれも忘れないでくれたまえよ。君の最優先事項は、陛下の、そしてカエルレラの利益だ」
「判ってるよ。……ま、アイツには茨の道だろうけど、頑張ってもらうしかないよねえ」
言葉の後半は、ベルナルドの耳には届くことなく、空気に溶けていった。
「お帰りなさい。早かったですね」
ルーカスが部屋────ただしシリルの部屋────に戻ると、シリルは至極あっさりとそう言った。
「あれ、隣にいないの気づいてた? 」
「気配の有無くらい判らなきゃ、護衛は務まりませんよ」
シリルは自嘲気味に笑った。ルーカスは、そうだ、と声を上げた。
「お前、めちゃめちゃ強いんだって? 3対1なのに勝ったとか聞いた」
シリルは、誰から聞いたんですかそれ、とぼやく。
「負ける訳にはいかなかったんですよ。殿下は警戒心の強い方でしたから」
「え、そっちが口実だったの? 」
ルーカスは驚いたように目を見開く。シリルが強いせいで近くで警護ができない、とベルナルドは話していたが、真実は逆だったらしい。
「そもそも積んでる訓練が違いますしね。彼らの大半は人どころか猫を殺したさえありませんから」
「お前はあったの? まぁ、あるか」
曖昧な笑みを浮かべたシリルをそれ以上追及する気はないらしい。口に出した疑問を自己完結させると、ルーカスは椅子に座った。
「最初に殺したのは、小さな男の子でした」
だから、シリルがそう口にすると、ルーカスはぎょっとしたようにシリルを見た。
「何かしらの凶悪犯の連座だと思います。すぐ近くには若い母親がいました」
「……それは、仕事? 」
「いえ、訓練です。殺した経験がなければ、いざというときに躊躇するから、と」
嘘でしょ、茫然とルーカスが呟く。シリルは哀しげに首を振った。
「いまだに記憶に焼き付いています。泣くことすらできずに硬直していた男の子の顔も、私はどうなってもいいからこの子だけは助けて、と叫ぶ母親の声も」
シリルの顔には何の感情も浮かんでいない。そこにあるのは、ただ無だった。
「僕を殺せば釈放してやると甘い囁きにのった、死刑囚たちの中に放り込まれたこともありました。あれは本当に死ぬかと思いましたよ」
ルーカスは完全に口を噤んでいる。
「お綺麗なだけの剣じゃ誰も守れないんです。ほんの一瞬の迷いが、殿下を殺すかもしれない」
「……なるほどね。覚悟が違うって訳か」
「そんな美談でもないのですがね」
シリルは苦笑気味にそう漏らす。ルーカスは、そっか、とだけ答えた。それに対するシリルの返事は、なかった。




