第31話
大変遅くなりました。申し訳ありません。
ルーカスは、一通り部屋を見終わって、退屈しているらしい。それを聞いたシリルは、城の散策を提案した。ルーカスは一も二もなく頷く。馬車の旅が続いた後だから、尚更歩きたいのかもしれない。
「こんなに自由に歩かせていいの? 」
のんびりと歩きながら、不意にルーカスが尋ねた。シリルは小さく笑う。
「そりゃ、問題ないところにしか連れていきませんから」
「たしかに。ここ、お前の庭みたいなもんだからね」
シリルはその言葉を聞くやいなや、シッ、と咎めるように囁いた。
「不敬罪で殺されても知りませんよ。ここは皇帝陛下のお住まいなのですから」
ルーカスは、面倒だね、とぼやくと、頷いた。
「ソフィアさんの口癖、うつってません? 」
「え、嘘」
そうやって軽口を叩き合っていると、シリルが突然黙り込んだ。ルーカスが視線で、何かあったのか、と問う。シリルは小さく頷くと、早足で廊下を曲がった。ルーカスが慌てて追いかけてくる気配を感じた。
シリルの足取りには迷いがない。次々入り組んだ廊下を曲がっていく。
だんだん人気が少ない方に向かっていくことに気づいたのだろう。ルーカスが、ねえ、と呼びかける。シリルは答えない。
そのうち、中庭のような場所に出た。手入れはほとんどされていないのか、荒れ放題だ。城の一角としては、明らかに異様な雰囲気である。
夕暮れが近づいているのだろうか。西日が差し込み、眩しいほどだ。
シリルはまっすぐに東屋に向かう。そこには先客の姿があった。
「……このようなところで何をしていらっしゃるのですか、皇女殿下」
先客────第四皇女サマンサ────はゆっくりと振り向いた。黒い髪に黒曜石の瞳。伏し目がちな目は儚さを感じさせる。
一目で判るほど上質な素材で作られているドレスは、しかし、皇女としてはあり得ないほど質素なデザインだ。装飾品の1つも身につけず、野の花のように佇んでいる。
「貴方なら気づいてくださると思いましたの」
彼女の口からこぼれ出た声は、鈴の音を転がしたように可愛らしい。
「貴女は大神殿にいらっしゃるものと思っておりました」
「あら、それは間違っていなくてよ。今巫女姫は月神に祈りを捧げているはずですもの」
当代の巫女姫はサマンサだ。要するに、1人で祈っているフリをして、抜け出してきた訳である。
シリルは、いるはずもない区域でサマンサの姿を見つけたため、後を追ったのである。
「いくら城内とは言え、あのようなところにお一人でいらっしゃっては危ないですよ」
「ただでさえお兄様も殺されておしまいになったのだから、と? 」
見た目にそぐわず、サマンサの言葉は鋭い。シリルの脳裏によぎったであろう言葉をいとも簡単に口にして見せた。シリルは息を呑んだが、何も言わない。
「……ごめんなさい、無神経だったわ」
「いえ、お気になさらず」
ちなみに、ルーカスは、少し離れた場所で会話を聞いている。身分の問題もあり、彼は完全に蚊帳の外である。
「それで、わざと僕をここにお呼びよせに? 」
「そうよ。……ねぇ、貴方は、次の皇太子が誰になるか知っていて? 」
シリルは静かに首を振る。そうよね、と気落ちしたようにサマンサは呟いた。
「殿下は、ご存じで? 」
「まさか。皇女とは名ばかりよ。お父様は私を道具以上のものには思っていらっしゃらない」
シリルが否定しようとするが、サマンサはそれを、それはいいの、と一言で制した。
「けれど……。立太子が終わればきっと、お兄様の足跡は失われてしまうわ」
それ以前のサマンサの口調にはあまり窺えなかった感情が、わずかに表れる。言葉にするならば、焦燥、だろうか。
「私は、それが口惜しくてたまらないわ。あれほど民を愛し、慈しんだお兄様が」
「……それを、僕に話してどうなさるおつもりですか? 」
シリルの言葉に詰問の色はなかった。むしろ、サマンサを案じているような響きさえある。サマンサもそれが判ったのだろう。彼女は薄く微笑んだ。
「お願いがあります」
改まった響きに、シリルの姿勢が伸びる。
「何でしょう? 」
「私に協力してほしいのです。お兄様の生きた証を残す手伝いを」
その声には皇女としての誇りと高潔さが滲み出るようだった。
「具体的には、何をお求めですか」
「判りません。ですが」
サマンサは言葉を切って、深呼吸をした。
「お父様が、相応しくない方に帝位を譲ろうとなさるのなら、黙っているつもりはありません」
サマンサの言葉に温度はない。だが、よく見ると、その身体は小さく震えている。
「そのときには……そのときには、私が次の皇帝になります」
シリルは言葉を失った。恐らくルーカスも。これは事実上のクーデターの宣言であるのだから。
「殿下、いくら皇女とは言え、滅多なことをお言いになるのは」
「私は本気です」
シリルの言葉を遮って、サマンサははっきりと言った。
「この国はどうしようもなく腐っているわ。だけど、私は帝国の皇女よ。命が尽きるその瞬間まで、民のために動ける人でありたい」
「……殿下は既に、巫女姫としての務めを立派に果たしておいでです」
シリルの苦し紛れの慰めを聞いたサマンサは、キッとシリルを見る。
「神に祈ればうまくいくと言うの? それならいくらだって祈るわ。でも現実はそうじゃない! 」
怒鳴るように叫んで、彼女はハッと口を押さえた。シリルは、大丈夫です、と頷く。周囲に人の気配はなかった。恐らく今の声もこの場の3人以外には聞こえていないだろう。
皇女の、それも巫女姫の発言としては、完全に不適切なものである。シリルとて、幼い頃からジェミニ教の価値観の中で育ってきた。1年前のシリルが聞いたら、何という罰当たりな言葉だと感じたことだろう。
それでも、今のシリルは、その言葉をどこか共感をもって受け止めた。
「……失言だったわ。今のは忘れて頂戴」
「いえ、殿下のおっしゃる通りかと」
サマンサが驚きをもってシリルを見つめる。
「神に祈っても、何も解決しない」
静かな絶望を押し殺して、シリルはそう言った。サマンサは無言で頷いた。
「だから、僕は貴女の味方でありたいと願います。そうでなくては、アーチボルト様に顔向けができません」
「私が言うのもどうかと思うけれど。本気で言っているの? 」
「本気です。僕の望みは、少なくともこのまま人形のように生き永らえることじゃありませんから」
そう、とサマンサは呟く。黒曜石の瞳がシリルのサファイアを射抜く。
「お兄様の代わりになるとは言わないわ。だけど、私に力を貸して頂戴」
「皇女殿下の御心のままに」
シリルはサマンサの手を取ると、手袋の上から軽く口づける。1枚の絵画のようにも見える、美しい光景。それを眺めるルーカスが複雑そうな顔をしていることには、2人とも気がつかない。
「皇女殿下。ここにいらっしゃいましたか」
第三者の声にシリルは体を震わせた。対照的に、サマンサは、見つかったわね、と肩をすくめる。
「大丈夫よ、彼は知ってるから」
「おや、ようやく口説き落とすのに成功なさったので? 」
おどけたように言う男が姿を見せると、シリルは驚きの声を上げた。
「ジューダスさん? 」
「そ、久しぶりなのによく判ったな? シリル」
ジューダスと呼ばれた男は白い歯を見せて快活に笑った。
「そりゃあ忘れませんよ、って今は近衛を? 」
「おうよ。そりゃ俺はアーチボルト殿下のとこには行ってないが……。あの方以外見てないとこ、どうにかしろって言っただろ」
この国では、近衛騎士の護衛対象は固定化されていない。人員が不足したときにも柔軟な対応を可能にする、という理由があるらしいが、実際のところは定かではない。
常に暗殺の脅威にさらされ続けていたアーチボルトは、近衛騎士すら、シリル以外をほとんど近寄らせなかった。そういう事情もあり、アーチボルトの護衛だけはほぼ固定だったのである。
「面目ありません」
「まったくお前は。最近はなあ、皇女殿下の護衛ばっかりよ」
「私の護衛は不満ですか」
冷たく尋ねたサマンサに、ジューダスは慌てて弁解を始める。サマンサはそれを一蹴すると、踵を返した。
「皇女殿下? どこに行かれるのですか」
「大神殿に。警護は不要です」
言い残すと、あっさりとその場を立ち去る。ジューダスが、いつもあの調子だ、と笑い交じりに言った。
「それじゃ、俺はお前さんたちを部屋まで送り届けるとするかね」
「そんな、わざわざ。……判りましたよ、お願いします」
ジューダスはまた笑うと、手招きをした。
「そっちのは従者か? 見ない顔だが」
「はい。いないのも色々と不便なので、領地から」
ルーカスは、シリルの紹介に合わせて、ルーカスと申します、と頭を下げた。その顔はどこか強張っていた。
「そうか、ルーカス。お前さんも迷子にならないようにしっかりついて来いよ」
シリルの部屋の前に到着した頃には、太陽にも赤みが差していた。シリルが軽く礼を述べると、ジューダスは、いいってことよ、と笑った。
「じゃ、またな。近いうちにまた会うことになるだろうが」
「ええ、ありがとうございます」
そう言ってシリルは自室に戻った。その扉が完全に閉まったのを見届けてから、ジューダスはクルリと振り返り、ルーカスを正面から見た。
「俺はちょっとアンタに興味があってな。一緒に飲まないか? 」
「仕事中ですから」
にべもなく断るルーカスにも、ジューダスは気を悪くした様子がない。
「じゃ、俺の部屋に来いよ。ゆっくり喋ろうじゃないか」
「……夕食までには戻らせてくださいよ」
「うっし、じゃあ行くか」
明るく言ったジューダスは、すれ違いざまにルーカスの耳元で囁いた。
「随分安直な名前使ってるんだね? ルチアーノくん」




