第30話
馬車の旅も3日目にさしかかった。
普通の登城であれば、近隣の村に寄り道をしながらのんびり進むのだが、今回は何と言っても緊急の勅令である。十分に身体を休めることができる日程では到底なかった。
「ねぇ、魔法で転移とかできないの? 」
疲れ切ったルーカスの問いには無情な答えしか返ってこなかった。
「それはかなり特殊な無属性魔法ですからね……。今ご存命の使い手がいらっしゃるとは聞いたことがないです。少なくとも我が国には」
「帝国にいないなら、多分どこにもいないよ……」
魔法を使える人物は人口全体で見れば、かなり希少である。そして、そのほとんどが帝国の皇族あるいは貴族に集中している。それが帝国が強国たる所以でもあるのだが。
職務上、平民とは思えないほどの知識をもつルーカスだが、さすがに魔法の知識は乏しいと見える。魔法を使える人物の存在や、魔法の内容は国家機密扱いであるから、当然ともいえる。
ルーカスは口を尖らせて外を見た。次の瞬間。
「うわ、すごい……」
彼は、感嘆の声をあげた。
窓の外に映るのは整然とした皇都ダミアの街並みだった。どこまでも続くように思われる石畳は白く、石造りの家々の窓には小さな花々が咲き誇っている。赤で統一された屋根は、昼間の太陽の光を思う存分に浴びている。
右手のつきあたりに見えるのは市場だろうか。人が集まっていて、活気がある。防音魔法の効果か、外からの声は一切聞こえないが、それがもったいなく思われるほどであった。
「ああ、だからさっき馬車が停止したのですね」
街の様子はシリルにも見えているはずだが、何の感慨もなさそうにシリルは呟いた。窓の外を覗こうとする気配すら見せない。
「検閲とかないんだ? 」
「馬車に貴族の紋章が入ってますからね」
シリルにとっては、3歳から数か月前まで暮らしていた場所である。彼にとってはそう珍しい景色でないのだろう。
「なんて言えばいいのかな、すごい、しか言葉が出てこない」
ため息交じりにルーカスは言ったが、シリルは微妙な顔をした。
「この辺りは良いんですが。少し外れると、酷いものですよ」
「そうなの? 」
「ここ数年は、皇都にまで貧困の波が押し寄せています。……一体、何人が亡くなったことやら」
シリルは眉根を寄せ、珍しく露骨に嫌悪する表情を浮かべた。
「なんでそんなことになってるのさ? 」
「……あまり大声で言える話ではありませんが、今の政治体制は完全に腐敗していますから」
きっかけは、皇帝が政治に一切の興味を示さなかったことだという。クーデターを起こしてまで即位しておいて、彼は完全に無気力だった。
そうなってくると、政治は有力貴族が掌握するようになる。だが、次第に、競争に生き残るのは、私欲を肥やすことしか考えない者ばかりになっていった。
政治に真摯に取り組もうとしていた者たちは、政敵の手によって、ある者は罠にはめられ、ある者は脅迫され、また、ある者は闇に葬り去られた。
そうして帝国の政治は完全に腐敗しきっているのである。
「皇た……アーチボルト様は、そんな現状を憂慮しておられました。だからこそ、多くの貴族から敬遠されていたんです」
シリルが名を呼びなおしたのは、新たな皇太子が誰か判らない状況を考慮したからであろう。
「そういう馬鹿がいなくなれば、世界はもうちょっと面白くなると思うんだけどね」
ルーカスは吐き捨てるように言った。特に"馬鹿"のあたりを強調して。
突然馬車が止まった。急停車というほどではなかったが、ルーカスの身体が前に傾く。
ちらりと外を覗いたシリルは、納得したように頷いた。
「ついたようですよ、城に」
ルーカスは、シリルを馬車の中に残して先に降車した。一旦馬車から離れたようだったが、すぐに扉のところに戻ってくる。どうやら上級使用人の指示を仰いで来たらしい。
「今日はゆっくり身体を休めて、謁見はまた明日、だってさ」
ルーカスの態度は今までと変わりないぞんざいなものである。一般的な従者としては失格なのだろうが、シリルにはその距離感が心地よく感じられた。
「今すぐ、と言われる覚悟はしていましたが……そうですか。ありがとうございます」
「多分向こうも準備が間に合ってないんじゃない? かなり大がかりな場になるらしいし」
シリルは情報を咀嚼するように、軽く数度頷いた。
「で、俺の部屋はとりあえずシリルの隣って言われたんだけど……。お前、ここに部屋あるの? 」
シリルは拍子抜けしたように、ありますよ、と答える。
通常貴族が城内に自室を持つことはない。城内に住むのは皇族と使用人だけである。騎士と兵士に関しては、敷地内ではあるのだが、城の建物からは少々離れたところに宿舎があり、そこで寝泊まりする。
だから、ルーカスの疑問はもっともなものであるのだが、幼い頃から城内で育ったシリルにとっては突飛な問いに感じられたらしい。
ルーカスの意図が掴めなかったのか、彼は不思議そうな顔をした。
シリルの先導で、2人は城の廊下を歩いていく。迷路のように複雑な構造をとっている上に、延々と同じような廊下が続く。ルーカスは、だんだんうんざりした顔を隠せなくなっているようだった。
「さてと、ここが僕の部屋ですね」
ある扉の前でシリルがピタリと立ち止まる。ルーカスは、目の前にある扉をぼんやりと見ながら、ふうん、とだけ言った。
「僕が角部屋なので、隣というと、この部屋ですかね」
「了解。俺はここを使えばいいんだね? 」
「恐らくは」
2人は一旦別れて、それぞれの部屋に入ることにした。
シリルは、出て行った時そのままの状態になっている自室をゆっくりと見渡した。厳密にはシーツあたりは替えてあるのだろうが、それ以外は何も動かされていない。
シリルの視線が小さな机に向く。その上には、窓から入ってくる光を鈍く反射する銀のダガーが置かれている。
ふらふらと近づいていったシリルは、憮然として、それを手に取った。冷たい金属の感触が、シリルから体温を奪っていく。シリルはそこに彫られた模様をゆっくりと指でなぞった。
このダガーは、亡き皇太子アーチボルトからシリルが賜った形見であり、アーチボルトを絶命させた凶器でもある。そして、シリルが喉笛を掻き切ったのも、このダガーだ。
療養に移る時、シリルは当然これを持ち出そうとしたのだが、シリルに刃物を持たせることを厭うた父伯爵が許さなかった。
さっと室内に風が入ってくる。シリルが見ると、木でできた窓がほんの少し開いている。薄い布で作られた、ほつれだらけのカーテンが緩く揺れた。
「アーチボルト、さま……」
シリルの小さな声は、部屋の空気をたしかに震わせた。
シリルは鞘に入ったままのダガーを強く握りしめる。そして、もう片方の手を添え、ダガーの平らな面を心臓に強く押し当てた。
「アーチボルト様、僕は……」
場にそぐわない明るいノックの音が部屋に響いた。
「シリル? 」
ルーカスの声である。呼ばれたシリルは、返事をすると、ダガーをそっと机上に戻した。




