第29話
更新が遅くなって申し訳ありません。お楽しみいただけると幸いです。
翌日。ソフィアは早々に宣言した。
「アタシはもう帰るよ。やんなきゃいけないことは終わったんだろ? 」
「え、さすがに早くない? 」
ルーカスの言葉は至極もっともなものだったが、それを気にするソフィアではない。帰ると言えば、帰るのが彼女である。伯爵家の面々も、義理は果たしたと言わんばかりにあっさり許可を出した。
「もう、お帰りになるのですか? 」
シリルが茫然と言う。ソフィアは早々に荷造りを終え、後は馬車の用意を待つばかりである。彼女が何も言わないのを見て、シリルはただ、そうですか、と呟いた。
「アタシにはこういうのは性に合わなくてね。それに」
「判ってます。患者さんが貴女を待っていらっしゃいますからね」
ソフィアは、シリルの返答に目を細める。それは、出来の悪い教え子を見守る師匠のような、そんな類の笑みだった。
「そう、アタシは患者至上主義だ。知っての通りさ」
「存じております」
シリルは微笑んだ。その笑みから感情は全く読み取れない。
「そんでもって、アンタもアタシの患者だ」
シリルの口がぽかんと開いた。ソフィアはからからと笑う。
「つらくなったらいつでもアタシのとこに来たらいいさ。宿と話し相手くらいは提供してやろうじゃないか」
シリルの笑みが泣きそうに歪んだ。ソフィアは、右手で軽く手招きをする。少し躊躇った後、シリルは控えめにソフィアをハグした。ソフィアはその背中を軽く叩いた。
「お前は泣くかと思ったよ」
ソフィアを見送ってすぐ、ルーカスが言った。シリルは苦笑した。
「この程度じゃ泣きませんよ。いつかまた会えますから」
「ふうん、意外」
「意外とは失礼ですね」
「失礼も何も日頃の行いじゃない? 」
軽口をたたきあって、2人はどちらからともなく笑った。
その後、しばらくの間、シリルはルーカスの姿を見なかった。
出発の日、それもいよいよ馬車に乗り込むというタイミングになってようやくルーカスが現れた。彼の姿を遠目に認めたシリルは、知らず入っていたらしい肩の力を抜いた。
近づいてきたルーカスに声をかけようとした彼は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「お待たせして申し訳ございません、我が君」
流れるように膝を折ったルーカス。彼の服は、一目で上等な生地と判る、フォーマルなものだった。所作も洗練されていて、非の打ちどころがないほどだ。
目を白黒させるシリルが何も言えないでいると、ルーカスが不意に顔を上げた。
「あはは、何その顔。傷つくんだけど? 」
先ほどの従者らしい振る舞いはどこに行ったのやら、ルーカスは悪戯っぽく笑う。
「あ、ええと、お似合いですよ」
「そういうことじゃないんだけどなあ……。まあいいや、お手をどうぞ、我が君? 」
すっと手を差し出されたシリルは、結構です、と断って自力で馬車に乗る。その横顔は少し赤くなっているようにも見えた。
馬車の中。会わなかった数日を埋め合わせるように、かつてないほど2人の話は弾んだ。
この数日の間、ルーカスは従者としての最低限の基本を叩き込まれていたらしい。
あまりの飲み込みの早さに、教育担当者の指導にも熱が入ったのだとか。実際のところ、使用人として潜り込むという手段をとれるように、母国で教育を受けていたというカラクリがあるらしいのだが。
「腐っても伯爵家に雇われた身だから、粗相されちゃ困るんだろうね? 」
おかしくてたまらない、とでも言いたげにルーカスは言った。シリルは苦笑する。
「粗相程度ですめばいいんですけどね、逆に」
「ま、多分それじゃすまないよね」
ルーカスが与えられている命令を思い出したのだろう、シリルはげっそりした顔をする。
「……暗殺で捕まるとかやめてくださいよ。下手したら僕の首が飛ぶだけじゃすみませんからね」
「そのときはごめんね? 」
「本気でご勘弁願います……」
軽やかな笑い声が馬車の中に響いた。シリルとしてはとても笑えないだろうが。
ふと、ルーカスが笑うのを止めた。シリルは何事かと視線を寄越す。
「ところで、ここでそんな話して大丈夫なの? 」
真顔になったルーカスは声を潜めて言った。
馬車は密閉された空間ではあるが、意外と音は外に漏れるものである。そもそも防音を意識して作られている乗り物ですらない。
普通の声の大きさで話していれば、当然外に聞こえる。そして、外には御者や護衛がいる。
話の内容的には、殺されてもおかしくない。
「ああ、大丈夫ですよ」
しかし、それを聞いたシリルはあっさりと笑った。
「この馬車、防音魔法かけてあるので」
「は? 」
ルーカスは口をぽかんと開けて、固まった。
「え、お前が、ってこと? 」
「僕が使える数少ない魔法の1つです。便利ではありますよ、使い道は少ないですが」
魔法の属性は火・水・土・風の4つがあり、魔力を持つ者の大半は、何か1つ使える属性をもって生まれてくるのが通常である。
しかし、それとは別に、分類不可能な「無属性魔法」と呼ばれる魔法を生まれ持つことがある。シリルのもつ「誓約」と「防音」はここに分類される。ただし、無属性魔法は単体での威力は弱く、軽視されがちなのだが。
「お前ってさ……底知れないよね」
「そうですか? 属性魔法ほどの価値はないと思いますが」
「いや、その魔法、俺めちゃくちゃ欲しいからね? 」
シリルは不思議そうに首を捻っている。ルーカスは遠い目をした。確かに「防音」は諜報活動には適していると言える。
「……ねぇシリル」
「何でしょう? 」
ルーカスの声が真面目なものになった。何かを感じ取ったのか、シリルも居ずまいを正す。
「近々次の皇太子決まると思うけど。お前はその人物に何を求める? 」
「急に何をおっしゃるんですか」
シリルは笑ったが、ルーカスの様子を見ると真顔になった。ルーカスは、全く笑っていなかった。
「……そうですね。あの方が為したものが、失われないこと、ですかね」
「というと? 」
「民が飢えることがないように、戦で命を落とすことがないように。常々そうおっしゃっていました」
シリルは軽く目を閉じた。
「自分の目で見ることを何より大事にされていました。それから、驕らないこと」
「何と言うか、できた人だね」
そうですね、と呟いて、シリルはそっと目を開く。その青い瞳には薄い水の膜が張っていた。
「素晴らしい方でした。……そんな方を、僕は」
「シリル」
名前を呼ばれたシリルは、ハッと口を閉じた。
「シリルがどうしてても、皇太子さまは助からなかったと思うよ? そりゃ俺に判んないだけかもしれないけどさ」
シリルは何も答えない。それは、自分の中でルーカスの言葉を消化しているようにも見えた。
実は、ルーカスの言っていることは理に適っている。いくらシリルの腕が立ったところで、多勢に無勢である。襲撃者に見つかれば、皇太子はシリルもろとも死んでいたことだろう。
「それに……皇太子さまは、シリルに殺して欲しかったのかもしれないなって」
ルーカスは、言ってしまってから、少し後悔したような顔をした。シリルは微笑んで、緩く首を振った。
「あのさ」
奥歯にものが挟まったような口調で、ルーカスが切り出す。シリルは、一度目を強くつぶって、意を決したように開いた。その目には、もう涙は浮かんでいなかった。
しかし、シリルが何か言うより先に、なんでもない、とルーカスが呟く。シリルは眉を顰めたが、それ以上追及はしなかった。




