第2話
折角のGWなので更新します。
!注意!
嘔吐表現あり。苦手な方は飛ばしていただいても大筋に大きな影響はありません
夕食後。
「シリル、お前の部屋に案内するよ」
ルーカスの発言を耳にしたソフィアは驚いたようにルーカスを見た。
実はこの家には客間が存在しない。強いて言うのであればルーカスが使っている部屋を客間のように使っていたこともあったが、現在は完全に彼の私室と化している。他に寝室として使えそうな部屋はソフィアの寝室しかない。意外に律儀なところのあるルーカスのことだ。勝手に家主の部屋を明け渡すとは考え難い。であれば、彼の部屋をシリルに譲ってやるのだろう。
「ルーカス」
ソフィアが呼ぶとルーカスは振り返った。複雑そうな表情を浮かべたソフィアは何かを言おうと口を動かしたが、結局声に出すことはなく、やっぱりいいよ、とだけ言った。
暫くするとルーカスは戻ってきたが、そこにシリルの姿はなかった。
「シリルは? 」
「ああ、疲れてるだろうからって休ませたよ」
一見思いやりに溢れた言葉だが、ルーカスの言葉はどこか冷たく響いた。ふぅん、と頷いたソフィアは長椅子に座り、隣の席を軽く2,3回叩いた。ルーカスは大人しく横に腰を下ろす。
「それで? あの子をこの部屋から追い出してどうするってんだい? 」
ソフィアの皮肉めいた言葉にもルーカスは顔色を変えることなく、悪戯っぽく笑った。
「あは、バレちゃった? 」
「ほんとにそうだったのかい……」
げっそりとソフィアが漏らす。ルーカスは、さぁね、と笑った。
暫く押し黙った後、ソフィアはおもむろに口を開いた。
「アンタはどう思った?」
「シリルのこと?」
ソフィアは軽く頷いた。ルーカスは、うーん、と唸った。
「どう思った、っていうと?」
ソフィアは微妙な顔をした。
「いや、何て言うか……アタシにもよく判らないんだけどね、ってほんと我ながら何言ってんだか」
ソフィアはそう自嘲するように言葉を切った。
ルーカスは再び唸った。こういうことじゃない気はするけどさ、と前置きして彼は言った。
「何かあるね」
予想していない答えだったのか、はたまた答えが曖昧過ぎたのか、ソフィアが怪訝な面持ちになる。
「じゃあさ、ソフィアはアイツが自殺するのは何でだと思う?」
「……正直判んないね」
そっか、とルーカスは返事した。ソフィアは人差し指でテーブルを小刻みに叩いた。それで何が言いたいんだい、と目線でルーカスに問う。
「正確なとこは俺も判んないよ。けど、3ヶ月前皇太子が死んだのと何の関係もないとは考え辛い」
確かにね、とソフィアが言った。
「後追いってことかい? ……いや、可能性は他にもあるね」
我が意を得たりとばかりにルーカスは首肯した。
「俺は後追いじゃないと思ってる」
何でだい、と問われたルーカスはだってさ、と首をかしげた。
「なら理由を話すじゃん、多分」
「なるほどね……。確かにきな臭い」
数度頷いたソフィアは、それにしても、と、ニヤリとしてルーカスを見た。
「えらく気にかけてるじゃないか、シリルのこと」
ルーカスも微笑んで言った。
「とーぜんだよ、仕事だもん」
アンタの本職はウチの手伝いじゃなくて商人だろうよ、とソフィアがツッコむとルーカスは、まぁね、と笑った。
ソフィアは、ふぅ、と小さく息を吐き、真顔になった。
「アタシは別に構やしないんだよ。アンタが何を目的でここにいたって」
ルーカスは笑みを崩すこともソフィアの言葉に返答することはしなかった。ただ目線だけを寄越した。ソフィアはそれを意にかける様子もなく続けた。
「けど、アンタが思ってるよりアタシはアンタのことを気に入ってる」
「あはは、そりゃありがとね」
ソフィアとは対照的にどこまでも明るい口調は、どこかソフィアを拒絶するようにも響いた。ソフィアは眉を顰めた。
「まぁ、危ない橋は渡るんじゃないよ。故郷には妹さんもいるんだろ?」
危ない橋って何さ、と笑うルーカスにまぁいいさ、とソフィアは諦めたように言った。
だけど、と言ったルーカスは不意に、浮かべていた笑みを消した。
「ラウラのことに口出しされる筋合いはない」
殺気といっても過言ではない静かな怒気をはらんだ言葉に一瞬ソフィアの呼吸が止まった。
「心配されなくてもラウラのことは俺が守る。心も、身体も、命も」
ソフィアは何か唇を動かしたが、それは声になっていなかった。
「……そのために俺はここにいるんだから」
最後にルーカスが呟いた言葉はソフィアには聞き取れなかったようだった。流石に聞き返すことはできなかったらしく、結局ソフィアが返したのは無言だった。特に返事を求めていなかったルーカスも何かを言うことはしなかった。
「ま、けど心配してくれてありがとっ」
明るく言ったルーカスは、先程までの態度が嘘のようにどこからどう見てもいつも通りの笑顔だった。表情が未だ強張ったままのソフィアに、おやすみ、とだけ言い残してルーカスは家を出て行った。行き先を問うて良いものか迷ったのか、何も尋ねなかったソフィアは、仕方なく自室に引っ込み、眠りについた。
同日。夜中に近い時間帯。
ルーカスは誰かの気配を感じて目を覚ました。彼は一瞬身構えたが、取り敢えずはそのまま寝たふりを続けることにした。不審者の正体と目的を特定するのが先決だと判断したからである。その不審者は密やかに、しかし迷いない足取りで真っ直ぐ外に出て行った。
ルーカスは面食らった。何もせずに出て行くとは想定外である。まさか、ルーカスが眠っている間に用事を済ませたのだろうか。迷ったのは一瞬だった。ルーカスは静かに身体を起こすと、気配を消して外に出た。
ルーカスは不審者が向かった先を探そうと、辺りの痕跡を探った。
「……あった。林の方か」
懐の小型ナイフを手で探り当てた彼は、手にナイフを握る。細心の注意を払って、すぐ近くの林へと向かった。林の中、湖のほとりに怪しげな人影を発見したルーカスは、そっと近づき、不意に立ち止まった。
「シリル?」
そう、そこにいたのはシリルだったのだ。そして、彼の様子はおかしかった。月の僅かな光だけでも判別できるほどに。
「えっと……吐いてる、よね、アイツ」
辛うじて声が聞こえるか否か、といった距離ではあるが、シリルが嘔吐しているのは明らかだった。ソフィアの元を訪れた患者が嘔吐することはそう稀ではない。それなのに、ルーカスは何故か彼から目を離せなかった。シリルの姿が酷く痛ましいものに思えた
蹲って嘔吐していたシリルは、吐くものがなくなったのか落ち着いたように見えた。ルーカスはほっと息を吐き、そんな自分に首を捻った。が、その次の瞬間、ルーカスはシリルの異変に気づく。シリルの体は震えていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、僕のせいで、いや、僕は、そんなつもりじゃ……っ」
シリルが錯乱状態に陥っているのを見てとったルーカスは困惑した。どうしたものか、と思案する。関わり合いになりたくない、という気持ちを持つ一方で、放っておけない、とも感じる。
「まあいいや、ここで恩を売っとけば後で役にも立つよね」
自分に言い聞かせるように呟いたルーカスは、今やって来たかのように足音を立て、シリルに近づいた。名を呼ぶと、シリルがハッと顔を上げる。意識的に“いつもの”笑顔を浮かべて、ルーカスはシリルに笑いかける。
「だいじょーぶ? ……ではなさそうだね」
とは言え対処方法など知らないルーカスは、しばらくシリルの背中をさすってやった。
「見苦しいところをお見せして申し訳ありません、もう大丈夫ですので」
そう言ったシリルの顔色は確かに随分マシになっているようだった。もう離れても大丈夫だろうと判断したルーカスは、立ち上がった。
「そ。じゃ、あんまり無理しないようにね」
シリルは何か言いたげにルーカスの方を見たが、結局何も言わなかった。
「俺、戻っていい?」
ルーカスが尋ねると、シリルは慌てて頷いた。
「ありがとうございました。……その、助かりました」
ルーカスは軽く笑ってその場を立ち去り、寝床に戻った。シリルはその後すぐに帰って来て、彼もまた与えられた部屋に戻ったようだった。