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第28話

 夕食は部屋に運ばれてきた。通常は給仕がつくものなのだろうが、シリルの目配せ1つで使用人は全員退室した。


「なーんか、シリルって貴族だったんだね」

「何を今更、って言いたいとこだけど、アタシもそれには同意だよ」


食卓を囲む3人。その空気感はすっかりいつも通りであるが、食事はさすがは伯爵家というべきか豪華なものだ。シリルが蓋をとった瞬間、ルーカスは口笛を吹いた。


 何気ない会話を時折交わしながら、それでも皆どこか落ち着かない様子である。シリルは、村で毎日食べていた、ルーカスの手料理が無性に恋しくなった。食事の質は今の方がずっと上であるはずなのに。


「じゃ、俺は呼ばれてるからそろそろ行くね」


 夕食を食べ終わると、ルーカスはそう言って立ち上がった。そうだったね、とソフィアが呟く。


「それでは僕もそろそろお暇しましょうかね」


 続いてシリルが立ち上がると、ソフィアとルーカスは驚いたように目を見張った。


「どうなさったんですか? 」

「いや、お暇するって、どこに行くんだい? 」

「一応僕にも自室が用意されているんです。荷物は大体あちらに置いているので」


 言いながら、シリルは自嘲するように笑った。何とも言い難い、微妙な空気が流れる。


「お。俺、行くねっ」


 ルーカスは、妙に明るい声で言うと、慌ただしく部屋を後にした。


「ありゃ、逃げたね」


 ソフィアが言うと、シリルはクスリと笑った。




 さて、部屋を出たはいいものの、ルーカスはすぐに途方に暮れることになる。呼ばれた先は十中八九書斎だろうし、場所も判る。これでも密偵である。その程度の空間把握能力は訓練で養われていた。


 しかし、案内もなしに勝手に行くのもまずいだろう、というくらいのまともな感覚はルーカスにもある。


「どーしたもんかねえ」


 ルーカスは呟いた。


「おや、お待たせしてしまいましたか」


 ルーカスは目を見開いた。音もなく、まして気配すら感じさせずに、真後ろにノアが立っていたからである。もしノアに殺意があれば、ルーカスは一瞬で殺されていたかもしれない。彼の額を冷たい汗が伝った。




 ノアに案内された先は、やはり昼間の書斎だった。ルーカスが部屋に入るのを見届けると、ノアは入室することなく扉を閉める。ルーカスはいやおうなく目の前の男、アルスター伯爵────ブライアン・オブ・アルスター────に向かいあうことになった。

 

「わざわざ呼び立ててすまなかったな」


 会話を切り出したのは伯爵だった。ルーカスは愛想笑いを浮かべて形式的な謝罪を受け流す。


「用件は他でもない。貴殿は、アレについて皇都に行きたがっていると聞いた」

「相違ございません」


 伯爵は、眉間にしわをよせ、ため息を吐いた。


「悪いことは言わない。アレには関わらないのが身のためだ。半端な同情心で近づくと……死ぬぞ」

「それはまた物騒な話ですね」

「ああ、突飛に聞こえる話だろうな。だが、私は冗談を言っている訳ではないのだ」


 渋面を崩さない伯爵。ルーカスは視線を鋭くする。


「血の繋がったご子息のこととは思えない言いぶりですね」

「……色々と事情がある」


 そうですか、とルーカスは頷く。だが、彼の眼差しは和らいではいない。むしろ、彼の眼は獲物を定めた獣のように爛々(らんらん)と光っている。


「ところで伯爵閣下。先ほどから、随分俺のようなつまらない者にも気を配ってくださるのですね」

「貴殿も大切な我が領民の1人。家族のようなものだからな」


 素晴らしいお考えです、と賛美されても、ブライアンは嬉しそうな顔1つしない。ルーカスの話の行方を探ろうとしているのかもしれない。


「では何故、シリルのことをあれほど遠ざけるのです? ……まるで本当の息子ではないかのような扱いではございませんか」


 ルーカスは蛇のように微笑んだ。その笑みに温度はなく、死を宣告する死神が浮かべる笑顔によく似た類のものだった。


 伯爵はゆっくりと腕を組んだ。表情は変わらない。


「面白いことを言う。アレが私の子ではない、と? 」

「さあ。俺には判りません」


 ルーカスは軽い調子でそう言うと、肩をすくめた。


「……貴殿は、死ぬのが怖くはないのか」


 ややあって、ブライアンはそう尋ねた。ルーカスは数回目を(またた)かせる。


「いいえ? ですが、世の中には死ぬより怖いことがあると、お思いになりませんか? 」

「そうか。貴殿は何があってもアレを見捨てるつもりはないと言うのだな」

「まあ、そんなところです」


 伯爵は、ルーカスの返答を聞いて、何やら考え込む様子を見せる。やがて、意を決したように、彼は重い口を開いた。


「これ以降話すことは他言無用だ。良いな」


 ルーカスは首肯する。それを見た伯爵は、ため息を吐いた。


「アレは……シリルは、私の実子ではない」


 伯爵は一旦目を閉じ、すぐに開いた。


「だが、紛れもなく亡き妻エレアノーラから生まれた。だから実子として手元においた」

「……不倫、ということですか」

「ある意味ではな」


 あっさりとした肯定に、ルーカスは面食らう。


「乳母として出仕したエレアノーラが突如領地に戻ってきた。理由を問うと、休暇をとった、と」

「それ以前に休暇をとられたことは? 」

「一度もなかった。2年間半、ただの一度もだ」


 明らかな異変。ブライアンは、すぐにエレアノーラとの時間をとり、話を聞いたという。


「政略結婚とはいえ、私は妻を愛していたし、自惚(うぬぼ)れでなければ、彼女も私を慕ってくれていた」


 城で何かあったのか、そう尋ねると、エレアノーラは泣き出してしまった。伯爵は、慌てて慰め、妻の途切れ途切れの説明を聞いた。


「皇帝陛下から、身体の関係を強引に迫られた、と言われた」


 ルーカスの両目が零れ落ちんばかりに開かれる。


「それがひと月前の出来事だと、涙ながらに謝罪された」


 子が宿っていた場合にはどうするのか。夫妻は数日かけて話し合った。


「折悪く、陛下は既に皇后陛下への寵愛を失っておられた。万一、子が男だったなら、皇位継承を巡った争いが起こる可能性は低いとは言い切れない」


 夫妻は、その時点で皇太子になることが決定していたアーチボルトが、生まれてくる子の存在で危険にさらされることを案じた。結局彼らは、一生その事実を隠し通すことを決意する。


「陛下は私を恨んでいらっしゃるのだ。命が絶えるまで傍でお仕えすると約束した、あの言葉を私が(たが)えたから」


 伯爵によると、母親の身分がそう高くもなく、それも第五皇子だった皇帝は孤独な幼少期を過ごしたらしい。10歳になる頃にようやく、側近の1人もいないのはあんまりだろうと適当な貴族の子息をあてがわれた。


「その中に私も入っていたのだ」


 皇帝────当時は皇子の1人だった────はブライアンを大層気に入った。何があっても必ず傍にいると約束したのもその時だ。


 だが、ブライアンは家の事情で、実家に呼び戻され、家督を継いだ。クーデターが起こり、登城した彼を迎えたのは、、底冷えしそうなほど冷ややかな皇帝の目だった。


「私を憎くお思いになるのは仕方がないことだ。だが、まさか妻にまで手を出すとは思わなかった」


 呪詛でも吐き出すように、ブライアンは言った。


「そして、エレアノーラの妊娠が発覚した。私の子では、ありえなかった」


 エレアノーラの帰省は、夫妻にとってプラスにはたらいた。表立って伯爵家の子息を名乗らせることに不足はないからだ。


「生まれてきたのが、シリルだった」


 生まれてきたシリルを見た一同は凍り付いた。よりにもよって、シリルの髪色は黒、瞳は紫。「覇者の彩」をともにもって生まれてきたのである。


「け、けど、シリルは」

「幸い、我が家は魔術に秀でた家系だった。生まれてきたシリルの魔力も、皇族の血を引くだけあって優れたものだった」


 ルーカスの疑問を黙殺し、伯爵は話を続けた。


「私はシリル自身の魔力を使って、アレの髪と目の色を隠した。私の魔力を使えば、違和感に気づかれやすくなる」

「そんなことが、できるんだ……」

「当然禁術だ。おかげでアレは23になっても魔力が低い。私の術に魔力の大半を吸い取られ続けているのだから、使える魔力は少なくなる」


 だが、そのおかげで、誰にも気づかれることなく、ここまでシリルは成長できた訳である。


「アレは、あえて皇太子殿下の側近にした。殿下に心酔していれば、神輿(みこし)に担がれる可能性も下がるだろう」


 結果的にその思惑は見事に的中したことになる。シリルがこの話を知ったところで、皇太子を殺して皇位につこうなどとは(はな)から考えなかったに違いない。


 ただし、その伯爵の決断が、シリルを別の意味で苦しませ続けることになっているのであるが。


「陛下は、エレアノーラに執着し続けた。それこそ彼女が死ぬまでずっとだ」


 ルーカスの脳裏に、シリルの話が浮かぶ。ブライアンの話は、皇太子アーチボルトのものとも一致する。


「陛下は恐らく、シリルにもう目をつけている。それがどのような意味なのかは、判らない」


 次期皇太子としてなのか、エレアノーラにかわる玩具としてなのか、それとも別の何かなのか。いずれにしても、一回執着されたなら、その興味が他に逸れるとは考え難い。


「周囲をうろつく者に陛下が何をなさるかは私にも判らない。皇位継承権をもつ方を皆殺しにして玉座に座ったお方だ」

「だから、死ぬ、ってことですか」


 やっと納得がいったのだろう、ルーカスは深く頷いた。


「貴殿も判っただろう。だから」

「それでも俺は引きませんよ。シリルと皇都に行きます」


 ルーカスは伯爵の言葉を遮って宣言した。ブライアンは、その不敬を気にする様子もなく、純粋な驚きで目を丸くしている。


「……そうか。この話を聞いてなお、貴殿がそう言うならば、私は止めない」

「それはよかったです」


 ブライアンは、目を細めた。その顔はどこか哀しげにも見えた。


「正直なところ、アレを見るたびに憎悪で頭がおかしくなりそうになる。アレに罪はないと知っていても、名前を呼ぶだけで殺意が沸く」


 それは、気を抜けば聞き逃してしまいそうなほど、小さな小さな声だった。


「だから、こんな私が言えた言葉ではないが。シリルを、よろしく頼む」


 ルーカスは無言で深々と頭を下げた。

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